昨日はI塚先生の古希祝いで卒業生20人ぐらいで会食して話す。
「目は霞み耳に蝉鳴き歯は落ちて霜を戴く身こそつらけれ(慈円)」など老境の歌をいくつか集めた奥さまのグラヌール紙頂く。ゆかりの方の祝辞が読み上げられる。杜甫の古希とは死と戯れる幽玄の境地に遊ぶ年齢ということで亡き知識人と戯れる日も近い、この際身一つになって旅人として幽玄を漂いましょうというメッセージが読まれる。卒業生のミュージシャン3人組の思い出のボサノバと奄美から帰って作った自作の想いを歌った歌が披露され、方位計と旅日記が贈呈され、I塚先生は太極拳をやっているけど、これは自分の体と対話して、臨終に備える技術だというお話をして、漂泊の人生を新たに生き直す決意と謝意を述べられた。図書館学の先生が杜甫の古希の意味で締めて閉会。2次会は別のフロアのバーで元ゼミ生とそれぞれの近況を話す。
今日は卒業生が店主さんの、大通りの古書店で、またI先生や卒業生と話し、「ないものがある世界」という創作の新作を買い、ホテルのダイナーで、チキンカレーやハンバーグやパスタを食べてサッポロクラシックを飲んでI塚先生と私たちと叔父夫婦で会食する。
I塚先生は一遍上人の旅の足跡をたどって回る旅をしている、親鸞は信心を強調するが一遍では南無阿弥陀仏の言葉だけで往生する、信じていない人にお札を配っていいのか一遍が迷ったときに熊野権現のお告げで信不信を問わず、浄不浄を問わず配るべしと言われて覚悟ができた話は確かにグッとくる、JRの大人の休日ジパング倶楽部で安く回れる、いずれ一遍をたどる本にする予定だ、
貴方の文章は溜めが足りない、こう来ると思うとその通りになる、もう少し答えを先に言わずに回り道を楽しめるように書けると好い、オルフェウスのその後のイメージ史ももうひとつ書けると好い、黒いオルフェまで行ってほしい、そのまえに前回の執筆の続編か、あの手法で行けると思うと仰る。
これから函館の南茅部の縄文遺跡を見に行くという。私は五來重の仏教民俗学は面白いと話す。
叔父は小樽札幌の水彩画で体力づくりして老後に備えている、この辺りの三角屋根がなくなったでしょう、天神山や羊ヶ丘や八紘学園辺りは行くと好い、自分もブラザーのプリンタで絵をスキャンしている、人の5倍はCD聞いてるね、記憶力もいいし作文も早い、河合隼雄氏の子息は秀才肌か、私の絵が前行った山麓の喫茶に飾られるという、ネット上のシステムとシステムの相似形を比較する研究をしていた、別の解き方で同じ答えにたどり着く面白さが数学にはある、円空と木喰や捨て聖一遍上人は私も読んだ、と話す。
年配を信用するなと年配が開き直れる古希に乾杯
(ドント・トラスト・オーヴァー・サーティーという標語が60年代にあった)