超人日記・作文

俳句を中心に、短歌や随筆も登場します。

#俳句・川柳ブログ 

プルーストの回想小説の美

2022-02-15 17:51:06 | 無題
マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」は19世紀を代表する回想小説である。
全13巻。ナイル川のように蛇行する、長大な文が延々と続く、回想文学。
これを書くために、プルーストは、交友も社交界の出入りも辞めて、
一日の大半を執筆に費やした。
非・意図的な想起と言われるその手法は、記憶と忘却が生んだ傑作で、
マドレーヌを紅茶に浸して食べているとき、幼少期の記憶が
不意によみがえってきたことから始まる、恋愛や恋人の女性関係や
社交界で出会った奇異な人々の描写を含む、労作である。
労作と言っても、例えば、ジャン・コクトーはそのなかに
常軌を逸した幸福への切望を読み取っていた。
些細な記憶の描写が、人生のシュルレアリスティックな面を時折見せる。
人生の模範生は、そのなかに、労苦と、強靭さと、禁欲の結実しか見ない。
だが、実は、そのなかに、甘美な快い要素も入り込んで、作品として
結晶していることを認めるのは、模範生には嫉妬で難しい。
この思い出しの作業のために、プルーストは、昼も暗幕を張り、
明かりで照らして、目の冴えた真夜中の状態を部屋に作り出して、
下書きもしないで、黙々と数千枚も書き続けた。
この回想文学は虚実入り混じっているが、この記念碑的作品は
誰もそれを越えることができない、記憶の大河である。

マドレーヌ紅茶で浸す場面から記憶の大河果てしなく書く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説「ナジャ」の異様な眺め

2022-02-12 04:58:02 | 無題
シュルレアリスム文学もいろいろあるけれど、
アンドレ・ブルトンの「ナジャ」という小説が
飛び抜けておもしろい。
ブルトンの恋人となったおかしな女性ナジャが
ドアを次々と開けっぱなしにして動き回るような
奔放な人物で、ブルトンはもちろん周りは
とことん、振り回される。
けれども、奔走するナジャの見るもの、聞くもの、
雨どいに漆喰に廃墟に風見鶏と言ったすべての事物が
ブルトンの目にはふしぎにゆがんで見慣れない
革新的な眺めにみえる。
風景の断片を異常な恋愛が飼い馴らされない陶酔に
変えてしまう。
そういう、意識の変容が、そのままシュルレアリスム
であり、事実、ブルトンの「ナジャ」は、もっとも
その理念をいきいきと描き出した、代表的な
シュルレアリズム文学だと言える。
私が読んだのは、白水Uブックス版である。原著と同じく、
パリの各地の写真が、巧みに挿入されている。

奔放な台風の目のナジャが見た風景がみな変貌を遂げる
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光源氏の情愛地獄

2022-02-09 16:38:41 | 無題
今日は、メモ書きの疲れが軽いので、午後散歩に行き、
帰ってエクレア食べて、王様文庫の『源氏物語』の超訳を読む。
由良弥生著。
光源氏にかかわった主な女性が、六章立てぐらいで描写されている。
最初に、正室の葵上について読む。
光源氏12歳、葵上16歳で添い臥し。
それから10年間、仮面夫婦状態。
光源氏は外で浮名を立てて、すっかり遊び人として有名になっている。
成人した光源氏の女性扱いの巧いことに葵上はびっくりした。
ここの部分はかなりキワドい描写が続いた。
元の文もそうなのだろう。
光源氏をオトコにした六条御息所に葵上は嫉妬する。
あの人に勝つためには子どもを授かること。
そして見事、難産を経て長男を生む。
だが光源氏が時折見せる寂しい顔は、義理の母・藤壺に対する
思慕の情。藤壺は光源氏の実母・桐壷に生き写しの、帝の後妻。
(ちなみにのちに、この藤壺に似ているということで、10歳の紫の上を引き取り、
理想の女性に育てて、ほぼ正妻の地位を与えている。)
子どもを授かった葵上に、嫉妬に駆られた六条御息所の生霊が
憑りついて、病で苦しめる。失意のなか最初の正室・葵上は
息を引き取る。なんでこんな泥沼男女ストーリーなのか。

泥沼の情愛地獄描き出す紫式部が異様に怖い
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マリネッティやショスタコは美か

2022-02-09 05:54:15 | 無題
古書のメモ書き、なかなか順調。
この春、あと2冊と、ノートのまとめだ。

基本的に、芸術を政治に利用するのはよくないと
思っているのだが、マリネッティのスピード・マニアの
未来派宣言とか、ショスタコーヴィチの革命の記憶を
あとから掻き立てる緊迫感のある交響曲とか、
ぐっと来るものがある。
でも、その政治的主張は年月を経てとうに風化していて、
芸術的価値だけが、今も鑑賞に堪えると言える。

今村仁司著の本、取り寄せる。
多木浩二著の本は、レビューを見て、
引用された部分を読んだだけで、お手上げ。

私がメモ書きを終えるまで、体力が持つかな。
この春中に間に合うかな、と気を揉む。
珈琲飲んで、焦らず、自分を励ましている。

爆音の空中戦の戦闘機 進撃にさえ酔っていいのか

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文化系の温故知新

2022-02-04 20:57:23 | 無題
下半期の仕事も目途が立ち、今日から、古書店で買った某全集のメモ書きを再開した。
前半は独文化考だったが、後半は20世紀文化論に入りつつある。
メモ書きを溜めておいて、あとで整理して、文章化するのが楽しみだ。
こればっかりやるつもりなので、当面、雑学を仕入れてここで披露することも
できないが、日々の出来事を引き続き綴りたいと思う。
今日は待ち望んでいた、エミール・タバコフのショスタコ全集が来た。
楽団はソフィア・フィルではなく、ブルガリア国立放送交響楽団だった。
思っていたより、爆演系ではなく、澄んだ音でゆったりとしたテンポで曲を奏でる、
堂々たる名演系だった。だが、曲が盛り上がるところは、切迫感満点でシビれる。
4番、8番、7番、11番と聞き終わった。4番や8番が隠れた名曲である。
キャッチーな7番「レニングラード」や、鬼気迫る11番「1905年」は、
言うまでもなく名曲。それがタバコフのブルガリア風味の名演系で聞ける。
それと、入手困難だったビートルズのDVD映画「ゲット・バック」が予約できた。
DVD3枚組で3500円って、かなり安いと思う。
映画「レット・イット・ビー」のために録った数十時間のフィルムの山を
編集して、明るく演奏している場面をつなげた新作映画である。
確かに映画「レット・イット・ビー」は物悲しくて暗かったから、
ポールがお蔵入りにしていたのだが、こんな形で未公開映像の多い再編集映画が
見られるのは嬉しい。値段が安いのは、DVDを買う人が減っているからだろう。
このように関心は多岐にわたっているが、今の時代に息を吹き込み、
温故知新で日々を過ごしたい。

次々と古い文化を温めて今の時代によく活かしたい

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする