マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」は19世紀を代表する回想小説である。
全13巻。ナイル川のように蛇行する、長大な文が延々と続く、回想文学。
これを書くために、プルーストは、交友も社交界の出入りも辞めて、
一日の大半を執筆に費やした。
非・意図的な想起と言われるその手法は、記憶と忘却が生んだ傑作で、
マドレーヌを紅茶に浸して食べているとき、幼少期の記憶が
不意によみがえってきたことから始まる、恋愛や恋人の女性関係や
社交界で出会った奇異な人々の描写を含む、労作である。
労作と言っても、例えば、ジャン・コクトーはそのなかに
常軌を逸した幸福への切望を読み取っていた。
些細な記憶の描写が、人生のシュルレアリスティックな面を時折見せる。
人生の模範生は、そのなかに、労苦と、強靭さと、禁欲の結実しか見ない。
だが、実は、そのなかに、甘美な快い要素も入り込んで、作品として
結晶していることを認めるのは、模範生には嫉妬で難しい。
この思い出しの作業のために、プルーストは、昼も暗幕を張り、
明かりで照らして、目の冴えた真夜中の状態を部屋に作り出して、
下書きもしないで、黙々と数千枚も書き続けた。
この回想文学は虚実入り混じっているが、この記念碑的作品は
誰もそれを越えることができない、記憶の大河である。
マドレーヌ紅茶で浸す場面から記憶の大河果てしなく書く
全13巻。ナイル川のように蛇行する、長大な文が延々と続く、回想文学。
これを書くために、プルーストは、交友も社交界の出入りも辞めて、
一日の大半を執筆に費やした。
非・意図的な想起と言われるその手法は、記憶と忘却が生んだ傑作で、
マドレーヌを紅茶に浸して食べているとき、幼少期の記憶が
不意によみがえってきたことから始まる、恋愛や恋人の女性関係や
社交界で出会った奇異な人々の描写を含む、労作である。
労作と言っても、例えば、ジャン・コクトーはそのなかに
常軌を逸した幸福への切望を読み取っていた。
些細な記憶の描写が、人生のシュルレアリスティックな面を時折見せる。
人生の模範生は、そのなかに、労苦と、強靭さと、禁欲の結実しか見ない。
だが、実は、そのなかに、甘美な快い要素も入り込んで、作品として
結晶していることを認めるのは、模範生には嫉妬で難しい。
この思い出しの作業のために、プルーストは、昼も暗幕を張り、
明かりで照らして、目の冴えた真夜中の状態を部屋に作り出して、
下書きもしないで、黙々と数千枚も書き続けた。
この回想文学は虚実入り混じっているが、この記念碑的作品は
誰もそれを越えることができない、記憶の大河である。
マドレーヌ紅茶で浸す場面から記憶の大河果てしなく書く