日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

トランポリンの子どもと大人。

2015-11-25 21:10:05 | 発達応援
 久しぶりに、前のCB400SFに乗って、買い出しに行きました。
2週間ぶりだったので、最初はエンジンがかかりにくいでしたが、
チョークを引くとガソリンの独特の匂いと共に始動。

 さて、と跨がってスタンドを払うと…。

 …重い。

 鉄の塊がずごごごごーと動く感じです。
これに比べると、今乗っているCBR250は軽い!
プラスティック製のバイクじゃないか、と思うほどです。

 2週間前までは、重いなんて思わなかったのになぁ~。
進化というか、後退というか、ですね。

 今日はトランポリンの日でした。
先週、うまくできなかった1回転ジャンプも
地上で練習とイメージトレーニングをしたおかげでできて、
言われている、すべきジャンプも冷静に聞けて(私比…)
進歩した気がした今週でした。

 一緒に練習している子どもたちは、保育園の子~小学生までと幅広く、
みんなそれぞれ、2級だ3級だと技のあるジャンプを練習しています。

 このくらいの子どもたちは、自分以外の人が練習していても、
それが自分と同じ級であっても、参考のためにじーっと観察したり、
ライバル心で相手はどのくらい?と見るということがあまりなく、
淡々と体育館の床で寝そべって、宿題したり、おしゃべりしたりして過ごしています。

 私は、というと、
一番高齢な上に初心者、しかも運動神経は良くはないので、
自分のとき以外も、じーっと観察したり、どんな注意を受けているか聞いたりしています。

 子どもたちも、自分がしないときは見たらいいのにねぇ、と思う一方、
自分が子どもの頃も、他の人の技を盗むべく、じっと観察するような子ではなかったな、と思い出しました。

 子どもには、体の柔軟性もあるし、練習する時間も取ろうと思えばたくさんあります。
大人と違って、体力もあるし、週1のトランポリンで体が痛いなんてこともないでしょう。

 大人は、限られた時間と先の見えつつある寿命を前に、
よく見て、効率的に学ぼうとする姿勢を取りがちなのでしょう。

 しかし、子どもはたくさんの時間と体力があり、
できなければ、できるまでしてもいいし、繰り返すための時間がたっぷりあります。


 このたっぷりの時間と体力のもと、
何度も失敗し、何度も繰り返すことが子どもの学ぶスタイルなのかもしれませんね。

 大人は、時間と体力を有効に使いたくて、
そういうやり方を時として、子どもにも求めているかもしれません。

 たっぷり時間と体力のある子どもにとって、
効率というのは、さしたる問題ではないと思います。

 子どもが体を使うことに有効さや効率を求めすぎていないかな、
そういうことも、ちょっと考えて行こう、
そんなことも考えたトランポリン教室でした。

 さて、大人のおばさんは、地道に且つ有効に練習をつづけるぞ!
とも思った、トランポリン教室でありました。

九十歳の北斎の富士山。

2015-11-24 22:18:41 | 日記
 今日は、昨日作った生姜シロップの生姜を一枚ずつキッチンペーパーに並べて、
しっとり乾いたら、ぶん蜜糖に一枚ずつまぶしたり、
また、生姜シロップの生姜を醤油と酒で佃煮風にしたり、
新ごぼうの酢漬けを作ったり、
行ったり出たりする合間合間に、なんやかんや作って楽しみました。

 小さい頃にままごとが好きで、葉っぱを刻んだり、
泥だんごを作ったり、軽石を削ってふりかけに見立てたり、
そんなことをしていたのと似たり寄ったりな気がします。

 基本的な部分は、人は変わらないのかもなぁ~と、おかしくなりました。

 「知恵泉」という番組で、葛飾北斎について特集していました。

 葛飾北斎は、北斎漫画の絵がコミカルだけどリアルで、デザイン的で何だか好きで、
本まで買ってしまいました。





 また、20代の頃に杉浦日向子さんという江戸を舞台にした漫画を描く人がいて、
北斎とその娘お栄を中心に描いた『百日紅』(さるすべり)という漫画が好きで、
北斎の絵や江戸時代って、こんな風だったかなぁ~と、
何度も読んだ覚えがあります。



 その番組の中で、北斎が最晩年に最後に描いたであろうという富士山の絵が紹介されていました。



 画像だと、よくわかりませんが、テレビではドアップになっていて、
白抜きの富士山に目が釘付けになりました。

 こんなにきれいな線を、決めるってどういうやり方でやるのでしょうね。
墨の滲みとか、線の震えとか、まったく感じさせない富士山の稜線に見ほれてしまいました。

 北斎展に何度か行くものの、人の多さと作品の多さに、
なんだか、ぼんやりと見てしまうことが多くて、この絵について意識したことがありませんでした。

 いつか、見る機会があれば見てみたいなぁ~と思いながら、
とりあえず、北斎展の図録を引っぱりだしてみよう!と思った夜でした。

白銀坂歩き。

2015-11-23 19:13:25 | 日記
 新生姜を買っていたのに、普通に料理に使ったり、
日に干して、普通の生姜にしてしまったこと、今年は2回。

 これでは、新生姜の時期が終わってしまう!
と、焦って、昨夜、新生姜をきれいに洗って、今日、やっと、生姜シロップになりました。

 さらに、塩漬けにしている新生姜を梅干しを漬けた後の、
紫蘇色に染まった、赤い梅酢に漬けて、梅酢生姜を作ります。

 祖母が瓶に赤い紫蘇のような、梅のような味の生姜を作っていたのは、
これだったんだなぁ~、と思い出しました。

 懐かしい味を母にもお裾分けしようと思います。

 昨日は、私が住む地にある「白銀坂」という場所に行き、
そこにある「布引の滝」というところまで山歩きを楽しみました。

 この「白銀坂」ですが、古代の頃には薩摩国と大隅国の国境になり、
江戸時代には「大口筋」と呼ばれ参勤交代でも通る道だったようです。

 石畳が敷かれた山道では、きっと、薩摩の殿様の命令のもと、
たくさんの人々が土木工事に携わり、大変だったことだろうなぁ~と思わずにはいられませんでした。

 途中、息切れで、寡黙になるような場所も歩きながらも、
普段、右足ばかり使う私は、左の足も意識して使うように努めました。

 しかし、気がつくと、右足でよいしょ、と段差をのぼり、
右足で、どっこいしょと段差をおりてしまいます。

 意識して、左足を使おうと止まりながら、左足で段差をのぼったり、おりたりしました。

 それで、気がついたのは、左足でのぼるときは、あまり違和感はないのですが、
左足で段差をおりたり、坂道をくだるとき左足から行こうとすると、
ストッパーがかからない感じになる、ということでした。

 ようするに、左の足の指にぐいっと力が入らないので、
なんだか、ずるずるずる~っと滑って行くようになってしまうのです。

 数日前の雨と曇り空で、山道が湿っているからかな、とも思い、
右足から段差をおりたり、坂道をくだってみましたが、
右足の場合は、ぐっと踏ん張りが効いて自分の思った通りに止まれている感覚もあります。

 山道の石があったり、落ち葉があったりする感じも、
右足のほうが、急に石に足が乗ってもぐらつきません。

 へぇ、こんなに違うんだな、右足と左足。
私の左足は、右足に比べて機能も半分くらいかもな、
ひょえ~、っと思いながら、白銀坂を後にしたのでした。

 舗装された道では味わうことのない面白さが、
未舗装の道にはありますね。

 そして、ただ、歩くだけでなく、
滑らない場所を、歩きやすい場所を、マムシはいないよね、スズメバチは大丈夫かな、
風の温度が変わったな、水の音が聞こえるな、緑の木々の香りがするな、などなど、
自分の色々な感覚を使いながら歩くのが未舗装の山道を歩く楽しさですね。

 ふと、オフロードバイクで北海道の林道を走った、
熊とあったらどうしよう!崖から落ちたらどうしよう!
ぎゃー、このガレ道行けるのーーーーーー!!!!!とドキドキしたことを思い出しました。

 自然は癒されるけれど、ドキドキがつきものだな、と思うことでした。




 

間延びした時間。

2015-11-22 22:23:58 | 日記
 買って2日ほどのリンゴが、外から触るとまるでグミ!
これは、腐ってるわ!と割ると皮のすぐ外側だけ茶色。

 流通が良くなって、冷蔵で来たものを、
冷蔵庫がいっぱいなので、外置きしていたのが悪かったのでしょう。

 1個だけ無事なものがあったので、
剥いて、生姜と砂糖をまぶしてリンゴジャム風にするべく、
別の小振りの紅玉も投入。

 おいしくできますように。

 子どもの頃の休みの日は、楽しいこともありましたが、
あー、なんだか、ヒマだな、退屈だな~という日がたくさんあったような気がします。

 土曜日は学校があったお年頃だったので、午後から遊ぶ約束をする日もありましたが、
日曜日は、私の家もですが、なんとなく、家で過ごす日という暗黙のルールがあったような気がします。

 どこのうちも、「お父さんが休みで家に居る日は、遊びに行っちゃいかんよ。」という感じだったのでしょうか。

 我が家は外出嫌い、人の多いところに行くのを好まない父の元、
観光地に行くこともお祭りに行くこともなく、
たま~~~に、これまた、唯一、父が外食で食べる、
「こむらさきのラーメン」を食べに行くくらいが、日曜日のお出かけでした。

 そして、時々、小学生の私は、
「あ~、ひま、ひま、ひま!たいくつ、たいくつ、たいくつ~~~ぅ。」と
歌うことになったのですが、何も変わることはなく、
ひとり、雲を見たり、読み飽きるほど読んだ漫画を読んだり、
ボールで遊んだり、足で頭をかく練習をしたり、足と手であやとりしたりと、
ひとりで色々、ごちょごちょ遊んでいました。

 「そんなにヒマなら、勉強でもしなさい。」と母は言っていましたが、
「それは、また、違うのよね。」と、子供心に思い、
「いいねぇ、色々、自分で考える時間があって~。発明もそういう人がするんだよ。」という父の言にも、
なんも発明浮かばんけど、そのうち浮かぶのかな、と呑気に縁側に転がっていました。

 そんな間延びしたような時間が、
私の子どもの頃には、たくさんありました。

 習い事や週末ごとにたくさんのイベントがある今は、
そんなぼんやりとしたときを過ごすことも、子どもたちはあるのかなぁ~。

 けっこう、そういう間延びした時間に過ごしたことが、
大人になったら懐かしかったり、肥やしになったりしているかもしれないなぁ~と、思うことです。

 明日は3連休の最後。
嗚呼、でも、祝日は早朝の仕事なのだ!

 がんばらねば!

やってみたい!に勝るものなし!

2015-11-21 20:30:46 | 発達応援
 久しぶりの頭痛に朝から苦しみました。
原因は、からだの冷えです。

 11月というのに、暖かいので昨日は七分袖Tシャツ,7分丈パンツでうろうろ。
夕方、ちょっと、首筋が冷々するなぁ~と思ったら、このありさま。

 早めの風呂に浸かり、味噌煮込みうどんに一味をぶっかけて食べて、
内蔵が温まったら、痛みが遠くへ行きはじめました。

 油断大敵ですね。

 今日は、小2の子どもさんとのフォイヤーシュタインでした。

 消しゴムのラーメンやシュウマイ、餃子などを分解して、
元のように作るという遊びをしました。

 いつも算数でも使っているおにぎり消しゴムが、ご飯と海苔と梅干しに分解できるので、
ラーメンやシュウマイ、餃子などの中華消しゴムも分解できるんじゃないかな?と、
思ったのではないかと思います。

 「できたてにするから」といって、
たくさんある中華消しゴムを次々に分解しはじめました。

 この様子を見ながら、
子どもにとって、同じものを見たり触ったりすることは大切なんだなぁ、と
つくづく思いました。

 中華消しゴムは、これまでも何度も算数のときやフォイヤーシュタインの遊びの場面で出てきています。
しかし、「分解して、でき立てにする!」と言ったのは今回がはじめてです。

 何度も手にして、色々な方向から見るとはなく、見て、
差し込んである穴を見つけたり、ちょっと浮いた感触を感じたりしながら、
「分解できそうだな。」と心の中にあたためて、
そして、やがて実行に移すときが来るのですね。

 分解しないものを見本として、1つずつとっておいて、
その子が目についた限りの中華消しゴムは分解して、「できたて」の中華消しゴム作りが始まりました。

 途中、味噌ラーメンとチャーシューメンのどんぶりを間違えて、
「見本見てね、どう?」というと、
「あ、間違えた!」と自分で気がついて直したり、
肉まんについているレタスをシュウマイに敷いたのを直したりもしました。

 自分が興味を持ちやりはじめたことは、
細部を見比べて、正しい形に直したり、面倒な作業も厭わないのですね。

 そうして、すべての中華消しゴムを元通りの形に直すことができました。

 自分の中から出てくる、「やってみたい」に基づく遊びや学習は、
本当に大切だなぁ、との思いでいっぱいになった、今日の学習の時間でした。