明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

夏色のおもいで チューリップ

2018-08-05 20:06:33 | 僕の音楽日記
松本隆さんが作詞家に本格的に
足を踏み入れ
作品とし送り出したものとしては

1973年10月発売の
この「夏色のおもいで」
が最初の作品であったことは有名で…

♪君をさらってゆく
風になりたいな
君をさらってゆく
風になりたいよ

君のという
聴視者に届ける
流行という 『風』になると
決めたであろう
松本隆さんのこの作品は
今後の自分の決意表明みたいな
ニュアンスが込められていたのでは
ないのだろうか?

チューリップというバンドの
インパクトを世間に与えたのは
綺麗なメロディラインと
コーラスワークの素晴らしさ

男性グループとして
まろやかで
音楽性とニュース性を持ち合わせて
バンドだった。

夏色のおもいで…

ちょっぴり
青くて
切ない感じの
背伸びできない
男女の恋愛を切り取った
詩の世界を
財津さんのメロディメーカーになるで
あろう予感と才能の片鱗が
この歌から開きだした。

覚えやすいメロディは
チューリップの初期の代表曲として
認識されただろうし、

歌謡曲でもない
フォークでもない
独自の色をもってデビューし
新ジャンルを確立せしめた。
まだないポジションを行ったチューリップ

夏色のおもいで

財津さん作曲でボーカルが財津さん本人でなかった
ことが
成功だったのか?
姫野さんのリードボーカルが
ハマった形として
この歌の甘く切ない感じが
姫野さんのボーカルで表された。





紫のハイウェイ クールス

2018-08-05 11:46:43 | 僕の音楽日記
12歳の9月ごろだったか?残暑残るその日

僕はA君の家に泊まりにいくことに
なっていた。

父親同士が会社の同僚で
その息子が歳が近いということで
幼少の頃から
よく遊んでいた。
家は近くはなかったが
バスで30分ほど離れたお互いの家で
夏休みとか
泊まりに行ったりきたりで
泊まることで長く楽しく遊べる事が嬉しくて
たまにそうして
双方の親が許すときなら
泊まりあっこの
相互交流をしていた。

A君はAいちくんといい

えーちゃんと呼んでいた
僕だった。

確か九月にAちゃんの家に泊まりにいくときだった。
その日は体調が思わしくなく
子供の頃はすぐ胃腸風邪をしやすい体質だった
、なまじっか
今でもそれを引きずってるけども…
胃腸風邪 僕の場合はバスに酔ったような
かんじで
リバースしそうに嗚咽が起こる。

食べるともどす
その繰り返しだった。

どうやらその時の僕はその症状のまま強行にA君の家に
お邪魔することにしたのだった。
とにかく遊びたいのが優先だった。

A君の家についても
体調が思わしくなく
結局体を丸めて横になってしまっていた。

何か楽しいことして
遊ぶ事に想いを馳せて
なんとか遊んでいたら
そのうち回復するだろうという
甘い読みもあったが、
やはりダメだった。

それでもその時苦しみの中で気持ち悪い体調の中
A君の部屋で見つけた
クールスの新譜。
「紫のハイウェイ」
レコードを持っていたA君
A君は僕より一個上の中学生だった。
なかなかすっ飛んでるなぁ
って思って
そのクールスを聞かせてもらった。

キャロル解散時に親衛隊的に
キャロルの解散に華を添えた
クールス。、
岩城滉一さんや横山剣さんがいた
あのクールス。

ボスは舘ひろしさん

不良の雰囲気をプンプンさせながら
ツッパリの男臭さが売りものだった


歌謡曲とアイドルにお熱の僕の知らない世界を
その時見せつけられ耳に入ってきた
ツッパリのアメリカロックンロール。

とりあえず体調が悪い僕に
重いカルチャーショックも与えられたが故に

強制的に家に返された。
やっぱり
遊べる状態ではなかったし、
泊まりもできる状態ではなかった。

あくまで泊まりにいくと
一歩も引かなかった僕は
体調悪くても
Aちゃんの家にとりあえず行ったが故に。

強制的に家に返されてから
父親 母親ダブルから
こっぴどく怒られた。

それみたことか!
と叱られた
叱られた!

(何も駄目押しでさらに色々言わなくても…)
そう思いつつ。
横になって目を閉じると
Aちゃんちで聴いた
クールスの紫のハイウェイが
ヘビーローテションしていた。