もう
時系列がよく分からなくなってきたけれど……
この歌がリリースされたのが
1979年の10月
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/63/8f6a4d8550fedac96ef9ab33ba9ee24d.jpg)
その夏
吉田拓郎のアイランドコンサート
イン篠島に初の拓郎のコンサートに
参戦し、
甲斐バンドもHEROが売れて
ベストテン番組にも出演
矢沢永吉さん
甲斐バンド
吉田拓郎さんと
シャウト系のアーティストが
脚光を浴びだした頃だった。
「安奈」はジワジワとヒットチャートを駆け上がり
HEROに続き大ヒットの雰囲気だった。
年が明けて
1980年
僕の中に
決意というか、玉砕というか、
白黒ハッキリさせなきゃならない
問題があった。
自分の中で完結させなければ
ならない、避けては通れない
問題。
それは前にも何回も書いた
通学時に同じ車両に乗り合わせる
ひとつ歳上の憧れの君に
僕の気持ちを告白する
ことへの
決意と決断
「どうせフラれる」
「所詮片思い」
「相手は歳上 世界が違う」
まずもって ネガティブシンキングから
心情を覆い尽くされて、
上手くいくなんて希望的観測も
恋が成就する確率はほぼ
0%といっていいくらい
負け戦のような
状況から
消去法的 に
この問題に決着をつけないと
前に勧めない!
と判断したんだろうね。
あの頃の僕は……
綺麗な思い出にするため
また、失恋の歌が出来る!
なんて
思いで告白に踏み切った。
女子クラスにいた憧れの君は……
放課時間を利用して
1人でその人の教室前に乗り込み
呼び出し
告白した。
その後
どこでどう返事もらったか?
あまり記憶にないが……
確か
もう一度 返事を聞きに彼女のクラスへ
出向き
返事を貰ったと思う。
さすがに 答えをもらうのに
1人で行く勇気がなかったのでクラスの友人1人を帯同して
行った。
返事は
予想外のOKだったことから
その時初めて
この世に恋の神様はいるんだと
確信したものだった。
しかしながら
前にも書いたけど
結果的には突然サヨナラを言われ
フラれることに
なったのだけれど
少しのあいだ
手紙の交換と2回デートをしただけの
生まれてはじめての彼女だった。
当時学生カバンの裏に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/88/19f336ea4388b5348da3b2fc00fbccfb.jpg)
このステッカー
貼ってあったなぁ
彼女の薄いカバンの裏に
甲斐バンドステッカー
の記憶。
あ、甲斐バンドが
好きなんだ……
と
その甲斐バンドもようやくメジャーデビューから
ベストテン番組のランクイン
するほど世間からの認知度が上がって来た時期だった。
あの頃の恋と彼女と甲斐バンド
全てが時系列の中で
濃い記憶として残っているものの、
強烈な記憶として刷り込まれてるのは
春休み中に突然別れを告げてきたこと。
むしろ
春でよかった。
季節が芽吹き
活動期になっていくこれこらの季節に
恋を終わらせてしまったのだから……
「安奈」
のロングヒットで
ふられた僕に
染みる歌詞の1フレーズがある
それは
「安奈」を歌いながら
フラれた事をいつまでも忘れられずに
くすぶっていた頃だから……
🎶 安奈 おまえに逢いたい もえつきたローソクに
もう一度 二人だけの愛の灯をともしたい
ここのフレーズを「安奈」を
彼女の名前に差し替えて歌ったものだ。
「K代」おまえに会いたい 燃え尽きたローソクに
もう一度2人だけの愛の火を灯したい~
泣きながら叫びながら
歌った記憶の
「安奈」
今でも
ずっと好きな歌だ。
学生時代最後の綺麗な思い出の中にある
ひとつの歌が
今もなお
色褪せないで
フレーズの中に
思いが
溶け込んでいる。
彼女がファンだった甲斐バンドに
恨めしい気持ちを増幅した思い出がある。
しかしながら……
時間は止まったまま
また、どこかで会えるとかそんなこと
ちっとも、起こらなかった
見事なくらい
そんなことが1回もないというのも珍しい事で……
かえってそれが、思い出を綺麗に
切なくさせている。
時系列がよく分からなくなってきたけれど……
この歌がリリースされたのが
1979年の10月
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/63/8f6a4d8550fedac96ef9ab33ba9ee24d.jpg)
その夏
吉田拓郎のアイランドコンサート
イン篠島に初の拓郎のコンサートに
参戦し、
甲斐バンドもHEROが売れて
ベストテン番組にも出演
矢沢永吉さん
甲斐バンド
吉田拓郎さんと
シャウト系のアーティストが
脚光を浴びだした頃だった。
「安奈」はジワジワとヒットチャートを駆け上がり
HEROに続き大ヒットの雰囲気だった。
年が明けて
1980年
僕の中に
決意というか、玉砕というか、
白黒ハッキリさせなきゃならない
問題があった。
自分の中で完結させなければ
ならない、避けては通れない
問題。
それは前にも何回も書いた
通学時に同じ車両に乗り合わせる
ひとつ歳上の憧れの君に
僕の気持ちを告白する
ことへの
決意と決断
「どうせフラれる」
「所詮片思い」
「相手は歳上 世界が違う」
まずもって ネガティブシンキングから
心情を覆い尽くされて、
上手くいくなんて希望的観測も
恋が成就する確率はほぼ
0%といっていいくらい
負け戦のような
状況から
消去法的 に
この問題に決着をつけないと
前に勧めない!
と判断したんだろうね。
あの頃の僕は……
綺麗な思い出にするため
また、失恋の歌が出来る!
なんて
思いで告白に踏み切った。
女子クラスにいた憧れの君は……
放課時間を利用して
1人でその人の教室前に乗り込み
呼び出し
告白した。
その後
どこでどう返事もらったか?
あまり記憶にないが……
確か
もう一度 返事を聞きに彼女のクラスへ
出向き
返事を貰ったと思う。
さすがに 答えをもらうのに
1人で行く勇気がなかったのでクラスの友人1人を帯同して
行った。
返事は
予想外のOKだったことから
その時初めて
この世に恋の神様はいるんだと
確信したものだった。
しかしながら
前にも書いたけど
結果的には突然サヨナラを言われ
フラれることに
なったのだけれど
少しのあいだ
手紙の交換と2回デートをしただけの
生まれてはじめての彼女だった。
当時学生カバンの裏に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/88/19f336ea4388b5348da3b2fc00fbccfb.jpg)
このステッカー
貼ってあったなぁ
彼女の薄いカバンの裏に
甲斐バンドステッカー
の記憶。
あ、甲斐バンドが
好きなんだ……
と
その甲斐バンドもようやくメジャーデビューから
ベストテン番組のランクイン
するほど世間からの認知度が上がって来た時期だった。
あの頃の恋と彼女と甲斐バンド
全てが時系列の中で
濃い記憶として残っているものの、
強烈な記憶として刷り込まれてるのは
春休み中に突然別れを告げてきたこと。
むしろ
春でよかった。
季節が芽吹き
活動期になっていくこれこらの季節に
恋を終わらせてしまったのだから……
「安奈」
のロングヒットで
ふられた僕に
染みる歌詞の1フレーズがある
それは
「安奈」を歌いながら
フラれた事をいつまでも忘れられずに
くすぶっていた頃だから……
🎶 安奈 おまえに逢いたい もえつきたローソクに
もう一度 二人だけの愛の灯をともしたい
ここのフレーズを「安奈」を
彼女の名前に差し替えて歌ったものだ。
「K代」おまえに会いたい 燃え尽きたローソクに
もう一度2人だけの愛の火を灯したい~
泣きながら叫びながら
歌った記憶の
「安奈」
今でも
ずっと好きな歌だ。
学生時代最後の綺麗な思い出の中にある
ひとつの歌が
今もなお
色褪せないで
フレーズの中に
思いが
溶け込んでいる。
彼女がファンだった甲斐バンドに
恨めしい気持ちを増幅した思い出がある。
しかしながら……
時間は止まったまま
また、どこかで会えるとかそんなこと
ちっとも、起こらなかった
見事なくらい
そんなことが1回もないというのも珍しい事で……
かえってそれが、思い出を綺麗に
切なくさせている。