運が欲しい

心の貧しさが運を下げる。もしもこんな方程式があったとしたなら。
知恵と勘を磨きながら、心の動きを探求。

戦国時代には珍しい忠義の人

2014年11月09日 23時59分27秒 | 日記

人が見てないから良いだろうとか、ちょっと苦労して貰おうかな、と仕込んだら形を変えて自分に返って来た。
この時、どう思うかが大事。
何故かと言うと神は心を見るからと、聞いた事が有ります。

ある神主さんが、日々の心遣いの積み重ねが次の人生の生まれる場所になると。
次、運を下げる事無く、苦労したくなければ奉仕心で仕事することです。

そうすればお金、生活に事欠く事は絶対ないと。
ただ、間違った考えや人を形に嵌めようとする思いが有れば、諭されたり、悪評が自分に返って来たりと。


黒田官兵衛が会社のマネジャーだったら【1】(プレジデントオンライン) - goo ニュース
機略縦横の辣腕コンサルタント。そんなイメージで語られる黒田官兵衛だが、現実には黒田家という組織を率いる「社長」であり、実践家。なによりも戦国時代には珍しい忠義の人だった。彼がもし現代日本の企業社会に蘇ったら?

■処世術[1]借金膨張、倒産の危機

大企業に比べて資金力に乏しいのが中小企業。たとえ新製品の出来がよく将来的に大口の取引が見込めるというケースでも、目先の運転資金が尽きてしまえば万事休す。新たな出資者や融資元が現れないかぎり、会社を畳むしかないでしょう。もし官兵衛が現代の経営者だったら、どう行動するか。おそらくは、大企業グループの傘下に入ることを考えるだろうと思います。ポイントは3つあります。第一に、よい身売り先を選ぶこと。第二に、できるだけ高く売ること。第三に、買われたからには、誠心誠意尽くすことです。

官兵衛が家老として仕えていた播磨国の小大名・小寺氏は、戦国末期に台頭した東の織田氏と、中国地方で強い勢力を持っていた西の毛利氏に挟まれ、これまで通りの独立を続けることができなくなりました。ビジネスに置き換えると「取締役として働いていた会社が、もはや独自経営を維持できなくなった」状態にあたります。

織田と毛利のどちらを選ぶか。それによって小寺家が栄えるか、滅びるかが決まるのです。後世の私たちは結果を知っているので、「当然、織田方だ」と思いますが、当時の人はその後の歴史を知りません。このとき官兵衛は、迷う主君を説き伏せ、織田氏の側につくことを決意させます。いわば親会社ともども、「織田財閥」という大企業の傘下に入ることを決断したのです。

五分五分の状況の中で官兵衛が織田氏を選んだのは、織田信長に新しい時代をつくろうとする強い意志を感じたからではないでしょうか。地域割拠という室町時代以来の古い統治方法を続ける毛利家と比べ、織田がめざす天下統一がもし成就すれば、戦いのない新しい世界が生まれるかもしれないのです。また、そこには官兵衛自身の好き嫌いもあったでしょう。「古い毛利」ではなく「新しい織田」を選んだのです。次のポイントは、自らを「高く売る」こと。そのためには「大企業から見たとき、当社を買うメリットはどこにあるのか」と懸命に考えることが必要です。もちろん、借金が多く倒産寸前だとしたら、それは明らかにデメリット。しかし企業の価値はそれだけではなく、事業の将来性、人材、商圏など、さまざまな評価軸があります。たとえば独自技術、新製品、人材といった強みがあれば、それを身売り先にきちんとプレゼンテーションし、買収後の好待遇を約束させるべきでしょう。

小寺氏が織田側につくことを決めると、官兵衛は自ら信長のもとに赴きます。規模は小さくても、播磨の中央部に位置する姫路の戦略的重要性を説き、「織田家の中国攻めの際は小寺氏が先鋒を務める」と申し出ます。

当時の姫路城は、小さな館と砦しかなく、地理的な利点ぐらいしか手持ちのカードがない状態です。そこで官兵衛は数少ない自分たちの強みと、織田家に献身したいという気持ちを精一杯アピールしたのです。城が播磨の中央ではなく、もっと東か西にあったとしても、それならそれで、なんとかセールスポイントを探して、それを身売り先の信長に訴えたことでしょう。

第三のポイントは、熱意・献身。買われたからには、身売り先に誠心誠意尽くさなくてはなりません。官兵衛は、「生涯、織田家の一員となってやっていく」と決意表明し、その証しとして、自らの居城である姫路城を中国方面の司令官である秀吉に提供します。さらに官兵衛は、自分の嫡男・長政を、織田家に人質として差し出しました。本来なら、家老の官兵衛ではなく主君の小寺氏が人質を差し出すべきところです。しかし官兵衛は、主君に代わって息子を人質として差し出し、二心のないことを示したのです。

■処世術[2]新事業ハシゴをはずされ左遷

せっかく新事業の立ち上げに奔走し、新しい事業部がスタートするというのに、功労者のあなたを待っていたのは関連会社への出向人事だった……。サラリーマンには珍しくない蹉跌です。

官兵衛なら、黙って左遷を受け入れるでしょう。不平不満を漏らさず、粛々と新たな職場で与えられた仕事をこなし、きちんと成果を挙げたはずです。さらに左遷そのものを、自己を見つめ直し、バージョンアップさせる機会とすると思います。

官兵衛の故事では、「有岡城の幽閉」がそれに当たります。織田方から毛利方へ寝返った主君の小寺政職に翻意を促すため、小寺の盟友である荒木村重の居城有岡城に向かい、そこで捕らわれ、地下牢に幽閉されます。

このとき、官兵衛がもし「織田を捨てて毛利方につく」と言えば、おそらくすぐに牢から出され、荒木氏の軍師として用いられていたでしょう。戦国時代はそのような寝返りは日常茶飯事で、それで咎められることもなかったのです。しかし官兵衛はあえてそれをせず、1年の間、牢に留まりました。

大事なのはここです。主君に裏切られても、自分は裏切ることがなかった官兵衛は、九死に一生を得た後、「決して人を裏切らない男」という評判を得ます。これは当時の武将としては稀有なことでした。その評判が、のちの活躍の基礎となりました。

官兵衛は秀吉の軍使としてさまざまな敵と交渉し、その多くを戦わずに降伏させています。それができたのは、敵方からも「決して裏切らない男」「彼の言うことなら聞いてもいい」と信頼されたから。官兵衛は幽閉という悲惨な体験を通じて、信用を得たのです。

出世することを心の支えとして働いているサラリーマンにとって、左遷は非常に辛いことです。しかし抵抗しても無駄ですし、文句を言っても状況はまず変わりません。そもそも、地方の支店であれ子会社であれ、左遷された職場であっても、そこには仕事があり、そこで働いている人たちがいます。新事業を立ち上げるくらいの実力があれば、必ず新しい職場でも、良い仕事をして成果を挙げられるはず。世間から左遷と見られても、そこで腐らず、努力して成果を出せば、普通に働いているだけでは得られない信頼が身につくはずです。

(以下略)


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