8/8付け朝日新聞・五線譜のコーナーに掲載された記事を読んで心打たれるものがありました。長崎の爆心地から500m離れたところに自宅があった女性(大塚さん・82歳)の体験談でした。投下された午前11時2分には、大塚さんは勤労動員で県庁のビルにいて助かったものの、母親と妹と2人の弟を失いました。
母親は、昼の支度でもしていたのか、焼け落ちた台所で黒こげになって倒れていて、触れるとポロポロと崩れたとのこと。野球好きの弟たち(11歳と9歳)は、外でボール投げでもして遊んでいた時分で、捜し回ったが、遺体は見つからなかったとのこと。
『青い空は』の歌の歌詞にあるように、弟たちは『影まで燃え尽きた』のでしょうか。
愛する者の存在を一瞬の間にこの世から消してしまう原爆の恐ろしさを改めて痛感します。
大塚さんは、どんな思いで弟たちを捜し続けたのでしょうか。
崩れる母親の遺体に触れながら、どんなに悲しい思いがしたことでしょう。
夏の高校野球の中継をテレビで観戦しながら、大塚さんは球児たちの姿の向こうに、亡き弟たちが大好きな野球で活躍する姿も見ているのではないかと思います。
家族の幸せと未来を一瞬のうちに消し去ってしまった原爆 … 改めて、核兵器の廃棄と核のない平和の実現を切望します。
アメリカは、原子爆弾を投下した正当性(戦争を早く終結させることができ、戦争による犠牲者を最小限に食い止めることができた)を主張し、投下したことの謝罪はしないという立場をとっていたのですが、オバマ大統領のプラハでの演説以来、広島での平和祈念式への大使の派遣等を通してそのスタンスを少しずつ変える方向にあるのは 大きな前進だと思います。潘国連事務総長の核兵器廃絶の決意と平和希求への熱いメッセージも心強く感じました。ただ、広島での平和祈念式後の会見で、菅総理は核抑止力肯定の発言をしたと報道されています。核兵器の存在を肯定する考えや現実論からは、核のない世界を目指す展望が生まれないように思います。世界で唯一の被爆国である日本だからこそ、核兵器の廃絶と核兵器に頼らない平和の構築と大切さを訴える必要があるように思います。
核のない平和な世界を実現するために小さな一人であってもできることを、改めて自らに問い続けていきたいと思います。
追伸:インターネットのニュースによると、イタリアに広島・長崎通りという名のついた通りができるとのこと。また、イタリアの小学生のつくった千羽鶴が寄贈されたり、イタリアの高校生が長崎や広島の平和記念館等を見学したり、被爆者の方の体験談を聞いたりする活動も行われているとのこと。国の枠や世代・人種を超えて、核のない世界を願う人の輪が広がることをとてもうれしく思いました。