荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

江島杉山神社

2014年08月16日 | 散文





江東区千歳1丁目は一之橋近くに「江島杉山神社」がある。
苗字を2つくっ付けたような名前だが・・・?





若い女性が長い間お祈りをしていた。

由緒書きによると、ここは関東周辺の琵琶法師や鍼灸師、按摩などの盲人を統括していた総禄屋敷の跡だそうである。





由緒書きを続ける。
杉山和一は伊勢の国に生まれ、幼少時に失明した。
江戸の鍼灸師に弟子入りした後、京都の鍼灸師に師事した(この時代に、いや今でも盲人が故郷を出て江戸や京都で修業をするのは大変な事であると思う)。
厳しい修行の後、江の島の岩窟で7日間の断食修業を行った。
その満願の明け方、岩窟を出た時に岩に躓いた。
手に何か刺さるものがあったので確かめると、筒状に丸まった枯葉の中に松葉が入っていた。
これによって、いくら細い鍼でも管に入れれば、盲人でも的確にツボに打つことができるとの着想を得た(現在の鍼を打つ方法である)。

多くの弟子を集めて盲人教育の場とし、職業の確立を進め検校の位を受け、更に総検校の位に進んた。
日増しに名声が高まる中、5代将軍綱吉の治療を行った際に褒美を求められた杉山は「ただ一つ目が欲しゅうございます」と答えた(盲人の切なる気持ちが伝わって来る)。
それを聞いた将軍は、一つ目(本所一之橋隣地、つまり此処)と関東総禄検校職を与えた(願いを叶えてやりたいが、いかな将軍でも目は与えられない)。

(時代劇で検校と言えば、強欲悪徳人としてよく描かれている。検校は将軍の体に直接触れることが許されたので相応の地位が与えられた。そして、将軍と密室で話ができることによって政治力を持つようになる。その権力をカサにきた悪徳検校の話を読んだ事がある・・・。彼の事か?いや、こうして祀られているのだから、別人だろう。)

神社の名前は、土地の拝領者と彼が修業をした地の、江の島弁財天を勧進した事による(なるほど、名前の由来が分かった)。





ここには鍼治療所も合わせて建てられたそうである(現在も本殿の隣りに「杉山鍼灸治療所」がある)。




神社の右側に、彼が断食修業をした江の島の岩窟を模したものがある。
覗いてみる。





入って行くと正面に検校像があって、右に祭壇がある。




更に進むと、左奥にも灯りが灯っている。




よく見ると、陶器製の白蛇がいっぱい供えられている。
なるほど、白蛇は弁天様のお使いである。





どこの神社でも石柱に寄付者の名前を刻んでいる。
ここにも多くの名前が刻まれている中で、「昭和21年12月結婚記念」の文字があった。
太平洋戦争が終わって僅か1年半後である。
平和の到来と自分達の人生に期待を込めて、結婚の記念を刻んだのだろう。





近くにかき氷屋があった。
真夏の午後である。

杉山和一の努力精進とその業績に触れ、長い間お祈りをしていた若い女性の切なる願いに遭遇し、結婚記念を石柱に刻んだ新婚さんの喜びと希望に出会って、・・・満足度の高い一日でした。




コメント
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