ああ、益々崩れていますねえ。
ここは御台場跡です。東京湾のフジテレビが在るお台場とは随分趣は違いますが、その役割は一緒です。
説明板が有ります。
「ペリーがこんな田舎に攻めてくるわけが無い!!」と今では笑い話ですが、当時の松山藩は真剣だったのです。幕府から言われるし、、
御台場跡だと言われなかったらわからないくらい低くなっています。
松が生い茂って益々何だか分かりません状態です。
すぐそこが桜井海岸です。いつ見ても穏やかな海です。
瀬戸内海の向こうの四国山脈の上に雲が掛かっています。
山脈の向こうの高知県と違って、この景色は向上心の無い人間を創り上げます。物成りが良くて、いつでも漁ができて、あくせく働かなくても食べていける。そんな故郷です。
瀬戸内の狭い場所今では考えられない様なちゃちな大砲で
入ってきた船を撃つのには適した場所だったんでしょうね
いたるとこにこのお台場と言われる砲台跡が残ってますね
鞄に入った発射装置のボタン一つで核弾頭積んだミサイル打ち込める時代 今のこどたちから見ると
原始時代並みの玩具に見えるのかも(笑)
宇和島藩にもありますか?
日本中がパニックになっていたのでしょうね。