景色が白くて陰影が無いです。猛暑日の「ギャラリー猫町」です。いつも置いて眺める愛車が石垣に溶け込んで、存在が希薄です。
眩しい猛暑日の昼下がりです。目を細めます。
いつものように石段を上ります。
子猫の手摺りです。
何故か今日も休館です。
「猫町」のレリーフが、すっかり蔦に覆われて文字が読めません。
このレリーフが好きなんですが、絵も見えません。
谷中は猫の町です。
いつも好い風景です。
夏が終わると蔦が刈られます。
紅葉するまで残して置いて欲しいのですが、、、
景色が白くて陰影が無いです。猛暑日の「ギャラリー猫町」です。いつも置いて眺める愛車が石垣に溶け込んで、存在が希薄です。
眩しい猛暑日の昼下がりです。目を細めます。
いつものように石段を上ります。
子猫の手摺りです。
何故か今日も休館です。
「猫町」のレリーフが、すっかり蔦に覆われて文字が読めません。
このレリーフが好きなんですが、絵も見えません。
谷中は猫の町です。
いつも好い風景です。
夏が終わると蔦が刈られます。
紅葉するまで残して置いて欲しいのですが、、、
ホームに向かう路地の左側が、ポッカリ空きました。
狭い路地を歩いていた身とすれば、慣れない景色です。
ホームから振り向きます。この辺にタバコ売りの窓口が有りました。その向こうが書店の出入り口でした。
この辺に、仕入れた古書が積まれていました。
あの、ちょっと色が違うアスファルトの部分に家が建っていました。住居兼書店とたばこ屋でした。
乗客がやって来ます。新たな日常の景色です。
線路の向こうは梶原商店街です。
緞帳のように都電が視界を遮ります。
緞帳が開きます。何も変わらない日常の継続です。梶原書店だけが無くなりました。
あの老夫婦は、今何処で何して暮らして居るんだろう?
在りし日の梶原書店の記事はこちら。
相変わらずゆっくりとした工事でした。江戸川区で荒川越しに、高速道路の陰で日除けしながら眺めたりしていました。
クレーンが2台になりました!今までに無い体制です。新局面に入るのだろうか?工場門まで走りました。
軽油の給油施設前から。
煙突のすぐ傍からも。
そして生コン工場の駐車場から見上げます。
随分ずんぐりむっくりになりました。交通量の多い工場団地です。
隣の工場門の前からです。もうすぐここからは見えなくなります。
次の局面が楽しみです。
パリオリンピックでの日本人選手の活躍は、多くの人が興奮したと思います。本来は国と国の戦いでは無いのだけど、やっぱりナショナリズムが掻き立てられます。江東区文化センターの掲示板に「堀米雄斗選手」の記事が掲示されていました。区も興奮冷めやらず、です。
読売新聞の号外を引き延ばしたものと思います。「堀米 金 スケボー男子連覇」です。代表選考会と同様、最後の試技で金メダルを取った過程と連覇のドラマ性で、いっそう日本中を沸かせました。地元も湧いています。
そしてやっぱり有りました! 彼が卒業した中学校です。「夢と希望そして感動をありがとう!!!」です。
校舎にも有ります。前回も幟が出た母校です。
前回の「東京2020」では、オリ・パラ金メダリスト全員のゆかりの地に「ゴールドポスト」を設置しました。堀米雄斗選手の場合は、都営新宿線東大島駅前に設置されました。「ここでスケボーをやっちゃいけない!」と散々叱られたであろう公園の傍です。
さて国は、今回は何処に何を設置するのでしょうか? 同じポストのような気がします。日本の何処にでもあるので対象にし易いです。
樹が多い公園は、やっぱり日陰が多いです。
でも、この暑さじゃ誰も居ません。
元々人が居ない公園です。
公園の境には住宅が並んでいます。
静かなんだけど、水道やテレビの音が漏れ聞こえる場所なんです。
でもさすがに今日は、何処の家も窓は開いていません。
ここは東京藝術大学発祥の地です。木陰に佇む岡倉天心記念堂です。
一時の木陰です。
真夏のシンボルが満開になりました。
夏空にクッキリと大観覧車です。
葛西臨海公園のひまわり畑です。
ひたすらひまわりと観覧車を追いました。
真横からも。
夏空です。
宇迦八幡宮の提灯が夏日を白く弾いて真夏の風景です。
久しぶりに、境内に足を踏み入れます。氏子でも無い、縁もゆかりも無い神社です。時々思いついて覗きに来ます。
もうすぐ式年大祭なんですね。
境内には干田庄兵衛の石碑が有ります。以前住職に聞いたところ、本社は空襲で焼失して移転して来た為、記録が残っていないので、謂れは分からない、との事でした。でも、こうして祀っています。「みがわり地蔵尊」の幟があるので、住民の身代わりになった干田庄兵衛さんを祀っているに違いないのですが、なんでそうなったのかが分かりません。
話を戻します。干田庄兵衛さんの祭りではなくて、「宇迦八幡宮」の祭りの準備です。
住職が幟を立てて、私の隣で出来栄えを確認している処です。
時々覗きに来るのは、この「軍馬盛敬號ノ碑」に変わったことが起きていないかを確かめる為です。隣の住職に質問します。やっぱり先代の住職から聞いた冒頭の話と同様、何も新しい情報はありません。
裏には、「軍馬盛敬號は元騎兵伍長榊原平三氏の乗馬たり」で始まる、石碑を建てた謂れが記載されています。日本人の多くが読だであろう「坂の上の雲」という小説があります。主人公の一人秋山好古が、日露戦争で当時世界最強と謳われたコサック騎兵団と、中国奥地で互角に渡り合ったシーンがあります。その戦闘で実際に戦った軍馬の碑です。 この石碑を覗きに時々来ています。
それと共に、下町らしからぬこの静謐ぶりが気に入っています。
新たな情報を得てやって来ました。今度の住職が教えてくれました。宇迦八幡宮は、商店街の交番辺りに在ったのことです。私は、盛敬號の主人榊原伍長は、この界隈の出身ではないかと想像しています。だから彼の氏神である宇迦八幡宮に盛敬號の石碑が有るのではないかと思っています。
「干田5丁目」です。隣の地名が「海辺」です。今は随分と海から遠いですが、昔はこの辺りが海で、干し上げて田んぼを造ったと想像できます。「宇迦」とは食糧のことです。五穀豊穣と大漁を祈念する氏神様です。冒頭の「干田庄兵衛」さんと関連があるように思います。そして、盛敬號の主人榊原伍長は、この界隈の半農半漁の家に生まれたのではないでしょうか?
もう民家ばかりの商店街です。商店街の名前も分かりません。
道路を渡って見る交番と商店街です。しみじみと眺めます。
えっ? いや、例大祭には行きません。思い入れはありますが、氏子じゃ無いし縁もゆかりも無いもの。
藤棚の下で「氷」が揺れます。日陰がありがたい猛暑日です。
くず餅の老舗店「船橋屋」です。
「いちごミルク」を頼みました。少々お高いかき氷です。
大きいです。通常の2倍近くあります。
いちごの潰したのと練乳が別の容器に入って来ます。かき氷はいちごミルクが一番好きです。子供の頃の好みをずっと引きずっています。
半分くらい掛けました。日の丸みたいだと思いました。
梅干しおにぎりみたいになりました。
見た目は美しくないですが、苺の切り身が入っていて美味しいです。ぐちゃぐちゃにして食べました。
すっかり満足した外はまだ猛暑です。
界隈は地盤沈下した海抜ゼロm地帯です。坂があったらその先は大概川の土手です。こんな街です。
ずっとこのままなんです。
閉店してからずっとなんです。
出窓の中も、おそらくそのままだと思います。
営業している時と変わりません。すぐに再開できそうなんです。
でも、閉店に際して、家を覆っていた名物の蔦を切りました。
決心は固いです。
不忍池はハスの名所です。今年はハスに風鈴が加わりました。
そして今年も清楚にハスが咲いています。
夏空に風鈴が似合います。
ハスの波の先に緑の屋根の弁天堂が浮かびます。波の中のハスの花が彩りを添えます。
夏の不忍池の景色です。あのタワーマンションの最上階に住んでいた中尾彬さんは今年亡くなりました。動物園や不忍池を見下ろすのが好きだったようです。動物園で最後に寝舎に入るのは象だと教えてくれました。
浄土に咲く花です。
熱い風が風鈴を涼やかに鳴らします。
池畔の鑑真像です。
もうすぐ旧暦のお盆です。
夏の海と言えば「湘南」でした。田舎の少年の憧れでした。転勤して30歳過ぎた頃行きました。何だこんなものか⁉︎ と思いました。湘南ブームは終わっていました。・・・もう海にもプールにも泳ぎに行きません。
さて、都心のビル群を背景に監視員が海を眺めています。よく見ると、その向こうで先獲り写真を撮るカップルが居ます。全然海水浴場らしくありません。
干潮まで約30分の海です。
監視員は暇そうです。
殆ど泳いでる人は居ません。
そもそも遠浅なんで、ずうっと沖まで行かなければ泳げません。干潮では海水浴にならない海です。
海岸の東を見ます。
此処にも監視員が見張っています。
見張っている海です。
海水浴場の東端です。背景は「東京ディズニーリゾート」です。
背後は監視員小屋です。
全然海水浴場らしくない海岸です。東京初の「ラムタール条約湿地」です。小池知事のサインが有ります。先日神宮球場での始球式で、膝を剥離骨折しましたね。全治2ヶ月とか。
「年寄りの冷や水」とか言われる年齢なんだから・・・。
今日は子供神輿の渡御でした。
夏空の下の富岡八幡宮朱鳥居です。この時期各地で夏祭りが行われています。東京下町でも夏祭りです。右脇に宮元町会の御旅所があります。
流石は宮元町会です。おらが町会の神輿が鳥居脇に鎮座しています。日陰なのにキラキラしています。
渡御は明日の朝です。境内には多くの屋台が出ています。ホントは夜の方が風情があるんだけど、縁日を覗きます。
結構賑わっています。
縁日の雰囲気を楽しめます。
老若男女、邦人異邦人が楽しんでいます。私も歩きます。
金魚すくいもやっています。
あんず飴も。かき氷も。
神輿蔵が開放されています。ここの神輿は日本一・二の大きさです。
気の毒に、伊能忠敬像は屋台の後ろに隠されています。いつもだったら、多くの人が「ほお、あの」とか言いながら眺めて行くのにね。
鳥居下から街を見ます。左に宮元町会の神輿が鎮座して、右には浴衣の外国人が歩きます。東京下町らしい風景です。
その先の歩道です。バケツや水槽を置いて、祭りの準備が整っています。この時期の祭りです。「水掛け祭り」とも言われています。15日にその大人神輿の渡御が行われます。おらが神輿とおらがパフォーマンスの見せ所です。
昨年の渡御の様子はこちら。
江東花火大会の前日風景です。花火は毎年「山の日」の振替休日に行うようになりました。そして、昨年から有料にしました。その会場周辺です。荒川の土手はもう全面がブルーシートに覆われています。1つのシートが5つに区切られています。
沢山のポリタンクに水が入っています。なんだろう?
蛇口が有って、鏡も有ります。手洗い場です!
背後に移動式の公衆トイレが設置されています。これが各所に有ります。
昨年のこの界隈はテーブルを囲んだテラス席でした。今年もラベンダーが満開です。花火台は、あの葛西橋と下流の清砂大橋の間に台船を設営します。
屋形船の係留場です。
荷物が運び込まれています。
「晴海屋」の大型屋形船です。稼ぎどきです。
トラックを横付けにして搬入中です。
天ぷら油です。ドラム缶は燃料の軽油だと思います。
忙しそうに桟橋を行き来しています。
花火台の近くに戻ります。
椅子が整然と並べられています。昨年、有料にして客は納得するんだろうかと思って見ていましたが、キチンと催行していました。納得の設営です。
「宗家鍵屋」の花火です。江戸時代から続く鍵屋は、現在も新小岩に在ります。現社長は若い女性です。
提灯がずらりと並びます。
設営業者がアルバイトの作業員を運びます。
会場が整えられていきます。
清砂大橋の下には携帯電話会社の車が駐留しています。携帯電話の電波フォローだと思います。
橋の下はその他諸々の資材です。
いよいよ明日です。天気が良い事を願います。そう、私も見るんです。
おお、谷中銀座に人が少ないです。この暑さです。歩いている人は疎らです。旅行で来てしまった外国人くらいです。
猫が見下ろす商店街です。
商店を眺めながら自転車を押します。「ひゃっこい祭り」の最中です。
どうしてもかき氷に目が行きます。
イルカかと思ったら、サメが居ました。新しい店です。サメ唐揚げの店なの?
もしもし、「ひゃっこい祭り」ってなんですか?
早稲田行きの都電が通って停留場に停車しました。遮断機が上がります。
鉄路が焼けています。上からも下からも暑い熱いです。
三ノ輪橋行きがやって来ます。
踏み切りを通り過ぎます。
ガタンゴトンと去って行きます。
すぐに早稲田行きがやって来ます。踏み切り横はなおさら暑いですね。
さすがにこの時期、窓を開けている部屋は有りません。