パリ五輪が始まり、早速さまざまなドラマが生まれています。
勝利を期待されたチームや選手が、思わぬ相手に負けたり、競り合いを落としたりで、出だしから躓くケースが散見されます。バレーボール男子のドイツ戦、体操予選の橋本大輝選手の鉄棒、卓球混合ダブルスの張本・早田ペア1回戦負けなど。それでも、これらの選手たちにはまだ、これから挽回できるチャンスが数多く残っていますから、頭を切り替えて前を向くだけであります。むしろ、出だしの失敗を糧にして、このあと大変な偉業を成し遂げることだってあり得ますから。
しかし、柔道女子52㎏級での阿部詩選手の2回戦での敗戦はそういう訳にはいきません。戦う前から「絶対王者」と世界中から祭り上げられ、想像を絶するプレッシャーと闘いながらこの日を迎えて、1回戦から順調に身体も動いて、この対戦でも序盤からリードを奪っていたのに、まさかの隙を突かれての一本負け。敗戦直後の号泣と嗚咽は、心の奥から自然に溢れた無念の叫びだったと思います。
恐らく、この時の阿部詩選手の脳裏には、さまざまな想いが駆け巡ったことでしょう。これまでの血の滲むような努力と忍耐は何だったのか、何が足りなかったのか、いや次の4年間のための試練なのか、でもまた同じような鍛錬を続けることができるのか・・
神は「乗り越えられない試練を与えない」と言いますが、試練を与えられた本人からすれば、この言葉自体が心に傷をもたらす大きな原因にもなります。
「乗り越えられない試練」だって世の中には存在します。試練を乗り越えられる強靭な人間ばかりではありません。むしろ、その心の痛みと共に、そのあとの人生を生きていく人間の方が圧倒的に多いのです。
ワタクシも、若い頃に「取り返しがつかない失敗」をした経験があります。今でこそ、その「取り返しがつかない失敗」とは「その時点の自分がそう思い込んだ失敗」だと人に話せる状態となりましたが、その時の心の傷は、その後30年以上も時間をかけてユックリと癒した経緯があります。
そして、その失敗があったからこそ、人に対して優しくなれたり、また人や物事を評価する上で、一方的視点からではなく多面的に見るクセがついて、結果として、それが自分のそのあとの人生で「大きな財産」となった経験があります。
阿部詩選手をはじめ大一番で敗れた選手たちには、
「大一番での敗戦は辛い経験であり、これからも長く悔やみ続ける過去になるはず。しかし、長い長い人生の中では必ずや『大きな財産』となる大事な経験。『負けたことも、自分の人生の大切な一部』となります」
という言葉を贈りたいと思います。