石川直樹さんが熱気球冒険家神田道夫を書いた開高健ノンフィクション賞受賞作を読んだ。著者自身が超一流の冒険家であり体力と胆力に恵まれているため、物理的な恐怖が必ずしも十分に描けていない(感じないことは書けないのは当たり前か)。心理描写は比較的よく書けているが、特筆すべきほどではない。では何がこの作品を秀でたものにしているかといえば、事実の重みと外連味のない文章だろう。
著者が最後の冒険家と呼ぶ神田道夫、世の中にはこういう人が居る。私は決して最後とは思わない。常人には不可思議な途轍もない人達がこの世界に点在する。最初に海鼠を食った人だって、その系列だ。取り憑かれたように、限界に極限に挑戦して行く。その人たちの多くが心の芯に何か硬い異形な我こそを持っている。彼等は必ずしも良き隣人ではないのだが、人類は生き延びるのに、いささか彼等の恩恵をこうむっている。
石川さんは生死を共にし、自らも冒険家魂を持っているから、当然希有の冒険家神田道夫を評価理解する方向で書いている。しかし無謀と思える冒険に挑む神田道夫の神経は常人の?私の理解を超えている。もう少し科学的になどと思うのは、たかだか15mの鉄塔の上で膝が震えてしまう男の見解か。
もしかしたら石川さんが最後のと付けた意味は第六感までも動員して一か八かの冒険に踏み出すことのできた精神への手向けなのかもしれない。
著者が最後の冒険家と呼ぶ神田道夫、世の中にはこういう人が居る。私は決して最後とは思わない。常人には不可思議な途轍もない人達がこの世界に点在する。最初に海鼠を食った人だって、その系列だ。取り憑かれたように、限界に極限に挑戦して行く。その人たちの多くが心の芯に何か硬い異形な我こそを持っている。彼等は必ずしも良き隣人ではないのだが、人類は生き延びるのに、いささか彼等の恩恵をこうむっている。
石川さんは生死を共にし、自らも冒険家魂を持っているから、当然希有の冒険家神田道夫を評価理解する方向で書いている。しかし無謀と思える冒険に挑む神田道夫の神経は常人の?私の理解を超えている。もう少し科学的になどと思うのは、たかだか15mの鉄塔の上で膝が震えてしまう男の見解か。
もしかしたら石川さんが最後のと付けた意味は第六感までも動員して一か八かの冒険に踏み出すことのできた精神への手向けなのかもしれない。