駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

丸い小石

2009年01月28日 | 自然
 往診の帰り道、何気なく患家の庭先を見ると垣根の根本に丸い石が敷き詰めてあった。5cmくらいの白っぽい小石が並んでいる。楕円のもあるがみな見事に角が取れ、滑らかな表面をしている。大きさが不揃いなのは自然にできた物を河原から採取してきたことを思わせたが、あまりにすべすべしているので人が手で一つづつ磨いたと言われても、そうかと思いそうだ。
 山から転げ落ちてきた時は角がありごつごつしていたのが、あちらにぶつかりこちらにぶつかりしている間に平滑になったのだ。どうして角がある石があちこちぶつかると平滑になるかといえば、出っ張っている場所ほどぶつかる頻度が多いからだろう。僅かに原型を残し、おむすび型や大福型のものもある。不思議なことに球形なものはなく、扁平な物が多い。最初のかけらの中には賽子状の物もあったはずだが、たぶん上下が削られやすく多少とも扁平に成るのだろう。
 人間も社会の荒波にもまれ年を取ると丸くなる傾向はあるが河原の石のようにはゆかない。角の残った御仁も結構おられる。
 石の組成や川の流速や流された距離によって、川岸の石ころの形や大きさは異なり、どのあたりで採取された物かは、専門家ならすぐ分かるのだろう。施主の好みもいろいろで、もう少し不揃いで大きめの石が良いという注文もあると思う。
 子供の頃泳いだ川は山間からちょうど平野に出かかった辺りで、河原の石はもっと大きく多少角があり、真夏には陽に焼けて熱く、冷たい清流から上がると足が濡れているうちはよいのだがすぐ火傷しそうに熱くなり、慌ててその上を飛び跳ねて歩いたものだ。
 小石は以前からあったはずなのに今日は妙な所に目がゆき、とりとめのないことを連想した。
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怖い視野狭窄

2009年01月28日 | 小考
 視野狭窄は眼科的には結構面倒な病気の徴候なのだが、眼に異常がなくても心理的ストレス(女性に多い)で一時的に世界が狭く見えるようになる人が居る。類似の現象が組織、個人の中で情報を吟味する時に起きることがある。
 平時に広い視野と教養を誇る人も窮地に陥ると視野が狭くなる場合があり、誤った判断をしてしまう。組織のリーダーに視野狭窄が起きると、組織の危機を招く。視野狭窄に陥るリーダーは優れたリーダではなく、そのためか周辺に冷静沈着の勇者や智慧者が居ないことが多く、最悪の場合、組織が崩壊してしまう。個人の場合は最悪の場合、他者や自己を傷つける自暴自棄に陥る。
 どうすればいいだろうかと頭を抱え込んだ時、鳥瞰する平静な心が僅かでも残っていれば絶望からの短慮を避けられたのではないかと、社会面を見て思うことがある。そんな余裕があるのは本当の悩みや危機でないと言われる方も居られるかもしれない。確かに他人の苦しみや悩みを安易に推し量ることは困難だし慎むべきことだろう。しかし現実に、末期癌で苦しみながらも最期にありがとと呟かれる方もおられる。
 自分は苦しい時袋小路で絶望しそうになった時、父母の面影とエドモンダンテスの言葉を思い出したいと願っている。果たして本当に危機に直面した時、いくらかでも平静心を残し、広い視野を保てるかどうかはわからないけれども。
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