往診の帰り道、何気なく患家の庭先を見ると垣根の根本に丸い石が敷き詰めてあった。5cmくらいの白っぽい小石が並んでいる。楕円のもあるがみな見事に角が取れ、滑らかな表面をしている。大きさが不揃いなのは自然にできた物を河原から採取してきたことを思わせたが、あまりにすべすべしているので人が手で一つづつ磨いたと言われても、そうかと思いそうだ。
山から転げ落ちてきた時は角がありごつごつしていたのが、あちらにぶつかりこちらにぶつかりしている間に平滑になったのだ。どうして角がある石があちこちぶつかると平滑になるかといえば、出っ張っている場所ほどぶつかる頻度が多いからだろう。僅かに原型を残し、おむすび型や大福型のものもある。不思議なことに球形なものはなく、扁平な物が多い。最初のかけらの中には賽子状の物もあったはずだが、たぶん上下が削られやすく多少とも扁平に成るのだろう。
人間も社会の荒波にもまれ年を取ると丸くなる傾向はあるが河原の石のようにはゆかない。角の残った御仁も結構おられる。
石の組成や川の流速や流された距離によって、川岸の石ころの形や大きさは異なり、どのあたりで採取された物かは、専門家ならすぐ分かるのだろう。施主の好みもいろいろで、もう少し不揃いで大きめの石が良いという注文もあると思う。
子供の頃泳いだ川は山間からちょうど平野に出かかった辺りで、河原の石はもっと大きく多少角があり、真夏には陽に焼けて熱く、冷たい清流から上がると足が濡れているうちはよいのだがすぐ火傷しそうに熱くなり、慌ててその上を飛び跳ねて歩いたものだ。
小石は以前からあったはずなのに今日は妙な所に目がゆき、とりとめのないことを連想した。
山から転げ落ちてきた時は角がありごつごつしていたのが、あちらにぶつかりこちらにぶつかりしている間に平滑になったのだ。どうして角がある石があちこちぶつかると平滑になるかといえば、出っ張っている場所ほどぶつかる頻度が多いからだろう。僅かに原型を残し、おむすび型や大福型のものもある。不思議なことに球形なものはなく、扁平な物が多い。最初のかけらの中には賽子状の物もあったはずだが、たぶん上下が削られやすく多少とも扁平に成るのだろう。
人間も社会の荒波にもまれ年を取ると丸くなる傾向はあるが河原の石のようにはゆかない。角の残った御仁も結構おられる。
石の組成や川の流速や流された距離によって、川岸の石ころの形や大きさは異なり、どのあたりで採取された物かは、専門家ならすぐ分かるのだろう。施主の好みもいろいろで、もう少し不揃いで大きめの石が良いという注文もあると思う。
子供の頃泳いだ川は山間からちょうど平野に出かかった辺りで、河原の石はもっと大きく多少角があり、真夏には陽に焼けて熱く、冷たい清流から上がると足が濡れているうちはよいのだがすぐ火傷しそうに熱くなり、慌ててその上を飛び跳ねて歩いたものだ。
小石は以前からあったはずなのに今日は妙な所に目がゆき、とりとめのないことを連想した。