駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

昭和の語り部、半藤一利

2010年04月08日 | 
 我々の年代は成長期に大切な栄養素が不足していた。といっても食物の話ではない、昭和の歴史教育である。六十過ぎまで、昭和に何があったか知らずに来た。太平洋戦争があって、原子爆弾が落とされて負けたくらいは知っていたが、何でそうなったかはほとんど知らなかった。父は明治生まれで中国への出征経験があり、母は大正生まれで昭和の十年前後に青春を過ごしている。思い出してみると、二人共戦争については多くを語らず、満州が寒い所だくらいしか聞いていない。たまに戦時のことがぽろっと口から出て聞き咎め尋ねても言葉を濁す事がほとんどだった。たぶん、良い思い出が残っていないのだと思う。
 中学高校の歴史の時間は昭和史に入るところで必ず時間切れになった。今更どうなっていたのかと振り返る。人生の大半を忙しい臨床医として生きてきたので、専門書以外の読書は限られていた。
 ところが、今頃になって昭和の歴史に目覚めた。還暦でターンしてプールの壁を一蹴り、首を出して息継ぎをすればもう半ばに掛かろうとしている。年齢的な回帰の意識か、ブログを書くようになって視野が広がったか、昭和の歴史を知っておこうという気になった。
 半藤一利さんという方が居る。「漱石ぞな、もし」という本を見かけたことがあり、妙な題だなと思ったのを憶えていたが、つい最近までその著書を読んだことはなかった。
 自讃史観あるいは自虐史観と喧しいことではあるが、半藤さんはいずれでもありいずれでもない。秘かに昭和の語り部を自負しておられるようだが、その通りの気がする。彼がつまびらかしてくれたことを知って、まさかやはりと目が開かれた。半藤さんの「昭和史」を中学あるいは高校教科書の副読本として採用するとよい。いやしなければならないとさえ思う。ついこの間の祖父母父母の時代に何が行われたか、知らずにいることが今の閉塞状況に繋がっているとひしひしと感じる。忘れることが大切なこともあるが、忘れる前に知らないのはもってのほかと気が付いた。
コメント (4)
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