安藤忠夫の斬新な建築様式にコンクリートの打ち放しがある。ほとんど独学で建築家として名を成した人で、例によって海外の評価が高い。私にも門外漢ながら既成概念にとらわれない構想の新しさ力強さはわかる。
しかしながら、本家を真似れば良いというものではなく、有象無象といっては失礼かも知れないが、街角の設計士まで、ここはコンクリートの打ち放しでと言い出すのには鼻白む。「僕はコンクリートの打ち放しをテーマにしているんですよ」。と言われ、遂に医院の玄関の支えはコンクリの打ち放しになってしまった。未だ円柱だから受けいれられるのだが、コンクリ表面の良い処理方法が思い付かないからといって(私の邪推かもしれない)、そのまんまというのは不満だ。良い処理方法が思い付かないし費用も安く済むというので、打ち放しにするとしたら芸がない。確かにある質量感や構造があれば、それなりに面白いのだろうが、単純な四角でしかも玄関となれば、おいおいということになる。妻も首を傾げた。
設計と施工は分けた方がよいと聞き、自宅も医院も設計と施工を別にした。概ねそれは正しかったと思う。ただ設計士との相性が非常に大切だと感じた。設計士の中には、自分の美的感覚(これは当然だろう)に加え建築的信念というか私のテーマをお持ちの方が居て、これがなかなか微妙で、相性が良くないと施主の感覚考えとぶつかることになる。
施主は素人だから考え希望を述べ、プロの設計士はそれを形にしてゆくのが有効で建設的な手法なのだが、なかなか百点満点は難しい。施主の言うとおりにすればそれこそ使いにくい建物になること必定だし、設計士が上手く施主の希望感覚を取り入れないと、上手くできても、住む人に違和感が残ってしまう。慣れがあるので、何時までも尾を引くことは少ないかもしれないが、ここはなあという思いは残る。二十年経ち、馴染んだのでまあいいかとも思いながら入り口のコンクリ柱を撫でている。
しかしながら、本家を真似れば良いというものではなく、有象無象といっては失礼かも知れないが、街角の設計士まで、ここはコンクリートの打ち放しでと言い出すのには鼻白む。「僕はコンクリートの打ち放しをテーマにしているんですよ」。と言われ、遂に医院の玄関の支えはコンクリの打ち放しになってしまった。未だ円柱だから受けいれられるのだが、コンクリ表面の良い処理方法が思い付かないからといって(私の邪推かもしれない)、そのまんまというのは不満だ。良い処理方法が思い付かないし費用も安く済むというので、打ち放しにするとしたら芸がない。確かにある質量感や構造があれば、それなりに面白いのだろうが、単純な四角でしかも玄関となれば、おいおいということになる。妻も首を傾げた。
設計と施工は分けた方がよいと聞き、自宅も医院も設計と施工を別にした。概ねそれは正しかったと思う。ただ設計士との相性が非常に大切だと感じた。設計士の中には、自分の美的感覚(これは当然だろう)に加え建築的信念というか私のテーマをお持ちの方が居て、これがなかなか微妙で、相性が良くないと施主の感覚考えとぶつかることになる。
施主は素人だから考え希望を述べ、プロの設計士はそれを形にしてゆくのが有効で建設的な手法なのだが、なかなか百点満点は難しい。施主の言うとおりにすればそれこそ使いにくい建物になること必定だし、設計士が上手く施主の希望感覚を取り入れないと、上手くできても、住む人に違和感が残ってしまう。慣れがあるので、何時までも尾を引くことは少ないかもしれないが、ここはなあという思いは残る。二十年経ち、馴染んだのでまあいいかとも思いながら入り口のコンクリ柱を撫でている。