元気な時に意思表示をされていたごく少数の患者さんを除いて、終末期を迎えた患者さんの治療は家族の意向に沿って行われることが多い。
よくあって戸惑うパターンは遠方からの電話や駆けつけた親族の意向だ。嫌な思い出もいくつかある。三十年くらい前、総合病院に勤めていた時のことだ。肺がん末期で後半日ほどで亡くなりそうな五十代男性患者さんがおられた。出来ることは全てやり終えたので、ベッドサイドで疲れ切った奥様とお嬢様といっしょに、ゆっくり上下する患者さんに掛けられたシーツをぼっと眺めていたら、東北から駆けつけた弟さんが病室に飛び込んできた。しばらく周囲を睨め回すと突然「何だ、お前医者か、何をぼーっと見ている。早く何とかしろ」と怒鳴った。
奥様が取りなしてくれたが、気まずく席を外させて貰った。駆けつけた人の気持ちが全くわからないわけではない、しかし妙なテレビの見過ぎではないか。過ぎた一ヶ月、ご家族や医療スタッフが何をしてきたかに一瞬も思いを巡らすことなく、怒鳴り散らす人も居るのだ。
先日、九十歳で天命を全うされたお婆さんにも、埼玉辺りからの電話で、点滴をして貰えと言っていますのでと頼まれ、骨と皮の間に針を刺したことだ。午後二時半に始めた点滴は翌朝の午前四時旅立たれた時にも未だ終わらず100ccほど残っていた。
虫の息の患者さんにどうしますかとも聞けず、覚悟は出来ていますという息子さんも妹の電話にそれではお願いしますと頼まれる。患者さんの意向が分からない以上、医者は家族の希望に沿って動いてしまう事が多い。せいぜいご本人はどうお思いでしょうかねえと聞き返すくらいのものだ。
「先生、何にもしないでね」と何かの機会にはっきりにっこり言われる患者さんもおられる。それは家族にも伝わっており、そうして見送らせていただいた方も何人かおられる。それは最後の贈りもの。