駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

言葉が意味を失う時代

2021年07月21日 | 世の中
             

 今日から夏休みと蝉が鳴いている下、朝から暑い通勤路を歩いて汗ばんでしまった。幸い座れ、電車の冷房でホッとできた。
 七、八年前から幾つもの言葉が意味を失くした。真摯に反省というのは批判を跳ね返す反射言に過ぎなくなり、真摯が安っぽい言葉になってしまった。反省の裏には反撃が仕込まれており、反省と言いながらあの時あんたはと逆ねじが含まれている。これは政治主導の現象なのだが、国民の方も慣らされて糾そうとする機運は弱いようだ。
 新型コロナとオリンピックを巡る政府の対応でも安心安全はお題目に過ぎないのが明らかで、本当は不安で危険なオリンピックになる。来日したオリンピック関係者は一般日本人から隔離されたバブルの中にいるそうだが、実はバブルは穴だらけで隔離は空虚なものだった。
 国民の健康と命を危険に晒して、その責任を取ることなどできない。一生懸命やったと開き直られても、失われたものは戻らない。責任が次は頑張るにすり替えられる安っぽい言葉になった。
 大会中に東京オリンピック変異株が生まれないことを祈っている。
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