駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

包装で知る衰え

2015年02月23日 | 身辺記

               

 昨日、山小屋でG氏がこんなんが破れなくなったと苦笑しながら、サブレーの包装を破るのに引き出しを開けて鋏を取り出した。「俺もそう」という声が私とS氏から出た。どうも腕力だけでなく指先力が弱ってきているのだ。

 いやあ、耳も悪くなった、目も悪くなったとひとしきり年を取ったという話になってしまった。一緒に年を取っているから、見た目の老けには、殆ど気付かないが、残念ながら老人力が付いてきたようだ。

 有り難いことに好きなことには年を忘れ打ち込める。絵を再開して良かった。忙しいを高齢者の禁句にした方が良いと思う。好きなことのために、所謂雑用は退けるのがいい。うかうかしていると雑用に殺されてしまう。

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簡単で美味しいが一番

2015年02月22日 | 旨い物

           

  お気に入りに入れさせていただいている「駅前食堂」のレシペから手羽先と大根の煮込みを作り、山小屋で仲間と食べた。いつもながら美味しいと、高い評価を戴いた。実にシンプルな料理で、大根と手羽先だけ、(私は彩りに青唐辛子を追加した)。味付けはみりん醤油酒のみで一時間ほど炊くだけだ。

 ちょっと濃い味がご飯に良く合う、骨付き肉の旨味が出て濃くもある。特別な調理技術はないが、食いしん坊でこれは旨いとレシペを見抜く力は付いていると自負している。

 料理は絵と同じで、描きすぎないように一歩手前で留める判断が重要と思っている。工夫をすれば美味しくなると思っているのは実はまだまだで、手を加え過ぎない調味料などに凝り過ぎない方が本当は美味しい物が出来る。勿論、ちょっとした手間は惜しんではいけない。

 実はこの辺は診療と似ていて診察の手間を惜しんではいけないが、処方は必要最小限の単純簡単がいい。大声では言いにくいが、鼻風邪に抗生剤から何から全部処方してある竹庵先生も居られる。これはちょっと脱線。

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頭の痛い話

2015年02月21日 | 医療

              

 頭痛というのはよくある病気で、四人に一人くらいは何らかの頭痛に悩まされていると言われる。中でも多いのが緊張型頭痛と片頭痛で、この二つで頭痛持ちの頭痛(一次性頭痛)の大部分を占める。一次性頭痛(頭痛持ちの頭痛)というのは原因がはっきりせず繰り返す慢性の頭痛で、二次性頭痛というのはくも膜下出血とか髄膜炎とか明らかな原因によって起きる頭痛を言う。

 頭痛持ちはよく居るのだが、鎮痛剤や休息で回復することが多く、何とか病気に適合して生活する術を身に付けるので、糖尿病や高血圧症ほどには重要重大な問題と見なされてこなかった。まあ、しかし自覚症状があり生活の質を低下させるという意味では、糖尿病や高血圧症に劣らず困らされる病気として注目されていいと思う。

 今は片頭痛などには良い薬もできており、頭痛持ちの患者さんはもう少し積極的に医師に相談されたらとアドバイスしたい。

 さて注意を喚起しておきたいのは薬物乱用頭痛という病態があることだ。これは頭痛持ちの人が頭痛に対して過度に鎮痛剤を服用して陥る病態で、鎮痛剤で頭痛が持続悪化するという落とし穴に落ちてしまうものだ。この負の連鎖を断ち切るには、毎日痛み止めを飲んでしまう頭痛があれば神経内科医を受診されることだ。

 私は自分が頭痛持ちだったので、一般内科医としては頭痛の知識が多い方だと思う。二十五年間でくも膜下出血を三例即診断して、脳外科の先生に褒められた。こういうのも怪我の功名と言っていいのだろうか?。

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親子はどこか似ている

2015年02月20日 | 人生

            

 久しぶりに月餅を戴いた。四十年前よりやや小ぶりになった感じがしたのは気のせいか。濃いめのお茶で戴くと、まったりとややしつこい餡が美味しい。

 実はこの月餅は一週間ほど前にブログで紹介した元パイロットM爺さんのお嬢さんがわざわざ東京から先生にと送ってくださったものだ。Mさん問わず語りに単独飛行を楽しんだ話や優秀なお孫さんの話をされたのだが、たかだか十五分あまりでも話を聞いて貰えたのが嬉しかったとみえ、たまたま帰省されていた娘さん(優秀な孫達のお母さん)に、そのことを話されたらしい。娘として嬉しく母親として誇らしかったらしく、月餅をいただくことになった。

 このことからM爺さんが家族に大切に思われ大事にされているのがわかる。例外もあるのだが、親子はどこか似ている。

 折角良い話の後で申し訳ないが、問わず語りではなく「先生聞いてください」と後ろに控えた患者さんをものともせず、三十分も親子の諍いを聞かされることもある。娘に厳しく注意された母親(85才)が「殺される」と警察を呼んだため、今日は何とかして鎮静剤を処方して貰おうと娘もやってきたのだが、何かを察した母親が私は惚けてなんかいませんとまくし立てる。娘さんは「あんたの言うことを聞いていたらこっちが死んでしまう」と負けていない。確かに母親は認知のテストの点数は悪くないのだが、どうも被害的なところが目立つし、同じ話を何度も繰り返す。何とかなだめて鎮静効果のある漢方薬を少量飲んで貰うことで、取り敢えずお引き取りを願った。申し訳ないが、どっちもどっちという感想が頭をかすめた。

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どうなる夫婦別姓

2015年02月19日 | 世の中

             

 夫婦別姓が法的に認められるかどうか、最高裁の大法廷で判断されることになった。恐らく否定されるだろう。日本の?裁判所は大抵後追いの保守的で変化を避けるからだ。

 夫婦別姓を認めれば世の中が変わるのを誘導する可能性があり、そうした解釈は取らないだろう。原告は安陪首相に取り入り、閣議決定をして貰った方がよいと思う。

 かくいう私も夫婦別姓には賛成しない。子供が居なければ別姓でもよいかもしれないと思うが、子供が出来た場合にはどちらかの姓に統一してしまうのはしっくりしない。勿論、まぜこぜにも違和感がある。何と言われても家族は名前で捉えられるまとまりと感じる。なぜ別姓がよいのかよく分からない。馴染んだ愛着のある名前というなら、父母祖父祖母曾祖父曾祖母・・・の気持ちはどうなるのだろうか。世の中変わった、これからは未婚の母も増えるだろうし、家族形態も変わるから、私の好みでいいのだと言われるのだろうか。夫婦別姓を主張される方の意見をきちんと調べないで、賛成しないと言うのはおかしいと非難されそうだが、調べても変わらない。

 世の中を動かす原動力を削いではまずいと高齢者としては助言したいのだが、これからのことは若い人に任せた方がよいのかもしれない?。

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