駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

難題門をくぐる

2020年11月25日 | 小考
           

 気温が下がり始めた。予想より数日遅れた。それでも半世紀前に比べたら天気予報は驚きの進歩をしている。これは明らかで誰にもわかる科学の進歩の証だ。正確広範なデータ収集、優れたプログラム開発、コンピュータの性能向上の賜物で、優れた科学者技術者なくしては実現不可能な仕業だ。
 しかしいかに科学が進歩してもCOVID19対策の決定はおそらく天気予報以上に難しい。というのは、これは政治的な問題で利害欲望思惑が絡んでくるからだ。民主主義資本主義社会主義・・と科学がどのように折り合いをつけるか、どれもよくわかっていない人が権力の座に居るようで心配だ。
 一時戻ったように見えた受診患者数も5-6%減からの回復はなく、株価と違いここにきてまた少し下降傾向を認めている。院長がまた少しピリピリし始めた。人間は品物と違い、減らすことは簡単にはできない。生きる上で仕事の比重は大きいしティームとして働いているから士気の維持は大切だ。特にようやく安定して楽しく働けるようになっているので、人を削ることはできないだろう。
 私はもう院長ではないので、そうしたストレスから解放されているが、緊張は感じている。ただ、こうした局面では委縮しない方がよいと学んだ。飛躍するが経済的には恵まれている方だし、あと何年健康で居られるか分からない年なので財布の紐は閉めすぎない方がよいと思っている。
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潮目が変わった

2020年11月24日 | 政治経済
              

 診察室に座っていると世の中の変化も感じられる。どこをどう伝わってくるのか、トランプの悪あがきも退潮の兆しが見て取れ、世の中の潮目が変わったと診断する。後世の歴史家はCOVID19に様々な意味を見出すだろう。
 トランプ的なものは伏流となって生き延びるだろうが、主流ではなくなると希望的に観測する。勿論、手法は違っても世界が抱える問題に変わりはなく、格差は容易に縮小しないし対立は激化こそすれ緩和は難しいと予想する。
 しかしまあ個人的にはトランプ流のフェイクが嫌いで顔と言葉を見なくて済むようになるのは嬉しい。できれば日本のトランプ的な人達のメディア出現数も減ると有り難い。
 菅総理は色々強引で結構批判されているようだが、私には安倍首相に比べたらトランプ度は低く嫌な感じは少ない。新たな潮流に乗れるかどうかはともかく、まずはコロナによる国難をうまく乗り切れるかが最大の政治的課題と申し上げておこう。 
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じっと手を見る

2020年11月23日 | 小験
           

 今も存在するかどうか知らないが、以前はテレビで手の女優?がいたと思う。そうした記事を読んだことがある。手だけで女優と呼べるか微妙だが、物を差し出したりする手だけを写すのだ。
 院長を退き、月に二回ほどレストランや割烹に家内と二人で出かけるようになった。そして気付いたのが手の造形美だ。先付けですスープですと料理を運んでくる女性の手が気になるようになった。私が絵を描くせいか、器を持つ手をじっと見てしまう。手が白く美しいことは意外に少ない。どうしても水仕事などを手伝うせいか、骨太だったり赤みがかっていたりする。お綺麗なと申し上げたい女将でも手まで美しい女性はさほど多くないようだ。なるほど、だから手の女優が居たわけだと納得している。美しい女優は数多居るが、手まで美しい人はどれくらい居るものか。三十年で受付嬢を延べ十二三人雇用したが、いわゆる容姿はある程度考慮したが手までには目が行かなかった。果たして、雇用のプロは手の美しさにも多少は気を配るものだろうか。
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サピエンス全史の教えるもの

2020年11月22日 | 小考

              

 

 ハラリのサピエンス全史は目から鱗の歴史書で教えられたことは多いが、なるほど確かにそうだと膝を打ったのは人類がある考えを共有しそれによってまとめられ組織され動く動物だという指摘だ。その特性能力によって他の種を退け今や地球上生物の頂点に立っている。

 人類が特定の判断基準を共有し、まとまって行動する特性と能力を有することから、なぜ右とか左とか色々呼ばれる様々な考え方に狭く固く捉われて鬩ぎ合うのかが分かる。
 宇宙人でも攻めてくればともかく、残念ながら人間は俺は正しい私は正しいという考えに取りつかれやすく、中々一つにはまとまれない。そして判断基準となる考え方が、インターネットなどの情報通信によって、成熟した客観的科学的なものに収斂するかと思えば、そうでもなく逆に陰謀妄想交じりの自己優先自己正当化論が蔓延るようになってきている。どうも上手く淘汰が働かない。
 科学的客観的で優れた考えはやや複雑で分かりにくいせいか、欲望を制御し他者を認めることが要請されるせいか、感覚的直接的な単純で分かりやすい俺が私が最優先の排他的な考え方が強い浸透力を持っている。鬩ぎ合いが続く所以に思える。 
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命をつなぐ

2020年11月21日 | 人生
      

 こうした感想は不謹慎と言う人も居るかもしれない。しかし時々、こんな小さなお婆さんがと思うことがある。大男は立派で貫禄がありそうだが、総身に知恵が回りかねなどとからかわれる。どことなくちょっと馬鹿にした感じが漂う小男という表現にはしばしば迫力があるとか実力があるとかいう言葉続く。大女は、どことなく肩身が狭そうで小さくなりたい雰囲気を漂わせているものだったが、今じゃあ170cmなど珍しくもなくさっそうと歩いている。
 どういうものか小女とは言わない。勿論、大女に対しての言葉であるがほとんど使われない。
 人間年を取ると縮まる。背中が曲がったり骨が脆くなって潰れたりで八十歳になれば若い時よりも5cmも6cmも背が低くなる。
 そのうえ筋肉や脂肪が落ちて体重も5kgも10kgも減ってしまう。そのため八十半ば過ぎのお婆さんには140cmに満たない30kgない人が居られる。診察をするとよくこの身体で何人もお子さんが産めたなあと思うことがある。勿論、若い時には140cm以上で35kg以上あったのだろうが、それでも小柄だったのには変わりない。多少難産でも、おそらくためらうことなく命を宿してきたのだろう。本能と言えばそれまでかもしれないが、生命の凄み不思議さを感じる。人間は社会化されているから生殖というものが露骨に現れることは少ないが、医者をしているとそうした属性に触れることがあり、心の中で唸ることがある。
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