駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

不都合な真実

2021年01月21日 | 医療
              

「新型コロナとワクチン:知らないと不都合な真実」 峰宗太郎 山中浩之 日経プレミアシリーズ新書を読んだ。この本ではウイルスと免疫とワクチンという異なる専門分野にまたがる新型コロナのワクチン療法についてわかりやすい科学的で俯瞰的な解説がされている。文庫本一冊というのはある事柄について基本的な知識を身につけるのに適当な情報量で、そうした意味でこの本は新型コロナワクチンについて知識を得たい人に格好の本だと思われる。
 今まで打たれてきたインフルエンザワクチンや麻疹ワクチンなどの開発に十年以上かかっていたのに、新型コロナワクチンが一年足らずで作成できたのは新型コロナワクチンが今までに使われてきた生ワクチン弱毒ワクチン部分ワクチンと異なる核酸ワクチンという遺伝子工学を利用した新しいタイプのワクチンで、同じコロナウイルスのSARSの時の経験知識が応用できたためと、緊急事態なので治験期間を短縮したためなのだ。
 新しいタイプのワクチンで治験が不十分なので、実は副作用と効果についての情報は十分ではない(特に日本人では)。流行が猖獗を極めるアメリカやイギリスならともかく、現在の日本ではちょっと様子見という気持ちになる人が多く出ても不思議はない。特に危険率ゼロ指向の日本では、全く新しいタイプのワクチンで長期の副作用などが不明という情報が出回ると二の足を踏む人が出てくる可能性は高い。
 管首相は安倍政権由来のやってる感の演出を狙う人なので、河野太郎の好感度に目をつけ突然ワクチン大臣に抜擢し、ワクチンという言葉の持つ予防効果が得られるという印象で新型コロナがすぐにも押さえられる感を狙ったものと思われる。
 ワクチンによる新型コロナ抑制は国民の半数が接種し、しかもその予防効果が長く続くものでないと達成出来ない。つまり五月から打ち始めるのでは抑制効果が出るのは秋以降になるのでオリンピックには間に合わない。オリンピックがやりたい気持ちは分かるが、何よりも国民の健康、大げさではなく世界の健康を最優先していただきたい。
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バイデン大統領が誕生する

2021年01月20日 | 世界
         

 日本時間の本日夜半にジョー・バイデン氏が第46代アメリカの大統領になる。私は幅広い閣僚を揃え再びアメリカをまとめようとするバイデン氏に期待してるのだが、前途多難とか最弱の大統領になるだろうとか、評論家の意見には厳しいものが多い。自己主張の強い人たちに囲まれて身動きがとれなくなるという意味と理解するが、実際はどうなってゆくだろう。バイデンさんは常識があるようなのでトランプのようにメキシコ国境に壁を作ったり外国人排除など極端なことはしないだろうと思うがどうだろう。
 二十一世紀で失われつつあるのが常識というもののような気がする。常識って何と聞かれそうだが、成熟した大人の感覚判断というか知恵のようなものと思う。常識のある人は常識のない人よりも信頼できるとしたもので、私はバイデンはトランプよりも常識があると見ている。
 後期高齢者で多少体力の衰えと物忘れはあるかもしれないが、判断は間違えないと思う。リーダーの仕事は適切な判断を下すことで、政策の細部に精通している必要はない。希望的観測かもしれないが、バイデン大統領がアメリカのコロナを沈静化し、世界の不安混沌を和らげてくれることを期待している。
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足りない危機感

2021年01月19日 | 政治経済
        

 新型コロナ対策が、様子見とやってる感で立ち回る安部管政権のために後手後手になってしまった。日本人の良いところはたくさんあるが、合理性と持続力には欠けるところがあるように見える。理屈っぽさやしつこさは、穏やかに和やかに暮らす時にはさほど必要でないかもしれない。しかし新型コロナのような危機を乗り切らねばならぬ時には必要になってくる。
 プロスポーツでは成績不振の監督は即交代させられる。政治も同じにしなければならない。やってる感の演出ばかりで有効な策を打ち出して国民を導くことができない首相は交代して貰おう。二階から同士褒めは空々しい、よさげなことを読むのは簡単。新型ウイルスに脅しは効かない。
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なぜ絵を描くか

2021年01月18日 | 人生
              

 なぜ絵を描くのか、そこに絵の具があるからだというだけではない。ブログの場合は習い性となったところも大きく、ブログの存在を知ってやってみようかと始めたら何人かの同行者に恵まれ、物言わぬは腹ふくるわざという側面もあって長続きし、いつの間にか日課になってしまった。
 絵は子供の時から音楽に比べれば好きだったが、特に展覧会で賞を貰ったとか先生に褒められたという記憶はない。五十の声を聞いた頃、診療に明け暮れるばかりではという心境になり絵画教室に通い始めた。絵を描いてみると二三時間ではあるが全てを忘れて夢中になれた。貴重な体験で楽しみを見つけた気がした。ブログより古く中断はあったが足かけ二十年続いている。
 わずかに進歩したように思うが、会心の作品は中々描けない。うまく言葉にできないが、描きたいというか自分で形に表現したいものがあるので描いているように思う。音楽の才能はないが、もし歌えたり楽器ができれば絵と同じように表現したいものを目指しただろうと思う。
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藤吉郎に及ばない

2021年01月17日 | 診療
        

 寒い日には草履を懐に入れて暖めておく。此奴できるなと信長に思わせる気遣い、まあこれには取り入ろうとする下心も見えて全面的には支持しかねるが、学ぶべき接遇の心得だろう。
 冷え込む日には聴診器も冷たくなり、ちょっと手で暖めて冷たいですよと言いながら聴診しているがそれでも患者さんによっては冷やっこくてびくっとされる人もおられる。実は手も冷たくなり触診の時には気を遣う。寒い日に手や聴診器を暖める何か良い方法はないだろうかと看護師に聞いても名案が出てこない。どうもさほど真剣に考えていない様子だ。
 何か良い方法はないだろうかと思いながら、特別寒い日のことだけなので今まで来てしまった。さて藤吉郎だったら何か名案を出してくれるだろうか。
 夏は逆に汗だらけの腹部を触診し、患者さんに申し訳ありませんと言われる、それで差し引きゼロに出来るものではなく一工夫必要だ。ちなみに空調はそこそこ効かせているのだが、空気の入れ換えにほんの少しだが窓を開けているせいか冷え込むと十分には暖まらない。
 どうも並の人間は至らない、これで三十年通り過ぎてしまった。
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