パソコンのアプリは、年々新化を繰り返しています。
いろいろな機能が、さも便利そうに付加されていきます。
便利な機能を操るには、それができる状態にアプリに準備をさせなければなりません。
初期のアプリでは、加工するデータ、あるいはそれが入っているフォルダーで「右クリック」、この操作で、たいがいのことは手掛かりが見つかるようになっていました。
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ところが、右クリックよりこれを使いなさいと、Office2007 にリボンが現れました。
リボンは、ユーザーが右クリックの杖を頼りに自分で踏み込んでいく使い方を拒みます。
リボンには、この並べ方なら大多数の人が便利なはずだから、どこを見ればよいのかをよく見て探しなさいとばかりに、手段を強要する傲慢さが表に出ています。
こういうのも傲慢スタンダードと呼ぶのでしょうか。
2006 年は、インドネシアの二度の大地震、ニューヨークでは何日にもわたる原因不明の停電、ケンタッキーでは離陸のしそこない、ニューヨークで高層マンションに小型機が衝突する航空機事故など、不安を掻き立てる事故が相次いで起きた年でした。
その翌年早々でした、彼の悪評高い Vista とOffice2007 が発売されたのは。
OSやアプリの性格は、作られた年の世相を反映しているように感じます。
便利に使うというのは手段であって、便利さそのものがOSやアプリの目的ではありません。
便利さにこだわり過ぎると、アロガントなアプリ、アロガンタプリとでも名をつけたくなるような、傲慢なアプリができあがります。
運悪くこういうものに付き合うことになったとき、いちばん良い手段は、さっさと乗り換えることです。
悪い空気を吸うのは、それを作った人だけにしてもらいたいと、ふと思っているところです。
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