外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

私にとっての名曲( その3)

2012-09-14 20:36:58 | 音楽
私の学生時代、もちろん音楽CDは存在せず、LPレコード(Long-Play Record)が音楽鑑賞の主役でした。
何度も何度も繰り返して聴いていると、どの曲のどの部分に、演奏者の息遣い、レコード盤の小さなキズ、あるいはプレスむらによる音の歪みが入っているか等々も、きっちり記憶に刻まれてしまいました。

現在の私には決して真似のできない集中力が、学生時代にはありました。

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そんな時代に、文字どおりレコードが擦り切れるまで繰返し聴いた演奏の一つが、オスカー・ピーターソンの「Exactly Like You」です。
「ハロー!ハービー」というアルバムのA面2曲目に収録されています。

1971年、青山高校に入学した直後の5月ごろ、軽音楽サークルに加わってジャズのベースを担当することになりました。

中学のブラバン部員時代から、興味を持ってジャズを聴いてはいたものの、演奏したことはありませんでしたので、とにかく一から勉強しなくてはと、何枚かのLPを教材にして、徹底的に聴き込みました。

軽音楽サークルの主力メンバーの中に、ギターのS先輩がいらっしゃったので、「ギター奏者の加わっているアルバムが参考になるだろう」と思って、選んだLPの中の一枚が、この「ハロー!ハービー」でした。
ちなみに、「ハービー」とは、オスカー・ピーターソンのバンドに以前レギュラーとして所属していた、ギターの名手のハーブ・エリスのこと。
久しぶりに彼をセッションに招いてのレコーディングだったので、「やあ、ハービー!元気でやっていたかい?」というようなアルバム・タイトルというわけです。
そんな雰囲気が、アルバム・ジャケットの写真からも伝わってきます。

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何といっても、ジャズのベースラインを私が初めて採譜したのが、この演奏でした。
サム・ジョーンズの、地味ながらもツボを押さえたプレイ。
レコードを繰り返し聴きながら、それを譜面に落としていく作業では、まるで宝物探しをしているような心境になったものです。

それ以外にも、数多くのことを、この演奏から学びました。
*導入部における、ギターのハーブ・エリスの巧みなコード進行とリズムの刻み方
*途中からベースが演奏な加わった時の、ギターとベースの役割分担
*更にドラムスが加わった時の、ベースとドラムスの役割分担
*共に和音を出せるギターとピアノがぶつからないようにする工夫

ジャズのコンボでは、何に注意を払いながら演奏すべきなのか
その基本中の基本を、この演奏から高校一年生の私は学んだのでした。

また、ピアニストとして超絶な演奏技術を有するオスカー・ピーターソンが、右手だけで控え目に弾くピアノの一つ一つの音のタッチと音色の美しさと言ったら…

中学生の頃には、ギターでも、ピアノでも、ドラムスでも、息もつかさぬ早弾きで延々とソロをとる奏者を崇めることが多かった私。
しかし、この曲におけるオスカー・ピーターソンの演奏を聴いて、排気量5リッターの自動車が時速60キロぐらいで悠々と走行する
そんな名手たちの余裕綽々のプレイの素晴らしさに、私は目覚めました。

オスカー・ピーターソン

最近の録音では、ダイアナ・クラールのものが気に入りました。
オスカー・ピーターソンの録音と同様に、ギターが加わっているので、時代が変わっても、バンド演奏における役割分担の基本がきちんと押さえられていることが確認できます。
ダイアナ・クラール

ゆったりしたテンポでスタンダード曲を演奏する、特にライブともなると、ジャズ奏者には、ムラムラっと遊び心が湧いてきます。

YouTube画像のダイアナ・クラールも、アドリブの中に有名なボサノバのメロディを織り込んで、「遊んで」います。

ギターやベースの奏者たちの表情から、
「おっ、ダイアナ、やりますねえ…」
という彼らの気持ちが伝わってきます。

そして、演奏が終わった時のダイアナの笑みには
「フフフ、ちょっと、遊んでしまったわ」
「でも、皆も楽しめたでしょ?」
というようなニュアンスがあります。

気心知れた仲間とジャズを演った時の至福の瞬間。

野球で例えれば、神宮の大観衆の前で、神妙な表情で試合前のキャッチボールをしている時に、急に変化球を投げて、受け手がびっくりする表情を楽しむような

ジャズは本当に楽しいです
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西宮伸一さん

2012-09-14 00:01:32 | 都立青山高校
9月11日付けで駐中国大使に任命された西宮伸一さんが、渋谷の路上で倒れたというニュースを知りました。

日中関係が困難な局面を迎えている中、来たる10月の赴任を目前に控え、その準備に多忙を極めていらっしゃったと想像します。

ご容体が心配です。
大事に至らなければ良いのですが…

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西宮さんは、都立青山高校で私よりも3学年上の先輩。
東大法学部から外務省に進まれた秀才です。

1968年(昭和43年)に青高に入学された西宮さんは、翌1969年の高校二年生時に、青高全共闘による全学バリケード封鎖を経験されています。


その時の青高は、何ヵ月間も正規の授業が行われなかったのですが、優秀な人は、そんなハンデをものともせずに難関の入試をクリアされていきます。


そんな西宮さんも、今年は満六十歳におなりになります。

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十で神童、
十五で才子、
二十歳過ぎれば只の人

誰もが知っている、有名な諺があります。

幼少時に神童と言われるような優秀な子供でも、成長するにつれて、ごく平凡な人になってしまいがちという喩えです。

もっとも、二十歳を過ぎて外務省のキャリア官僚となり、六十歳になって駐中国大使として重責を担うことになった西宮さんに、そんな諺は全く無縁ですね。

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私の場合は、
十で、辛うじて才子
しかし、青高に入学して優秀なクラスメートたちに巡りあった十五にして、早々に只の人…
諺を五年前倒しで証明したという感じでしょうか
(T_T)

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ただ、私は、「十で神童…」という諺は、もっとポジティブに解釈することができるようにも思うのです。
小学生時代に神童と呼ばれた秀才が、実力に見合った高校と大学に合格した。
その結果、その進学先でも、並みいる秀才たちの中で標準的な成績を残す学生でいる。
十分に立派な話ではないかと。

音楽でも、スポーツでも、そしてビジネスでも、同じような見方ができると思います。
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若者よ、
牛後になることを恐れるな

チンタラ学生だった私がいうのも説得力に欠けますが、ハナから鶏口を目指すなんて、つまらないじゃないですか
Comments (2)
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