桐蔭横浜大学とのオープン戦は、5対6で早稲田の負けでした。
この試合は、序盤から小刻みに失点するという最も悪いパターン。
反省すべき点が色々と見つかった試合だったということでしょう。
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早スポが 東北福祉大戦の戦評をアップしてくれました。
先発の早川くんが踏ん張り、貴重な存在の右のスラッガーである檜村、岩本の2人に長打が出ました。
右打者では、途中出場の米田選手(松山東)も安打を放った模様。
正一塁手争いにはルーキー中川選手も参戦。
捕手からコンバートされた米田くんも負けじと、懸命のアピールを続けています。
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都立青山高校で2年上の先輩である石田純一さんの記事です。
石田さんの同期生の野球部員8名から、東大3名、早慶5名といいますから、当時の青高として標準的な進学実績というところ。
ちなみに、学年全体(男女合わせて約360 名)では 毎年40名前後の東大合格者がいました。
もっとも、個人的に私が青山高校に誇りを感じていたこと
それは、当時の青山高校では男女の分け隔てなく出席番号が割り振られていたことです。
私の通った小学校でも中学校でも、出席番号は まず男子にアイウエオ順で割り振られ、男子が終わった後に女子に割り振られました。
それが1971年に青山高校に入学してみると、男女まぜこぜで アイウエオ順に出席番号が割り振られおり、とても新鮮で進歩的に思えたのです。
まだ男女雇用機会均等法(1985年)も存在していない時代で、企業も政治も、男性中心に回っていました。
たとえば、1979年に大学を卒業して邦銀に就職した時点でも、四年制大学卒の同期生に女子は1人だけ。
圧倒的な男性中心の企業風土に驚き、「青高は進んでいたなあ」と改めて感じ入った次第です。
2019年、いまだに都立高校は募集定員が男女別になっており、議論を呼んでいます。
1970年代の青山高校のような考え方に立って見直せば、すぐに解決するのかも。