外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

秋吉久美子さん

2010-01-22 18:02:38 | 早稲田大学
女優の秋吉久美子さんが、早稲田の大学院を2009年に卒業されたことを知りました。
政経の公共経営研究科二年制コースで、地方分権を研究テーマとし、一緒に学んだ10名の中で堂々の首席だったそうですから、大したものです。

学生時代、 私は滅多に映画館には行きませんでした。
もちろん観たい作品はたくさんありましたが、名画座のような低料金ならともかく、一般の封切館で使うお金があるのなら、レコード購入に充てようというのが当時の私の中での優先順位でした。

でも、暇を持て余していた予備校時代は、麻雀の合間に、たびたび映画館に足を運びました。

折しも、その頃は秋吉久美子さんの出演する「赤ちょうちん」「バージンブルース」「妹」などが立て続けに発表された時期でした。

秋吉さんは私より一歳年上で、名門・磐城女子高校を卒業して上京、二十歳になったばかり。

当時は、学生運動も下火となり、若者たちがシラケ世代と世間から呼ばれ始めた時代。
そんな時代にうってつけのキャラクターが、秋吉久美子さんだったと思います。
周囲に迎合せず、一人だけ別のところに退屈そうな視線をなげかけていたりする感じが実に新鮮でした。

添付の写真は「妹」の予告編からお借りしました。
「妹」は早稲田、高円寺、江ノ島などで撮影された作品。
昭和49年ごろの都内の町並や人通りが、とても懐かしい雰囲気です。

ところで、一つ思い出があります。
私が大学を卒業して銀行に就職した際、同じ支店に配属された同期入社の女子行員たちから、「ayさんは、どんな芸能人が好みですか?」と質問されたことがありました。
私は少し考えてから「秋吉久美子さん」と答えました。

学生時代、テレビといえばスポーツ番組か吉本新喜劇ぐらいしか観ていなかったので、正直なところ、ひいきの芸能人は特にいませんでした。
とはいうものの「誰もいない」と答えるのも気が引けるので、慌てて頭の中で記憶を辿っていったら、浪人時代に観た「赤ちょうちん」などの映画に行き着いたわけです。

予想外だったのは、私の返答を聞いて、同期の女性たちは「ふ~ん…」と答えた後に、会話が途切れてしまったこと。
何かまずいことを言っちゃったのかと戸惑ったのですが、あの時の彼女たちの反応が何だったのか、いまだに分かりません。

さて、話を現在に戻します。
早稲田学報で、秋吉久美子さんが、大学院での勉強と女優業の両立で苦労された話を披露されています。
ある時は明け方まで撮影があり、一睡もせぬまま講義に出席し、居眠りしないようにと最前列に座ったこともあったそうです。

また、入学直後の自己紹介で、「30年以上、エンターテイメント業界に従事して参りました。専門分野はセクシー系です」と、いかにも秋吉さんらしい挨拶をされたのですが、周囲は誰も笑わなかったとか。
(*^_^*)

しかし、さすが首席になるだけのことはあります。
「政治家になるつもりかと、よく尋ねられたが、違う。公共経営に文化人類学的哲学が見出される、と臨んだ。」

「地方分権が進みつつある日本にあって、明治以来の改革を支える公共経営は、今こそ最も必要とされるトレンディな学科だ」

「仲間、理想、情熱、理論を与えてくれた大学院での日々。二年間吹き続けていた西北の風は、今も私の胸を澄み渡らせてくれる」

しっかりした文章をお書きになるのだなあと、ちょっと驚きました。

でも、考えてみればブルーリボン主演女優賞、日本アカデミー賞優秀主演女優賞など数々の表彰を受けている、長いキャリアを誇る女優さんなのです。
素晴らしい感性の持ち主、聡明で真のプロフェッショナルでいらっしゃるということでしょう。

これを機会に、秋吉久美子さんが出演されている映画のDVDを、久し振りに何枚か注文することにしました。
どの作品にしようかと、ただいま思案中です。
上記の3作品以外で、お薦めのものがありましたら教えてください。


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青春の墓標

2010-01-21 18:25:10 | 都立青山高校
昨年11月に、早稲田スポーツ応援仲間のdawase86さんが、「二十歳の原点」(高野悦子さん)をブログで取り上げていらっしゃいました。
二十歳の原点・携帯用リンク
二十歳の原点・パソコン用リンク

その時は、同タイトルの映画で主演女優であった角ゆりこさんが、私の小中学校の同級生のお姉さんだったことをdawase86さんのブログにコメントさせていただきました。

今日は、少し暗い話題となってしまいますが、「二十歳の原点」との、もう一つの私の接点をお話ししたいと思います。
若い世代の方々にとっては、ピンとこない話題だと思うのですが、新左翼の政治活動に参加する大学生や高校生たちが、教室や部室棟などを普通に闊歩している時代があったということを踏まえて、しばしお付き合いください。


「二十歳の原点」の高野悦子さんは、立命館大学で学生運動に身を投じて、最終的に行き詰まって自らの命を断ちました。
その彼女の考え方に大きな影響を与えたのが、彼女が高校二年生の時に読んだ、横浜市立大学の中核派活動家・奥浩平さんの遺稿集「青春の墓標」だったと言われています。

奥浩平さんは、横浜市立大学在学中に、政治活動と恋愛の狭間で苦しんで満21歳6ヶ月で自殺してしまったのですが、添付した写真にも記してあるように、彼は目黒区立六中-都立青山高校という、私の直系の先輩でした。

そして彼の恋人Nさんも青山高校出身。
Nさんは青高から早大法学部に進学しましたから、こちらも私の直系の先輩です。

奥浩平さんとNさんは、青山高校二年生の時に60年安保のデモに参加したことをきっかけに、その後、学生運動に深く関わっていくことに。

高校時代から、奥さんとNさんは革共同という新左翼組織に揃って所属していたのですが、その組織が中核派と革マル派に分裂し、二人は対立するセクトに分かれ分かれという関係になってしまったのです。

そして二人は、深く愛し合いながらも思想面で対立して論争を繰り返すようになり、その断絶と絶望感が奥浩平さんの自殺の原因になったと言われています。

「青春の墓標~ある学生活動家の愛と死」は、奥浩平さんが高校時代、大学時代に書いた手紙、特に彼が思いを寄せるNさんに宛てた手紙を時系列でまとめて、彼の死から半年後の昭和40年10月に文藝春秋から出版された本です。

この本が青山高校の図書室の本棚にありまして、それを読んで中学の先輩だと知り、別途買い求めたものが今も私の手元にあります。
私が高校二年生だった昭和48年3月に印刷された第38刷です。

大変な増刷回数をみても、当時の多くの若者に読まれていたことが分かります。
※この本以外にも、東大や日大の全共闘委員長の著書なども図書室に揃っていたのが、当時の青高らしいところ
(;^_^A

「青春の墓標」は、高野悦子さんの「二十歳の原点」三部作と共に、当時の若者たちのバイブル的存在でした。

なお、奥浩平さんの遺稿を本にまとめたのは彼のお兄さんでして、そのお兄さんも目黒六中-青山高校-早稲田という、まさに私と全く同じ道を歩まれた大先輩でした。

もっとも、私自身は音楽とスポーツ、そして麻雀に明け暮れるダメ学生でしたし、一回り年長の方々である彼らとは、全く面識はありません。
今となれば、命を擦り減らしながら学生運動に没頭する青春は、理解し難いところもあります。

率直にいえば、奥浩平さんのように完璧を求めていたら、とても保たない、いずれ行き詰まるのは避けられなかっただろうと、最初に読んだ時に感じました。

「『なぜ中核派の女の子を好きにならないの』なんてNさん本人から言われたら、それは傷つくよ」
「もしNさんが、主義主張の壁を越えて、奥浩平さんの愛を受け入れたら、二人はどうなっていただろうか」
「それにしても、そこまで自己を犠牲にする学生運動って、何なのだろうか」
「落城した東大の教室の壁に『花も嵐も踏み越えて、行くが男の生きる道』とか落書きされてただろ。あの心境、彼らの美学だろう」
「その東大落城の前に、バリケード内に立て籠もる愛する息子に、キャラメルを差し入れしたママさんたちもいたらしいね」
「日本で革命を起こそうなんて本気で考えたら、身の破滅だよ。僕は賛成できないな」
正確には記憶していませんが、概ねこんな内容を、高校の友人たちとワイワイと話したこともありました。

いずれにしても、奥浩平さん、お兄さん、そして恋人のNさんという、同じ校舎で神宮外苑の空気を吸って過ごした先輩方の、真摯な、しかし悲劇的な生きざまは、思想信条は異なっても、決して遠い過去の出来事、他人事とは青高生の僕達には思えませんでした。

この本を手に取ると、若さゆえの生真面目さと焦燥感、Nさんへの断ちがたい思いと絶望など、揺れ動く奥浩平さんの感情が手紙の文面から伝わってきて、読むたびに胸が一杯になります。

そんな生きざまに昭和40年代の若者たちの多くが心を揺さ振られました。

ともあれ、多くの若者たちの人生に大きな影響を与え、時には命を断つきっかけにまでなった60年安保から、今年で50年目。
あの年に国会議事堂前に結集して安保反対を叫んだ20歳の若者たちも、今年で70歳になります。

この節目の年に、お一人お一人が様々な想いと感慨を抱いて、あの時代や友人たちの面影を振り返っていらっしゃるのではないでしょうか。
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週べ今週号

2010-01-20 19:49:15 | 大学野球
週刊ベースボール今週号では、まず西武・松下くんの自主トレ風景の記事。

新たな中継ぎ投手を必要とする球団事情もあって、首脳陣に期待してもらう状況で練習しているようです。
この大きなチャンスを逃さず、首脳陣に向かって目一杯アピールしてもらいたいものです。

次に、日本学生野球協会の2009年度表彰者。
高校の部で、自己推薦で合格している北寺外野手(日本航空石川・主将、右投げ左右打ち)が表彰されています。

北寺くんは、東條内野手(桐光学園、指定校推薦)と共に、昨年12月に既に練習に参加していました。
今頃は、高校生活最後の期末テストに臨んでいることでしょう。
二人とも、テストの点数は大丈夫のはず。
きっちり期末テストで有終の美を飾ってから、東伏見に登場してもらいたいと思います。

最後に、日本ハムの山本一徳投手。
二年前にもらった契約金の使い途を説明する記事がありました。

まず、新聞奨学金の返済。
山本くんは、大学入学前に新聞配達をしていて、在学中はその奨学金を受けていました。
その返済で一千万円かかったそうです。

次に、ご両親が利用した進学ローンの返済。
彼の在学中に、彼の弟くんが一浪後に慶応に進学しました。
地方からご子息二人を東京の私学に送り出したご両親のご苦労は、それは大変だったに違いありません。

そして、これまでの彼の野球人生を育んでくれた少年野球チーム、中学校、高校(安来高校)、早稲田への野球用具などの寄付。

最後に、彼のお父上が過去に勤務されていた日産自動車からスカイラインを購入しました。
残ったお金は貯金したそうです。

山本くんの在学中、私は彼と話すことが本当に楽しみでした。
何故ならば、彼の謙虚で常識的な目線、彼の前向きで意欲溢れる発言、そして彼の礼儀正しい仕草に接していると、この若者を身近で応援することができて、私は幸せな野球ファンだなあと感じられるからです。

山本一徳くんは、マスコミが持ち上げるような、華やかなスター選手ではありません。
でも、早稲田の野球部から巣立った、早稲田野球ファンが誇りとすべき、真のナイスガイであります。
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東伏見が人工芝に

2010-01-20 13:50:31 | 大学野球
今朝のスポーツ紙によれば、東伏見の野球グラウンドが、いよいよ人工芝になるとのこと。

以前から、近隣の民家に飛散する砂塵、あるいはグラウンドの水捌けの悪さが問題となっていましたので、人工芝の早期導入を求める声が日増しに強まっていました。
数年前にアメフトの人工芝化が完了して以降、「次は野球だ」と言われ続けてきたことですから、いよいよという感じ。
とても嬉しいニュースです。

グラウンド整備、ボールや用具の清掃・整備など、これまで下級生部員が担ってきた重い作業負担も大幅に軽減されるでしょうし、上級生部員たちも練習着の洗濯がグッと楽になります。

新たな課題は、選手たちの足腰への疲労蓄積、夏季練習の暑さ対策、将来の張替資金の積立といったところでしょうか。

ロス・キャンプ明けの3月14日に竣工式、16日からは新しいグラウンドでの練習あるいはオープン戦を見学できるようですから、今から楽しみですね。

なお、これで東伏見で土のグラウンドが残るのは馬術部のみとなりました。
でも、馬たちにスパイクを履いてもらうわけにもいきませんから、これで人工芝化は一段落となります。
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がんばれ受験生

2010-01-19 18:46:27 | 早稲田大学
今日の午後は、用事があって大学に立ち寄りました。
せっかくなので、地下鉄・早稲田駅近くの「メルシー」で昼食をとりました。
私の周りは、ラーメン・ライスを注文する若者ばかり。
さすが学生街です。

さて、先の週末に大学入試センター試験が実施され、いよいよ今年も本格的な大学入試シーズンに突入します。

早稲田の入試日程をみると、2月12日の文化構想学部を皮切りに、2月22日の社会科学部まで、10日間ほどの期間に各学部の入試が集中して行なわれます。

私たちが受験した時代は、大学の校舎に受験生が入りきれず、隣接する早稲田中・高、移転前の早実の校舎も借用して入試を実施していましたが、今もそんな感じなのでしょうか。

入試の当日は、早稲田界隈は独特の雰囲気に包まれます。

私が受験した時は「合格弁当」とノボリを立てた屋台が「校内では弁当を売っていません」と叫んで弁当を販売していたり、合否電報の申込み受付をするバイト学生が右往左往していたりしていました。

私は直前の公開模試で、政経も法学部も「合格確度90%」という判定を何とか得ていたので、両方受ければどちらか一つは受かるだろうという気持ちではありました。
でも、実際に受験会場に来てみると、その一種独特の雰囲気に接して、落ち着かなくなったというか、ちょっと緊張したことを思い出します。

今年は、長引く不況の影響で、東京の私大への進学を断念して地方の国公立大学を第一志望とする受験生が増えたと報道されています。

早稲田の受験者数も影響をきっと受けることでしょう。
残念ですが、仕方ありません。

しかし、早稲田では、入学願書提出前に奨学金給付の可否を通知してくれる制度もスタートしているようです。

その制度を利用して昨春に教育学部に入学した地方出身の女子学生は、「奨学金給付OKの通知が届いたとき、『早稲田はあなたを待っています』とエールをもらった気分になって、受験勉強に一層力が入りました」と話しています。

そのような新しい制度を利用して、1人でも多くの受験生が早稲田を目指してくれるといいですね。

例年、2月中旬は東京でも降雪により交通機関が混乱したりします。
ちなみに私自身、高校受験でも大学受験でも、雪を経験しました。

そして今年は新型インフルエンザも心配です。

このブログを訪問してくださっている方々の中には、受験生、そのご家族もいらっしゃると思います。

ぜひ健康管理に留意して、万全の体調で受験に臨んでください。

ガンバレ受験生!
ご健闘をお祈りします。

ぜひ入試を突破していただき、神宮と秩父宮でお会いしましょう。
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しっかりしろ国会

2010-01-18 18:43:25 | 社会全般
1月17日(日)の日経新聞は、中国の国債の信用力がCDS市場において日本国債を逆転したことを報じています。
これは、非常にショッキングなニュースです。

債券の損失を肩代わりするクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)は、発行者が契約通り元本や利払いをしない債務不履行に備えて保険をかける取引。
CDSの保証料率が高くなれば、その債券のリスクが上昇したことを表します。
1月12日時点現在の国債の保証料率は、中国=0.64%、日本=0.70%となり、日本国債が中国国債より高リスクだと世界が評価しているということです。

日本国債の信用力の低下は、財務相交代による「大きな政府」、「ばらまき」による財政悪化懸念、これに加えて日本航空の問題も要因だと同記事は紹介しています。
国際社会の評価は実にドライなのです。

鳩山政権は東アジア共同体構想を唱えていまして、その基本的な方向性は私も賛成です。

ただ、その構想を実現するためには、人材・貿易・金融のあらゆる面で、日本の市場をアジアにもっと開放することが必要となります。

すなわち、賃金水準、地価の水準が桁違いの一方で、猛烈な速度で教育水準が向上している中国やマレーシアなどの国々と市場を開放し合って、激しい競争に身を投じる覚悟を持つということを意味します。

各国の動きはダイナミックで、かつ貪欲です。

例えば、天然資源の豊富な南アフリカは治安面などに問題を抱え、日本の民間企業はなかなか積極的に事業展開ができません。
しかし、中国は国家主導で大量の労働力を同国に送り込み、天然資源発掘に関する利権を着実に確保しています。

自国内のインフラ充実の速度も凄いです。
例えば上海の地下鉄の総延長距離は、80年の歴史を有する東京を僅か17年で上回りました。

また、例えば日本が得意としてきた電子技術においても、パナソニックの大坪社長は「ぐんぐん技術力が向上している韓国サムスンに、同じ土俵では勝てない」と既に白旗をあげています。

ですから、日本政府が経済のグローバル化への対応を躊躇したり、あるいは多くの若者たちが正規雇用に就けずにプロの職務遂行能力を身に付けられない状況が続いていくようならば、あっという間に中国などの国々の経済力に日本は飲み込まれてしまいます。

軍事面に目を転じても、中国が移動式あるいは潜水艦発射式大陸間弾道ミサイルの配備が完了すると、中国に対する米国の先制攻撃は不可能になると言われています。

したがって、そのミサイル配備が完了する2015年頃には、実質的に米国による核の傘が消滅するとする意見が有力です。

そうだとすれば、日米安保が国防の基本となっている日本は、否応なしに国防の根本を見直しすることが迫られるでしょう。
ちなみに、日本も核武装すべきだと主張する人々は、このあたりを論拠の一つとしています。

そんな状況なのに、日本の国会は政治資金管理などの問題で紛糾し、ちっとも実質的な議論ができません。

日本の大手新聞もテレビもスキャンダラスな報道が大好きなようで、夕刊タブロイド紙と大差ありません。

こんな体たらくでは、日本国債のCDSの保証料率が中国に逆転されるのも仕方がないのかも知れません。

本当に困ったものです。

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マラソンの神髄

2010-01-17 17:23:17 | 大学駅伝
箱根駅伝が終わり、瀬古利彦さんの楽しい喋りも次のシーズンまでお預けとなりました。

瀬古利彦さんは、1976年(昭和51年)に早稲田に入学しましたから、私の一学年下。
大学三年生の時に福岡マラソンで優勝して、瀬古選手は一気に国民的ヒーローとなりました。

「マラソンの神髄」(ベースボールマガジン社、1600円)は、その瀬古さん自身が数年前に書いた本。

巨人の星に憧れて野球少年だった中学時代、肩を壊したために野球を諦めて陸上競技を始めた高校時代、そして一浪して入学した早稲田で中村監督に鍛えられて世界レベルの長距離ランナーになるまでの経緯と練習方法と"走りの哲学"などが書かれています。

四日市工業高校時代、瀬古選手はインターハイ800mと1500mで二連覇、5000mで中村孝生選手(前橋工業-日体大-エスビー食品)に敗れて二位。

全国高校駅伝では三年連続で花の一区を走ったということで、高校時代からバリバリの長距離ランナーという印象がありますが、高校時代はむしろ中距離の第一人者だったといえるかも知れません。
大学一年生の時に出場した京都マラソンが初マラソン。2時間26分だったそうです。

当時の競走部は、神宮外苑の周遊道路を練習場所にしていたので、私も彼らの練習風景を何度も見かけました。
ストイックな雰囲気が漂っていました。

しかし、下級生時代の瀬古さんの練習量は、現在の高校生ランナーたちよりも少なかったそうで、雑誌に載った宗兄弟(旭化成)の練習メニューを見てショックを受けたという学生時代のエピソードもあります。

それでも瀬古さんをはじめ、多くの一流ランナーを当時の早稲田は育てました。
各選手の練習メニューと練習量は、週単位で中村監督と相談して決めていたそうですから、中村監督が選手たちの力量や体調を完璧に把握して的確な指導をされていたということでしょう。

今年の競走部の課題は、豊かな素質を持ちながらも伸び悩んでいる選手たちを開花させること。
渡辺監督と瀬古さんの手腕に大いに期待いたしましょう。

ところで今日の夕方、BS朝日を観ていたら、久米宏さんと田中眞紀子が出演されて、昭和40年代の東京都内の空からの映像を眺める番組「TOKYO/空の下」が流れていました。

その映像の中には、久米さん/眞紀子さんのコンビらしく、早稲田大学のキャンパス(かつての8号館があり、法研、10号館が建築中)、安部球場(部員がグラウンド整備中の姿)、ビルになる前の三朝庵、穴八幡の境内などがありました。

白黒映像でしたが、間違いなく私が過ごした早稲田界隈の空気が画面から伝わってきました。


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阪神大震災から15 年

2010-01-16 19:29:55 | スポーツ全般
1995年1月17日に発生した阪神大震災から15年が経ちました。

当時、邦銀の融資企画部門に勤務していた私は、震災の当日に次のような仕事をやった記憶があります。
①兵庫地区における融資残高と不動産担保の状況一覧の作成
②主要取引先の法人の関西地区の事業拠点の分布と資金繰りの状況
③過去の大規模災害における事業資金や住宅ローンの返済猶予、緊急追加融資などの対策事例
④関西方面の支店への人的支援の準備

このような内容の書類を午前中に大急ぎでとりまとめ、昼過ぎには担当役員に報告しました。

私が資料の説明を終えた時、担当役員は「大蔵省は、元の銀行局長を送り込んでいる関西地盤のH銀行の経営建て直しが難しいと、以前から考えている。この震災で、官僚たちは、元銀行局長の経営責任を問うことなくH銀行を潰す大義名分を得たと考えているはずなので、あの銀行が経営破綻した場合の影響も調べておくように。」
やはり役員の目線は、主任調査役の私とは一味違いました。

なお、1995年1月時点の早稲田スポーツを振り返ると、新年の箱根駅伝では、渡辺康幸(市立船橋)小林正幹(松山)、小林雅幸(十日町)、藤井一博(高松)らを揃えて、マヤカを擁する山梨学院と激突。
渡辺がマヤカに走り勝ち往路優勝を果たすも、1月3日の復路で山梨学院に逆転されてしまいチームは総合二位。

ラグビーは、1月2日の大学選手権準決勝で、ラトゥ、オトを擁する大東文化大学に41対50で敗退。
早稲田は宿沢さんが監督で、四年生には山羽主将(桐蔭学園)、遠藤哲(早大学院)、隈部(筑紫丘)、笠井(長野)らがいました。

そして野球では石井連蔵監督に鍛えられた織田(日向)、半田(秋田経法大付属)、スケートでは八木沼(品川)が、三月に卒業を控えていました。
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就職氷河期

2010-01-15 18:18:11 | 大学野球
スポーツ推薦や指定校推薦などで既に合格を決めている新人たちが、野球部の練習に本格的に合流する時期が近づいてきました。

これから始まる大学生活に向けて、新人たちは決意と希望に胸を膨らませていることでしょう。

3月上旬まで東伏見の練習が非公開なのが残念ですが、ファンの一人として精一杯彼らを応援していきたいと思います。


さて、在校生たちに目を向けると、学生たちは未曾有の就職氷河期と格闘しています。

日本経済が低迷を続ける中、昨日の日経夕刊の「十字路」というコラムでは、山口大学の城下教授が「学生は一般に社会経験が乏しいため、世の中を甘く見て易きに流れがちだ。その結果、就職のための訓練を含む将来に備えた自己投資を怠りやすい。」と、個々の学生の就職活動に対する準備不足も見過ごすことができないと指摘されています。

そして今日の朝刊では、今春大卒予定者の12月1日時点における就職内定率が73.1%にとどまり、昨年同時期対比で7%程度悪化したという文部科学省の調査結果が報じられています。

早稲田の野球部でも、厳しい練習日程の合間をぬって、二年生の頃から就職に関する集まりに参加する部員を見かけるようになりました。

いやはや大変な時代になったものです。

例えば難易度の高い国家試験に向けた勉強を下級生から始めるというなら話は別ですが、やっと大学生活に慣れてきた二年生から就職活動を始めなければならないという現在の状況には、同情せざるを得ません。

前掲の城下教授の表現をお借りすれば、学生時代の私は世の中を甘く見て、易きに流れっ放しの毎日を、四年生の夏休みが終わるまで送っていました。

石油ショックの影響で、当時も厳しい就職戦線と言われていました。
そして就職後も、みっちり鍛えられましたけれど、なんとか現在に至るまで金融マンとして働いてくることができたのですから、思えば良き時代でしたし、職場でも良き先輩たちに恵まれました。

ともあれ、大学のあるべき姿を論じている暇もなく、今の学生たちは目の前の現実に具体的に取り組まなければなりません。

今年も、現役部員たちの集まりに近いうちに参加させていただく予定です。

金融業界を取り巻く環境、あるいは実際の職場の様子などについて、少しでも彼らに助言ができればと思っています。
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ウィリー木原さん

2010-01-14 21:12:16 | 大学野球
ウェブで、懐かしい顔を見つけました。

1973年(昭和48年)のドラフト会議で、大洋ホエールズから4位指名を受けるも拒否して、法政大学に進学したウィリー木原捕手です。
ちなみに同年の大洋ドラフト一位は慶応の山下大輔内野手。

木原さんは、郷里の別府に戻って、今も野球に関わっていらっしゃる様子で何よりです。
近況へのリンク

写真は、最強を誇った法政大学で、怪物・江川と同期入学となる“花の49年組”の打撃陣です。

〔前列左から〕
楠原(広島商)、袴田(静岡自動車工)、金光(広島商)

〔後列左から〕
植松(静岡高)、ウィリー木原(別府大付属)、徳永(柳川商)、島本(箕島高)

投手陣には江川(作新学院)、佃(広島商)もいて、さながら甲子園のスター選手、ドラフト候補選手大集合という感じです。

この時期は、早稲田、明治、慶応にも甲子園球児が大量に入学したのですが、法政の選手たちは体格が良くて、同じ甲子園球児でもスケール感が一味違いました。

彼らが上級生となった三年生の春から、法政はリーグ四連覇。
それも全て勝ち点5の完全優勝という磐石の強さで、明治神宮大会も二年連続で優勝しました。

法政の“花の49年組”は、入学して、いきなり一年生春のリーグ戦で大量にベンチ入りを果たし、メディアでも盛んに採り上げられました。

しかし、彼らに押し出される形で控えに回った上級生たちは、やはり面白くなかったのでしょうね。
あの時代ですから、江川らが下級生の頃は、先輩たちから相当しごかれたと聞きます。
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