紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

おたま

2006-10-08 21:56:28 | 読書
 私が、編みぐるみを作るのに必要な技術(=かぎ針編みの素質)を欠如させていることは、以前書いた。が、それを思い知っていてなお、かぎ針編み再チャレンジへと私を向かわせた本がある。

 出会いは、実に偶然だった。私のテリトリーで一番近い公共図書館は、実に気が利いた図書館なので、休日には大賑わいである。かなりの駐車スペースがあるにもかかわらず、八分方くらいは車がずらりとならんで埋まっている。

 その図書館では、書架の上に表紙が見えるよう本が立った状態で陳列されている。たぶん各司書さんが強力プッシュしたいに違いない本のオーラが発散されている。同業者なので、その辺はイヤでもわかる。ややマニアックなひねり方の選書なので、私は書架よりそちらを見て借りる本を選んでしまう。というか、手が出るのだ。まんまと引っかかってしまうのだ。私が行くと「カモがきた♪」とカウンターで司書さんが舌なめずりしているのでは、と思ったりもする。考え過ぎか。しかし、なぜ、知り合いでもないのに私の好みを知っているのだ?と首をひねるほどなのだ。夫が密かに通じているのだろうか、と詮索してしまうくらいだ。

 9類の文学だけではなく、0類の情報/読書などの棚にも面白い本はある。7類の件p/趣味や2類の紀行にも掘り出し物はある。もちろん児童書やYAもチェックは欠かせない。そして肩の凝らない家事全般と衣食住についての5類の棚は、図書館のオアシスである。こんな使いでのある棚はない。

 そんな実用向きの現実的な棚に、忽然と現れた浮世離れした本が棚の上で自らの存在を主張していた。カテゴリーは「編み物」で分類されていたが、

 おおーーーっ! なんや、これはーーーっ!

と思わず手に取って、すたすたとカウンターに向かう。
 それが、私と「おたま」(高宮孝治/アスペクト)との出会いだった。スパークするような一目惚れである。

 図書館で借りたが、本は結局は注文買いだ。だって、手のひらサイズの毛糸のオタマジャクシなんだもの。みればみるほど作りたくなってしまうではないか。作り方をじっくりみながら作るためには、借りるなんてまどろっこしいことをしている場合じゃない。
 「我が家に〔おたま〕がいたら、どんなにか癒されるだろう・・・」と見事に洗脳されてしまった。おたまオーナー、おたまライフ、という言葉が、催眠術のように私をかぎ針編み再チャレンジに急き立てる。

 いうまでもなく、結果は玉砕。くやしい。おたまの作者は30代の男である。くやしい。しかし人間には性別に関わらず、できることと出来ない事があるのだ。あのキュートな「おたま」をいくつもこさえ菓子折りに詰め合わせ、銘菓『おたまん』に仕上げる、という夢は粉砕されたが、いつの日か、再々チャレンジの日が来る事を信じている。(『おたまん』は高宮孝治さんが「おたま」の中で実際に作り上げ、カラー写真に仕上げている)

 たとえ認知症予防の対策であったとしても、「おたま」がかぎ針編みのテキストとして、必ずや役に立つ時がくるだろう、と未来の自分に「おたま」を託す私である。

*「おたま」は現在購入できませんが、同じ著者の「おたまライフ」は購入することができます。こちらの「おたま写真」もなかなか笑えます。

 PS作者によると、「かぎ針編み初心者でも1時間あれば(ひとつ)つくれます」ということになっている。この本の読者レビューにも、「初心者男性にも1時間で作れました!」とヨロコビの声が書かれていた。それなら私は、一体どうして・・・?