と、どんなにかぎ針編みにトライしても、結果が出せない私ではあるが、棒針編みは20才に成人してから解禁になった。というか、「棒針編みの基礎」という薄いカラーの本と首っ引きで独習し、習得したのだ。母も棒針編みの直線編みなら、おてのものだっだので、作り目や棒針の動かし方などは、彼女に教えを乞うた。
必要に迫られていたので、汗と手垢にまみれながらも、ほどなく第1作のマフラーは完成した。両サイドが波打っていようと、毛糸の房が縒れていようとも、少なくともマフラーには見える。
その後、すっかり編み物にはまりこんでしまい、相変わらず本と首っ引きながらも大物にトライしていくことになる。ベスト、セーター、ミトン、手袋。20代前半は冬場は編み物に時間を費やした。
百貨店で購入すると何万もするらしいというウワサを聞いて、ロピーセーターも編んでみた。これは丸ヨーク(首から肩にかけてのラウンド)に編み込み模様が入った太い糸でざっくり編んだセーターだ。アランセーターやガーンジセーターも複雑な模様を編むのが楽しくて、時を忘れて編み物三昧の日を過ごした。
葉っぱの透かし模様が入ったセーターは棒針ではなく、輪編みの器具を使った労作なので、もう二度と編めないだろうと思う。いや、結婚後はほぼ編み物をしていないので、複雑な模様のセーターも、根気と視力と計算力の低下を考えると、たとえこの先どんなに時間ができても、どうなることか、と心細い思いだ。
が、とんでもなく複雑な模様を編み込んで、とんでもない物を編んでしまったおばあちゃんがいたことを、ふと思い出した。児童書「おばあさんのひこうき」(村上勉/文 佐藤さとる/絵 小峰書店)に出て来る編み物好きの「おばあさん」である。
彼女は田舎に一人暮らしで、好きな編み物三昧で楽しく暮らしている。息子夫婦が「一緒に暮らしましょう」と誘っているのだが、彼女は団地だかマンションだかの暮らしに自分が馴染めるとも思えず、おことわりしようと考えている。
彼女がもっと編み応えのあるものを、と考えていた矢先、ふとしたきっかけで超絶難しい模様編みにトライすることになったおばあさんは、編み物が進むに連れて「ふわふわ」と編みかけのそれが魔法の絨毯のように浮かび出すことに気づき、仰天する。仰天するが、そこでとんでもなく素敵なことを思いつく。この編み物で「ひこうき」を手づくりするのだ。そして孫の住む場所まで冒険飛行することを思いつく・・・。
このおばあさんの思考や、感情が緻密に描かれていて、いま思い出しても「そんなことまで書いてあったんだ!」と感心する。編み物が進んで行くにつれ生まれる厄介なことなども、ディテールがしっかりと描かれているので、どっぷりと物語に入り込め、物語の進行とともに、どきどきしながら、おばあさんを見守ることになる。
「もっと込み入った模様を編みたい」「これを使ってこんな冒険をしたい」というおばあさんの思いは、ちょっとマッドサイエンティストの心理に近いものがあるように思う。が、決定的に違うのは、彼女が抑制の効く理性や常識を持っていて、それが結果的に彼女をピンチから救い、魔法の力に絡めとられずに日常に戻ってこられる素になったのだと、今になってしみじみと思う。いまの子どもたちに伝えたいようなメッセージだが、私がそれに気づいたのはたった今だ。そんなのひと言だって書いてはいないもの。
私が小学校に入学して以来、初めて先生から「読みきかせ」てもらった本が「おばあさんのひこうき」だった。あのひとときは、間違いなく一生忘れないことのひとつである。
必要に迫られていたので、汗と手垢にまみれながらも、ほどなく第1作のマフラーは完成した。両サイドが波打っていようと、毛糸の房が縒れていようとも、少なくともマフラーには見える。
その後、すっかり編み物にはまりこんでしまい、相変わらず本と首っ引きながらも大物にトライしていくことになる。ベスト、セーター、ミトン、手袋。20代前半は冬場は編み物に時間を費やした。
百貨店で購入すると何万もするらしいというウワサを聞いて、ロピーセーターも編んでみた。これは丸ヨーク(首から肩にかけてのラウンド)に編み込み模様が入った太い糸でざっくり編んだセーターだ。アランセーターやガーンジセーターも複雑な模様を編むのが楽しくて、時を忘れて編み物三昧の日を過ごした。
葉っぱの透かし模様が入ったセーターは棒針ではなく、輪編みの器具を使った労作なので、もう二度と編めないだろうと思う。いや、結婚後はほぼ編み物をしていないので、複雑な模様のセーターも、根気と視力と計算力の低下を考えると、たとえこの先どんなに時間ができても、どうなることか、と心細い思いだ。
が、とんでもなく複雑な模様を編み込んで、とんでもない物を編んでしまったおばあちゃんがいたことを、ふと思い出した。児童書「おばあさんのひこうき」(村上勉/文 佐藤さとる/絵 小峰書店)に出て来る編み物好きの「おばあさん」である。
彼女は田舎に一人暮らしで、好きな編み物三昧で楽しく暮らしている。息子夫婦が「一緒に暮らしましょう」と誘っているのだが、彼女は団地だかマンションだかの暮らしに自分が馴染めるとも思えず、おことわりしようと考えている。
彼女がもっと編み応えのあるものを、と考えていた矢先、ふとしたきっかけで超絶難しい模様編みにトライすることになったおばあさんは、編み物が進むに連れて「ふわふわ」と編みかけのそれが魔法の絨毯のように浮かび出すことに気づき、仰天する。仰天するが、そこでとんでもなく素敵なことを思いつく。この編み物で「ひこうき」を手づくりするのだ。そして孫の住む場所まで冒険飛行することを思いつく・・・。
このおばあさんの思考や、感情が緻密に描かれていて、いま思い出しても「そんなことまで書いてあったんだ!」と感心する。編み物が進んで行くにつれ生まれる厄介なことなども、ディテールがしっかりと描かれているので、どっぷりと物語に入り込め、物語の進行とともに、どきどきしながら、おばあさんを見守ることになる。
「もっと込み入った模様を編みたい」「これを使ってこんな冒険をしたい」というおばあさんの思いは、ちょっとマッドサイエンティストの心理に近いものがあるように思う。が、決定的に違うのは、彼女が抑制の効く理性や常識を持っていて、それが結果的に彼女をピンチから救い、魔法の力に絡めとられずに日常に戻ってこられる素になったのだと、今になってしみじみと思う。いまの子どもたちに伝えたいようなメッセージだが、私がそれに気づいたのはたった今だ。そんなのひと言だって書いてはいないもの。
私が小学校に入学して以来、初めて先生から「読みきかせ」てもらった本が「おばあさんのひこうき」だった。あのひとときは、間違いなく一生忘れないことのひとつである。