紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

夏の終わり

2007-08-18 23:44:43 | 季節
 今日も暑かったが、日陰や家の中なら涼風がそよいで、いくぶんしのぎやすかった。飲んだら直ぐ汗に変換されるが、それでも以前のように日中睡眠が必要な程には消耗しなくなった。

 夜にベランダに出れば、蛙の声や地虫の鳴き声だったのが、コオロギなどのバッタ類に替わり、いよいよ秋の気配が漂い始めている。

 日中のツクツク法師の鳴き声は、夏休み終盤を思い出させる。夏休みが終わる切なさや、大量に残った宿題への焦りや、夏の終わりの遣る瀬なさや無常観!?を思い起こさせる。

 ああ、そういえば、私は子どもの頃、長期の休暇中は必ず母方のおばあちゃんの家に泊まりがけで行ったものだが、その歩いて直ぐ琵琶湖の波打ち際に行ける家を、子どもながら、ことのほか愛していた。

 まるで「さつきとメイの家」のようだった。その家のすべてを激しく愛していた。(でも家の外のトイレは苦手だった) 裏の縁側からは、松林が見えた。手前は生ゴミ捨て場になっていて、でも植物関係のがほとんどだったので、そんなにゴミっぽくなかった。縁側のちかくには、誰も食べない夏蜜柑の木があった。

 そんな風景も好きだったが、波の音や松林を渡る風の音を聴きながら、畳の上でまどろんだり、何をするでもなくぼんやりしているのは、至福の時間だった。いまでも風景をみたり、雨や風の音を聴きながらぼんやりしているのが好きなのだけど。

 なにもしない時間は、贅沢に生きた時間だと思う。同様に家族のメンバーと、とくに意味の無いくだらない話をするのも大好きな時間である。

 きのうは夫・H氏と「気の弱いナマハゲ」について語り合った。ふと思いついたのである、小さい声でこそっと「悪い子はいねが~?」とつぶやきながら、きょろきょろと油断無く逃げ腰で、そそくさと家家をまわるナマハゲさん。実演してみた。
悪い子はいねが~?
ちょっと、ウケる。

「悪い子、いたら、いややな~、悪い子、出て来るな!と必死に念じながら、いやいや家を廻る、気の弱いナマハゲやねん」
「包丁も錆てて使えへんのやろな、きっと。」

 などと暢気な会話をしているのだが、一方、夏の暑さはお年寄りには大変堪えるので(なのに冷房嫌いで決して空調のある部屋には入らない)、夏場はおばあちゃんを気遣う精神的な緊張がひそやかに続く。何気ない顔をしながらも、内心はらはらしながら、いのちの綱引きをしているようだ。
 桂枝雀師匠がおっしゃっていたように、「緊張と緩和」のある生活を、知らない間に送っているのかもしれない。夏の山場を少し過ぎて、ちょっとばかし、ほっとしているところでもある。