まずは「なすびそうめん」の結果発表である。ダダダダダダダダ・・・ジャジャーン!金沢出身者2名には、懐かしさと久々の思い出の味である事を加味しても、大変好評だった。めでたし、めでたし。もちろん金沢には一度しか行った事の無い私も、おいしかった。
コツは、味のでるもの(例えば油揚げ)を入れないので、だしの味が勝負どころになる。干し椎茸と昆布と粉煮干しに市販のだしの素を入れて、しっかりだしの味をつけてみた。今回は仕事帰りで大急ぎで作成したので、冷やす時間がなく、あたたかい「なすびそうめん」だったので、次回は冷たいのにトライしてみたい。
って、実はちょっとばかり残っている「なすびそうめん」が冷蔵庫にあるので、わざわざトライするまでもなく、残り物でバージョンを変えられるのだ。しめしめ。
ちなみに私の実家でも、たしかそうめんを炊いたものを食べた覚えがあったので、必死で思い出してみたら、「生節」との炊き合わせだった。
「あー、子どもの時、こういうそうめん食べたの思い出したー。ナマブシと炊いてあったなー」といえば、H氏は「ごめんこうむりつかまつる」という表情をした。
先月「大笑いしながら読んだ」という書評や感想に釣られて、地元の図書館でリクエストした富安陽子さんの『さいでっか見聞録』(偕成社)を、先週やっと借りる事ができた。それをやっと今日、実はさしたる期待も無く、職場のお昼休みにひもといてみたのだ。
『さいでっか見聞録』といってもマルコメ[ロの『東方見聞録』みたいな旅行記ではない。どちらかといえば、『当方見聞録』といった方が当たっているかもしれない。口当たりは西原理恵子の「毎日かあさん」をソーダで割ってシロップを加えたような感じに私には思える。
そしてその笑いは、末Eの岸本佐知子さん、旅エッセイ界の宮田珠己氏を初めて発見したときの驚きと喜びに匹敵する。新しいテイストの笑いに、おもわず引き込まれる。1つめのエッセイ(わずか3P)から、すっかり熱烈な支持者となる。
たとえば「ペイズリー柄のスカーフ」という表現が、わずかその2行後には「ゾウリムシみたいな柄のスカーフ」と変化するのだ。そのスカーフを巻いた男に対する富安さんの建前の気持ちから本音の気持ちへと移行する度合いが、なんとわかりやすいことか!
しかしそんなのは序の口! ふたつ目のエッセイを読めば、「おお、こんなところに同志が!」と思わず口元がほころんで来る。タイトルは「もの忘れの頃」。
彼女のまわりでは40を過ぎた頃から「最近、物忘れがひどくなった」という声を良く聞くようになったのだが、彼女自身にはそのことに関する不安は微塵もない。幼い頃よりずっと物忘れがひどかったので、今更症状の悪化する余地がない、と余裕のよっちゃんなのだ。しかも
「わたしはいま、まわりのひとびとの物忘れの度合いが、やっとわたしのレベルにおいついてきたことを、とてもうれしく思って」いたりするのだ。富安さん、あなたはアクマだ(笑) きっと彼女の脳内も真っ黒なのだろう。
私もおばあちゃん(80代)から日々、「最近ものを忘れて忘れてしょうがない」と嘆く声を聞くのだが、実は私(40代)は心の中で「もうすでに、忘れて忘れてしょうがない状態に突入している私よりはるかに、おばあちゃんのは立派な脳ですよ」と、つぶやくのだ。こんな悔しい事はおばあちゃんには聞かせられないので、あくまで、心の内のつぶやきに留めている。
でも今こんなに物忘れがひどければ、若いうちより物忘れの対処法とおちこみ防止対策をたてられるので、あとあと楽かもしれない、なんて思っていたところなのだ。ものは考えようなのである。
コツは、味のでるもの(例えば油揚げ)を入れないので、だしの味が勝負どころになる。干し椎茸と昆布と粉煮干しに市販のだしの素を入れて、しっかりだしの味をつけてみた。今回は仕事帰りで大急ぎで作成したので、冷やす時間がなく、あたたかい「なすびそうめん」だったので、次回は冷たいのにトライしてみたい。
って、実はちょっとばかり残っている「なすびそうめん」が冷蔵庫にあるので、わざわざトライするまでもなく、残り物でバージョンを変えられるのだ。しめしめ。
ちなみに私の実家でも、たしかそうめんを炊いたものを食べた覚えがあったので、必死で思い出してみたら、「生節」との炊き合わせだった。
「あー、子どもの時、こういうそうめん食べたの思い出したー。ナマブシと炊いてあったなー」といえば、H氏は「ごめんこうむりつかまつる」という表情をした。
先月「大笑いしながら読んだ」という書評や感想に釣られて、地元の図書館でリクエストした富安陽子さんの『さいでっか見聞録』(偕成社)を、先週やっと借りる事ができた。それをやっと今日、実はさしたる期待も無く、職場のお昼休みにひもといてみたのだ。
『さいでっか見聞録』といってもマルコメ[ロの『東方見聞録』みたいな旅行記ではない。どちらかといえば、『当方見聞録』といった方が当たっているかもしれない。口当たりは西原理恵子の「毎日かあさん」をソーダで割ってシロップを加えたような感じに私には思える。
そしてその笑いは、末Eの岸本佐知子さん、旅エッセイ界の宮田珠己氏を初めて発見したときの驚きと喜びに匹敵する。新しいテイストの笑いに、おもわず引き込まれる。1つめのエッセイ(わずか3P)から、すっかり熱烈な支持者となる。
たとえば「ペイズリー柄のスカーフ」という表現が、わずかその2行後には「ゾウリムシみたいな柄のスカーフ」と変化するのだ。そのスカーフを巻いた男に対する富安さんの建前の気持ちから本音の気持ちへと移行する度合いが、なんとわかりやすいことか!
しかしそんなのは序の口! ふたつ目のエッセイを読めば、「おお、こんなところに同志が!」と思わず口元がほころんで来る。タイトルは「もの忘れの頃」。
彼女のまわりでは40を過ぎた頃から「最近、物忘れがひどくなった」という声を良く聞くようになったのだが、彼女自身にはそのことに関する不安は微塵もない。幼い頃よりずっと物忘れがひどかったので、今更症状の悪化する余地がない、と余裕のよっちゃんなのだ。しかも
「わたしはいま、まわりのひとびとの物忘れの度合いが、やっとわたしのレベルにおいついてきたことを、とてもうれしく思って」いたりするのだ。富安さん、あなたはアクマだ(笑) きっと彼女の脳内も真っ黒なのだろう。
私もおばあちゃん(80代)から日々、「最近ものを忘れて忘れてしょうがない」と嘆く声を聞くのだが、実は私(40代)は心の中で「もうすでに、忘れて忘れてしょうがない状態に突入している私よりはるかに、おばあちゃんのは立派な脳ですよ」と、つぶやくのだ。こんな悔しい事はおばあちゃんには聞かせられないので、あくまで、心の内のつぶやきに留めている。
でも今こんなに物忘れがひどければ、若いうちより物忘れの対処法とおちこみ防止対策をたてられるので、あとあと楽かもしれない、なんて思っていたところなのだ。ものは考えようなのである。