2年程前、大阪府立図書館主催で、天野祐吉氏の講演会に、夫・H氏とふたりで行った事がある。久野収氏の蔵書が寄贈されたので、図書収蔵記念として催された講演会だった。
そのメインな内容は、きれいに覚えていない。久野収に興味をもっていたのはH氏なのだ。私はどちらかといえば、天野祐吉の講演会というのにウエイトが置かれていた。
しかしそんな私が必死で脳のシワに刻み込んだ話がある。天野さんが「いまの若いひとは、モノを知らない」という話になった。その具体例として、『清水の次郎長』の話になる。彼の職場の若いひとが『清水の次郎長』を聞き、どうも合点のいかない箇所があるというのだ。
清水の次郎長の子分で有名なのは、もちろん森の石松である。私はテレビの浪曲を広沢虎造で聞いたが、時代劇のドラマにもなったし、わりと最近では、誰が見るのか!?という時間帯(朝の5時ごろ?)に、アニメ化されたのもちょっと見たことがある。
森の石松は好漢であるが、清水の次郎長の一の子分ではない。一の子分は大政、二の子分は小政だ。テレビのおかげで、そのへんの一般教養は、子どもの頃、脳みそに沁み込んでいった。それらが下敷きになったいわゆる「パロディ」が盛んだったことも追い風になった。コントもバラエティもCMも、そのような下地があってこそ成り立っていた。
ほかにもシェイクスピアの劇のアウトラインや、ドンキホーテのキャラや、小泉八雲の怪談など、あらゆる古典や名作は、テレビをみていた子たちなら、アバウトながら、たいていみんな知っていたと思う。昔のテレビマンは未来に夢も希望も持っており、未来を担う子どもに託す番組造りをしていたようにも思える。
そしてそれらの知識を持っているという前提で、ギャグやCMや人形劇がつくられていた部分がある。現在とは隔世の感がある。下地はどこにいったんだろう?
さて先の天野さんの話に戻る。
「清水の次郎長の一の子分」を天野さんとこの若い衆は、「お馬さん」といったそうだ。「おおまさ→おうまさん」。そう聴こえないこともないのだが。
「じゃ、二の子分は?」・・・(ちいさい声で)「熊さん・・・」
「おまえ、ギャグで云ってるのか?」と天野さんは思わず問い返したそうである。
そのメインな内容は、きれいに覚えていない。久野収に興味をもっていたのはH氏なのだ。私はどちらかといえば、天野祐吉の講演会というのにウエイトが置かれていた。
しかしそんな私が必死で脳のシワに刻み込んだ話がある。天野さんが「いまの若いひとは、モノを知らない」という話になった。その具体例として、『清水の次郎長』の話になる。彼の職場の若いひとが『清水の次郎長』を聞き、どうも合点のいかない箇所があるというのだ。
清水の次郎長の子分で有名なのは、もちろん森の石松である。私はテレビの浪曲を広沢虎造で聞いたが、時代劇のドラマにもなったし、わりと最近では、誰が見るのか!?という時間帯(朝の5時ごろ?)に、アニメ化されたのもちょっと見たことがある。
森の石松は好漢であるが、清水の次郎長の一の子分ではない。一の子分は大政、二の子分は小政だ。テレビのおかげで、そのへんの一般教養は、子どもの頃、脳みそに沁み込んでいった。それらが下敷きになったいわゆる「パロディ」が盛んだったことも追い風になった。コントもバラエティもCMも、そのような下地があってこそ成り立っていた。
ほかにもシェイクスピアの劇のアウトラインや、ドンキホーテのキャラや、小泉八雲の怪談など、あらゆる古典や名作は、テレビをみていた子たちなら、アバウトながら、たいていみんな知っていたと思う。昔のテレビマンは未来に夢も希望も持っており、未来を担う子どもに託す番組造りをしていたようにも思える。
そしてそれらの知識を持っているという前提で、ギャグやCMや人形劇がつくられていた部分がある。現在とは隔世の感がある。下地はどこにいったんだろう?
さて先の天野さんの話に戻る。
「清水の次郎長の一の子分」を天野さんとこの若い衆は、「お馬さん」といったそうだ。「おおまさ→おうまさん」。そう聴こえないこともないのだが。
「じゃ、二の子分は?」・・・(ちいさい声で)「熊さん・・・」
「おまえ、ギャグで云ってるのか?」と天野さんは思わず問い返したそうである。