紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

ひぐらし

2007-08-20 00:00:57 | 季節
 もう5年ほど昔になるが、多賀大社のある多賀町(滋賀県/湖東)のアストロパーク天究館という天文台に行った事がある。天体についてのちいさなテーマパークで、戸外には林に囲まれた芝生の広がる公園があった。

 そこで私は初めて、「ひぐらし」の蝉時雨を聴いた。かなかなかなかな・・・という音のシャワーは時雨というより、まるで黄泉の国に誘う催眠術のようだった。別世界にいるようだったのを覚えている。切ない運命に流されて行くような、甘美な黄昏のような斉唱。

 子どもの頃わけもなく、いわくいいがたい悲しみや切なさに胸がいっぱいになったことがあるが、まるでそんな感じ。純度100%の切なさ。ものすごく綺麗なものを見た時に感じるような、鋭い悲しみ。

 そうそう小林秀雄がモーツァルトのある楽曲*を「疾走する悲しみ」と評していたが、もしかするとそれに近いのかも。
(*シンフォニーの40番とか弦楽五重奏曲第4番とかいわれている)

 「ひぐらし」の声には、生きている悲しさや切なさの濃度があまりに高いので、良く出来た失恋の歌を聞いたときのように、呆然としてしまった。

 もうずいぶん聴いてないので、久しぶりにまた「ひぐらし」の声を聴きたくなったのだけれど、アストロパークはもう天文台で天体観測のみの施設になってしまっていた。それも週に一度の夜間のみ。あの芝生の広場で、巨大な恐竜の遊具?を眺めながら、「かなかなかなかな・・・」という自問自答や疑問形の悲しい声を聴く事はできない。やはり人生、諸行無常である。「今度また」は、あまりにしばしばやってこない。