(昨日のブログより続く)
というふうに、Kちゃんの家庭教師をたまに請け負うのだが、私たちは揃いも揃って雑念だらけなので、勉強のはかどらないことといったら(笑) 「揃いも揃って」るのは、その部分が遺伝だからしかたない。
いや、ふたりとも茶化すつもりは、さらさら無いのだが(ほんまか?)、ちょっとした文章の読み間違いなんかに、ひとりが「うっ」と笑い出すと、もういけない。「がはははは~」と転げ回って爆笑大会となり、しばし中断。
国語の文章題なんかの問題で、質問の後に
( 20字以内で述べよ )
( 10字以内で述べよ )
とかがたまたま2列続き、それが縦書きなので、彼女の多角的な目にはふと )が「閉じた目風」に見えたらしい。
「かわいかったし、口つけてみた」と口の部分にあたるカッコ「)」を鉛筆で書き込む。
→首を左に曲げて見ると寝て微笑んでる顔に見える人には見えます
)
)
)
文章の意味を問う4択問題では、選択肢ひとつひとつについ、じっくりとコメントしてしまう。「そんなこと思たら、失礼やろ~(笑)」「それはほとんど言葉が一緒で意味が別もんの、ダジャレやろ~」「これは強力なひっかけやなー。正解と最後まで競う強力なライバルやなあー」。
そのようにひとつひとつのコメントに、またふたりで爆笑してしまうので、カタツムリのような歩みの勉強なのだ。私は家庭教師というより、ほとんど「効率よく勉強する」という概念をぶち壊すお邪魔虫である。
勉強は一生するものだから、いやいやするような態度で臨みたくはない。「勉強は楽しい」「調べるのは面白い」という姿勢さえ身に付けてくれれば、私としては満足である。
お兄ちゃんは「楽しい勉強しかしない」頑な人であるが、今となってはそれも結果オーライだったかもしれないとも思う。そこから拓けて来る道もある。
そして雑念だらけながら、やり抜く意志力でKちゃんは夏休みの課題テキストを仕上げた。
しかし雑念も力なり。私はほぼ雑念だけで、毎日このブログを書いているんだもんな。
というふうに、Kちゃんの家庭教師をたまに請け負うのだが、私たちは揃いも揃って雑念だらけなので、勉強のはかどらないことといったら(笑) 「揃いも揃って」るのは、その部分が遺伝だからしかたない。
いや、ふたりとも茶化すつもりは、さらさら無いのだが(ほんまか?)、ちょっとした文章の読み間違いなんかに、ひとりが「うっ」と笑い出すと、もういけない。「がはははは~」と転げ回って爆笑大会となり、しばし中断。
国語の文章題なんかの問題で、質問の後に
( 20字以内で述べよ )
( 10字以内で述べよ )
とかがたまたま2列続き、それが縦書きなので、彼女の多角的な目にはふと )が「閉じた目風」に見えたらしい。
「かわいかったし、口つけてみた」と口の部分にあたるカッコ「)」を鉛筆で書き込む。
→首を左に曲げて見ると寝て微笑んでる顔に見える人には見えます
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文章の意味を問う4択問題では、選択肢ひとつひとつについ、じっくりとコメントしてしまう。「そんなこと思たら、失礼やろ~(笑)」「それはほとんど言葉が一緒で意味が別もんの、ダジャレやろ~」「これは強力なひっかけやなー。正解と最後まで競う強力なライバルやなあー」。
そのようにひとつひとつのコメントに、またふたりで爆笑してしまうので、カタツムリのような歩みの勉強なのだ。私は家庭教師というより、ほとんど「効率よく勉強する」という概念をぶち壊すお邪魔虫である。
勉強は一生するものだから、いやいやするような態度で臨みたくはない。「勉強は楽しい」「調べるのは面白い」という姿勢さえ身に付けてくれれば、私としては満足である。
お兄ちゃんは「楽しい勉強しかしない」頑な人であるが、今となってはそれも結果オーライだったかもしれないとも思う。そこから拓けて来る道もある。
そして雑念だらけながら、やり抜く意志力でKちゃんは夏休みの課題テキストを仕上げた。
しかし雑念も力なり。私はほぼ雑念だけで、毎日このブログを書いているんだもんな。