紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

花森さんと林さん

2008-03-16 23:35:16 | 読書
 『暮しの手帖 保存版Ⅲ 花森安治』を借りてきた。図書室で買った時から、気になっていたけど、なんとなく手つかずで、きた。花森安治は『暮しの手帖』を創刊した多才な編集長である。

 パッチワークのような花森さんの特集号なので、休憩時間にテキトーな頁を開いて読み始めた。読み終わる頃には、もう双眸がうるうるである。173頁に1968年2月の『暮しの手帖』に掲載された花森さんの文章がある。タイトルはこうだ。

『世界はあなたのために
 はない 
     この春、学校を卒業する若い女のひとのために』

 彼が敬愛する「暮しの手帖」の社員であり仲間、ごく普通の主婦であり母親でもある林澄子さん(入社時は藤井澄子さん)の思い出を語っている文章だ。彼女は33歳の若さで突然亡くなられ、その悲しみと無念な想いをにじませながら、いかに彼女が素晴らしい仕事人であり、ゆるぎない責任感と健やかな生活観をバランスよく持って、仕事と家庭を両立してきたかが描かれている。

 この「両立」は当時、「暮しの手帖社」だからこそ可能だったし、きちんとした社会性と日日の暮しを大切にする心がなければ、むしろこの会社の仲間にはなれなかったのかも知れない。ほとんど「規則」というものがない会社だったから。「人間らしい」ということが、ここでは最重要視されるのである。

 出産前後の休暇にしても、各人の事情に合わせて、なるたけ無理のないように取り決められたらしい。また各自の家庭生活も厳しいくらいに守ることを要求されたという。残業をして家族と一緒に晩ご飯を食べないなんて、言語道断だったようだ。自分の日常の暮しを大切にしない人間が、「暮し」について語る資格はない、いわんや仕事についてなんて、というのが、花森さんの信念だったそうだ。

 新卒で社会人1年生になる予定の女性たちへのはなむけの文章なのだが、筆致は厳しい。林澄子さんの心を打つエピソードを織り交ぜながら、厳しさと期待を持って、若い女性たちをピシリと(愛をもって)打つのだ。

「学校を出るということは、はじめて、世界と面とむきあうことである。
 その世界を甘くみてはいけない。(中略)
 世界は、あなたの前に、重くて冷たい扉をぴったりと閉めている。
 それを開けるには、じぶんの手で、ツメに血をしたたらせて、こじあけるより仕方ないのである。(中略)
 そしていま、君たちはその重い冷たい扉の前に立っているのだ。
 君たちはどうするのか。」

均等法も育児休業も無かった頃。女子高生のその後の進路は、ほとんどがせいぜい高卒か短大進学が普通だった頃。卒業後仕事に就くのは「こしかけ」と呼ばれ、結婚する2.3年までのつなぎ期間なのが、暗黙の了解だった頃。

 その頃「暮しの手帖社」は四年生大学卒の女性を採用し、結婚しても、赤ちゃんを産んでも、その人にあった暮しと仕事を継続出来るスタイルでの職場を提供されていた。

 40年前の話である。