紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

トリハダの最終回

2008-03-29 23:58:54 | テレビ
 ついに最終回を迎えてしまった『ちりとてちん』。これについては、もっとゆっくり考えた方がいいと思うが、現在のフレッシュな感想としてメモを残す。

 もう、トリハダたちましたね。少なくとも私にとっては、ウルトラCではなく、ウルトラQレベルな「やられた感」。「おかあちゃんみたいになりたい」発言の後、でももう一回それは最終回でひっくりかえるのでは?という私の予想は見事に裏切られた。いわゆる時代の常識に縛られていた私の負け。脚本家の藤本さんに、最大の賛辞を贈りたい。

 このおとしまえの付け方に不満に思う人もいっぱいいるかもなー。でもきっちり熱く見ていた人も多いので、おおむね納得してもらえるのでは、と楽観もしているのだけれど。

 『ちりとてちん』は、単純な人情ものでも、保守派受けを狙うドラマでもない。ドラマの流れや、キャラクターのみならず、見ている人の感情の動きまでも計算ずくなようなフシが見え、しかも新しい。この新しさは画期的だった。

 男の世界である落語界に飛び込む女性の成長物語、といえば、嫉妬、セクハラ、いじめ、その他のリアルな難関が用意されても不思議ではない。しかし『ちりとてちん』ではそんな「リアルな難関」が、きれいに見当たらない。といって「メルヘン」な訳でもない。

 私たちはもうとっくに「男の社会で紅一点でがんばる女性につきもののリアルな難関」にあきあきしているはずなのだ。それに「そうそう、そうなのよねー」「私も負けずにがんばらなきゃ」だけでは、何一つ変わらない。
 だから「リアル」を見せられるより、「そんなくだらない『難関』がなければ、どんなにすてきな世界が現われるか」を見たいはずなのだ。それをついに実現してくれたのが、藤本有紀さんであり、だからこそ、視聴者の熱狂的な共感を呼んだのであろう。それで何かが変わるかは私たち次第なのだけれど。まずは第1歩。
 しかも古いはずの「落語的世界」の今日的新しさすら提出された。

 くだらない無駄な場面のかわりに、じっくりと繊細に丁寧に心理描写があり、落語の知識をくすぐる遊びも満載という凝縮され、豊かな世界が広がった。

 3月に入ってから、いろんなところでストーリーの円が最初の頃の話と合わさって、ぴたっと閉じて行くたび、「わー、こう閉じたかー!」といちいちわくわくしていた。ということは「おかあちゃんみたいになりたい」発言は、きっとあるだろうことも予想された。

 しかし、まさか本当に落語家を引退するとは、予想だにしなかったな。仮にも朝の連続テレビ小説のヒロインが、自分の目指す道を見つけて登って行くヒロインが、最終週でリタイアを宣言するなんて、まずNHK的に許されるストーリー展開だとは思えなかったもので。それを覆した藤本さんは勇気ある女性であることよ。

 繰り返すが、これは「女は子どもができれば家庭に入れ」的発想だとは、私には考えられない。まずそんな保守的なドラマなら、こんなに登場人物の男たちは泣かないだろう。この結末に関しては、私的な思い入れもあるので、またじっくりと。