紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

3点で支える

2006-10-26 23:38:47 | ノンジャンル
 今年の夏にラジオの「夏休み子ども科学電話相談」を聞いている時、「ムカデの足はホントは何本ですか?」と小学生の女の子からの質問があった。

 そのとき先生は、ムカデの種類やなんかによって足の数はまちまちだけど、必ず3の倍数になりますよ、と答えていらっしゃった。昆虫の足の基本は左右に3本ずつである。3本の倍数なら、どんなに長いからだでも支えられます、という事らしい。

 3が基本の数字というのは、なんだか納得出来る。オリンピックの表彰台も金銀銅の3つだし、てこだって「支点・力点・作用点」の3点が重要だ。3点セットとか、三種の神器とか、三原色とか、三つ子の魂百までとかいうもんなあ。「みざる・いわざる・きかざる」とか、まんがトリオ、てんぷくトリオ、ちゃんばらトリオ、三人寄れば文殊の知恵、三角関係など、思いつくままに書いても、あっという間にこれだけ出て来る。ずいぶん偉大な数字なのかもしれない。

 そういえばこの間テレビを見ていたら、ギャグの中で「△木馬」という単語が出て来て、思わず爆笑してしまったら、お兄ちゃん(高校生)が無邪気に「それ、なに?」と聞くので、説明に困ってしまった。
 見た事も使った事も!ないので、仕方なく「ゴーモンの道具、かな?」と答えたら、奥手で純情なお兄ちゃんも、やっと質問の「ヤバさ」に気づいたらしい。しかし隣で苦笑いしているKちゃん(小学生)のほうが、一枚上手というのもなあ(汗) 

 ところでウチの全自動洗濯機は、特定の場所で必ずストップし、時間を戻してしまい長時間かけて洗濯してしまう事がたびたびある。だいたい脱水するときに、遠心力がかかる前に機械ががたがた動いてしまい、洗濯物の偏りを直すため再度注水に戻ってしまうのだ。
 洗濯機を抱え込むようにして押さえつけても、オンナの細腕ではなかなか言う事をきいてくれず、あざ笑うように脱水からすすぎに戻ってしまう。

 が、最近そんなにがっしりと洗濯機と抱き合わなくてもすむ方法を発見した。3点で支えるのだ。左右の手で両端を、お腹で前面を。この3点を押さえれば、あら不思議、ロデオの暴れ馬のようだった洗濯機が、すんなりと回り出してくれるではないか! お腹の皮下脂肪の適度な弾力効果が、洗濯機の暴力的な力をいともたやすく奪ってしまったのだ。

 いままで皮下脂肪については邪険な思いを抱いていたが、まさかこんな活用法があったとは。無機質な暴力を吸収する皮下脂肪の母性、おそるべし、である。

山吹色のお菓子

2006-10-25 21:11:45 | お買いもの
 お買物、というカテゴリだが、私が買った訳ではない。でも機会があれば買ってもいいな♪という物件を見つけてしまった。発見場所は例によって、私のツボを心得ているとしか思えない「件p新潮」の11月号である。

 今回の「件p新潮」はいいよー! 東京上野の東京国立博物館で開催されている特別展『仏像 一木にこめられた祈り』とタイアップした大特集「日本の仏像誕生!」。個性的な木彫りの仏像の豪華なグラビアであり、日本の仏像の変遷と謎に迫る大特集である。これは買わなきゃ。

 しかもラスト近くの頁には、かつて私がブログで紹介したくつろげる町家の「ボーダレス・アートギャラリーNO-MA」で現在繰り広げられている企画展「快走老人録」の、爆発する老人力が紹介されているのだ。こんなメジャーな雑誌に6頁にわたって紹介していただけるなんて、たいしたもんだよー。

 が、今日私がご用意したネタは、申し訳ないけれど1/3頁の記事に過ぎない。それも件pに何の関連も無い(と思われる)贈答用のお菓子だ。

 ベタな時代劇の権力とカネの癒着のベタな場面で、かならず登場するベタな菓子箱がある。見かけは普通の菓子箱だが、持てばずっしりと重く、蓋を開けば山吹色に輝く小判がぎっしり・・・。見つめ合い、微笑み合う「そちもワルよのう」な男が二人。そんな場面をヒントに作られたのが、その名も「山吹色のお菓子」なのである。

 一見「塗りのお重」のようにみえる外箱のなかには、小判型のパッケージがギッシリ詰まっている。もうこれだけで、時代劇ファンにはたまらんやろ~と思われる。

 この小判型のパッケージの中にはパイ生地のお菓子が入っているそうだ。餡入りだが、もちろんただの餡ではなく、黒ごまが練り込まれている。「ゴマを擦る」という意味も込められているとか。パッケージもお菓子自体も、なかなか丁寧に作ってあるらしい。英語の解説書まで付いているそうなので、海外の取引先にもOKだ。その「解説書」には、一体何が書いてあるのかも興味津々なんだけど。

 どうか一発ギャグで終わらないよう、洒落のわかる相手へのお歳暮として贈り贈られして欲しい逸品である。このお菓子を見つけた正義の方は、どうぞくれぐれもお目こぼしを!

お世継ぎはどうする?

2006-10-24 23:36:23 | 読書
 お昼休みに『広告批評』06年10月号を読んでみた。トップにある橋本治さんの「ああでもなくこうでもなく」がいちはやく読みたいばっかりに、定期購読している。

 それ以外にもときどき素晴らしい特集とかもあるし、装丁のデザインも毎回特集に沿ったクリーンヒットなのだ。なんといっても思いっきり好きなようにやってます!みたいな雑誌なので、手にしているとしごく気分がいい。読むだけなら地元の図書館にもあるので、月遅れで借りればそれで済むのだけれど、やはり応援するからには定期購読かな。

 今回の「ああでもなくこうでもなく」では、「皇位継承者は男系男子に限る」なんて敷居の高いことを言っていたら結婚相手を登場させにくくする危険(天皇制存続の危機)がありますよ、という話だった。なるほどね、そういえば話を簡単にすればそういうことになるよね。

 そのしばらく後、日曜の新聞書評欄を見渡してみる。10月22日の書評欄は、なかなかに充実していた。その中で「そ、そうだったの?」というトリビアルな本が紹介されていた。『お世継ぎのつくりかた』(鈴木理生/筑摩書房)である。

 現在では「男子による継承」という意識がありがちだが、江戸時代には武士を除く「農工商」は女系主導でお世継ぎを決めていた。特に豪商などでは息子に継がすと資産を食いつぶすという経験則から、優秀な婿を選抜して迎えたそうである。「娘から娘へ」の婿養子制度は、なんと戦前の昭和までの商家に継承されていたらしい。

 ・・・そういえばバングラデシュのグラミン銀行では、女性にだけ融資していたのじゃなかったっけ。女性は無駄遣いせず、一発当てようという山っけもなく、自分のためでなく子どものための借金なので、手堅く返済してくれ無担保でも信頼できると、グラミン銀行を立ち上げたユヌスさんがおっしゃっていた。女性グループ3名単位での融資なので、女性同士の友情のあつさも功を奏しているらしい。

 一方、悲壮感が漂うのが武士である。子どもは資源。最低3人の男の子が必要とされていたが、昔のことゆえ死亡率も高い。家の存続と発展のため、房事過多による衰弱死も恐れず身を削るのが武士の道だった。って・・・もしもし、悲壮を通り越してませんか?と加藤清正さんに言ってあげたかった。

 今じゃどちらかといえば女性が悩む「お世継ぎ問題」だけど、昔は武士も命懸けだったんだなあ。「男系相続」ってある意味、交尾が終わったらメスに食われちゃうカマキリみたいだなあ、どちらにしても男の人にとってあんまりな制度かもって、ちょっと思った。昔の話だけどね、だぶん。 

アルコールは、だめよ

2006-10-23 20:55:51 | ノンジャンル
大変残念なことなのだが、私にはアルコールの味がわからない。どころか「お酒飲みたい」とすら思わない。「おいしい」とは全く思えないのだ。

 これは子どもの頃の読書体験からきているのかも。本を読んだら、いかにも「お酒は世の中で特別美味しいもの」みたいに書いてある。そんなに美味しいものなのか!?と子ども心に激しい憧れを抱いていた。しかもどうも自分で「お酒のおいしさ」を勝手にイメージし「こんな感じでは?」とずいぶん想像を巡らしていた。

 お酒を飲める年になって現実の味を知り、「ちがう、これは(私の)お酒の味じゃない!」と激しく失望した。理想と現実とのギャップに愕然とした。どうもその辺りからアルコール類への無関心が生まれたような気がする。

 もしかしたら人生で大きく損してる様な気もするが、これはきっと宴会において、割り勘で料金を払わなければならないからだ。アルコール抜きで職場の親睦会とかあれば格安なのに。と実のところ思ったりしている。

 一方、夫はほぼ家で晩酌なので酒屋さんには行く。しかも酒屋さんでいろんなお酒を見ると時間を忘れる。日本酒にしろワインにしろ泡盛にしろ焼酎にしろ、そのネーミングもパッケージもボトルの形もラベルも、実に想像力が掻き立てられる魅力的なものが多数あるので、酒屋さんでウインドウショッピングをするのは楽しいのだ。私にとっては『お酒は見た目が10割』。

 いま思い出したけれど、新婚旅行でいったスペインで飲んだサングリアは美味しかったな。赤ぶどう酒にオレンジなどのフルーツを入れた甘いお酒。ご近所からいただいた長野のお土産「梅ワイン」も美味しかった。いまでこそスーパーでよりどりみどりだが、10年前には「梅ワイン」ってそうそう見つけられなかった気がする。

 けど考えてみれば、私はアルコールが入ってなくても別にいいのだ。「梅ジュース」「葡萄とオレンジのミックスジュース」だって全然かまわない。アルコールの味にも酔っ払う気分のよさにも、全く興味がないのだから困ったものだ。いや、別に困ってはいないんだけど。
 
 朝のドラマ『芋たこなんきん』を見ていると、夫婦で晩酌をしながら時間を忘れておしゃべりをしているのが、実に楽しそう。いいなあ、と羨ましいが真似はできないなあ。

 朝のバタバタする時間のスキマを縫い、夜のバタバタする時間のスキマを縫い、しばしゲラゲラな会話をするくらいだなあ。それでも時間が足りないので面白い話を思い出したら、トイレの前で声をかけてドア越しに、お風呂のドアから顔をのぞかせて「忘れないうちに言っとくけど」と突撃レメ[ターのように出没する。しかも大抵はしょーもない話であるから、夫にとっては「ありがた迷惑」な妻なのである。

ゼニコの戦い?

2006-10-22 22:02:20 | ノンジャンル
 昨日のブログの自己暗示が効いたのか、1時間ものスキマ時間のおかげか、今日は「ホテル」をめざして聡怩ノとりかかれた。Kちゃんの小さくなった服なども整理でき、箪笥にスペースが出来てうれしい。

 とにかくできるところまで。完了には遠かったが、とにかくも、片付けられすっきりした感じにまではもっていけた。部屋が広くなった気がする。

 ああ、そういえば、そんな話を子どもの時読んだっけ。

 家の中が狭くてしょうがないのを我慢出来ない夫婦者が、知恵者に家を広くして欲しいとお願いしたら、家の中に色んなものを持ち込みなさい、外で飼っている牛や馬やにわとりも、と云われその通りにする。当然ますます部屋は狭くなってしまう。狭くなって行くたびに夫婦者は困って知恵者に相談に行くと「じゃ、もっと」と一層狭くなるようなモノを入れられてしまう。夫婦者はついに困り果てて「もうどうしようもありません」と知恵者に泣きついてしまった。そこで初めて「じゃ、入れたものをすべて外に出しなさい」

 もとの状態に戻した夫婦者は、家の中が広々したことに驚き喜ぶ、という話。

 午後からはKちゃんがピアノを習っている音楽クラブの発表会があるので、2つ隣の町まで出かける。以前はスーツにローファーでおめかししたこともあったが、いまや普段着に毛のはえたほどのドレスダウン。出番までの待ち時間に家族3人はこっそり会場を抜け出し、ドレスダウンとはいえ「よそ行き」の格好でと裏山の遊歩道で窒フハシゴが括り付けられた木に登った事は、ナイショナイショ。

 発表会ではピアノだけでなく、他の楽器や声楽の演奏もある。私達夫婦は読書したさに娘の出番まではモニターで拝見。

 ゴスペルの生徒さんたちが「ジェリコの戦い」を唄う前に、夫に「(歌詞は)どんな内容の唄なん?」と訊いてみた。「うーん、熾烈な唄やで。なんせ『ゼニコの戦い』やからな」 爆笑。「ゼニコ! それは大変や。『ナニワ金融道』の世界やもんなあ」

 唄が始まる。もう耳は「ゼニッコー♪ ゼニッコー♪」というリフレインにしか聴いてくれない。ああ、会場に入ってなくてよかった。笑いを堪えるのひと苦労だったろうしなあ。