私は、席を譲る布施が今の課題です
席にしがみつく執着を手放せたら「どうぞ、こちらへ」と
もっと自然体になれるような気がします。
と、3月のVOLO2に書きました。
席にしがみつく執着から生まれるものは、
手放したくない自分との葛藤の苦しさだったり
守るために他人と戦う辛さだったり、
手放した後の後悔や不安だったり・・・
東京から新幹線に乗ったとき、なんで、あんなに混んでいたのか
指定席もとれませんでした。もう10年くらい前です。
疲弊していた私に席を譲ってくれた男性は、
とうとう京都まで座ることができませんでした。
初老の決して健康そうに見えない人だったので
名古屋の手前で「一度おかけください」とお願いしたのですが
「いやいや、大丈夫。もうすぐだから」と笑顔のまま
人に押されて奥の方へ移動されました。
駅に到着するたびに、早く席が空く事を祈りました。
職場の席も他人に譲りたくないもののひとつです。
役職であったり、条件のよい就職先ほど、自分が欲しいのは当り前。
仕事のあてが無い私に「貴女に適している」と勧められた職場は、
「彼女にとってもチャンスだったのよ」と、後で知り合いから聞いて、困惑しました。
彼女が困った時は絶対お返しすると今も思っています。
居心地のよい席は、人間関係にもあります。
人の輪の中に入れない人を迎えに行って
一つの席に半分つづ腰掛けて
場が暖まってきたら、その席をそっと譲る人がいます。
優しい人です。
食物を食べる席もあります。
職場でお菓子を分けたとき、
私達は「美味しい~!」とその場でぱくりと食べちゃったけど
外回りの営業さんが帰るときに、「お疲れ様!」と
先輩がご自分のお菓子を渡したのを覚えています。
大人じゃあ とあこがれました。
現金を手にする席もあります。
震災がおきてから、収入のあった日に500円募金する人を知っています。
時間を手にする席もあります。
自分のために使いたい時間を、他の人のために譲る人々が仲間です。
譲られて嬉しいのを、これまで実感してきました。
どうして、譲った人の表情が柔らかなのか不思議でした。
手放すことで葛藤が少なくなるのかもしれません。
譲ることに、より深い意味を見つけるのかもしれません。
自分と向き合い高めるために
私も真似して 譲ろうとしています。