ふだん、気にも留めずに過ごしていますが、ふっと気づいた時、自分の心の支えって何でしょうか? こんなこと、考えませんか。
先日、こんなことがありました。
交通事故のアフターフォローを行って間もないMさんから、「今週にでも家にきてほしい」と電話がありました。事務所の若手社員が自動車保険の継続契約をしてきたばかりなのに、「何だろう?」と思っていると、「年に1回は顔を見せてよ」と強く言われました。「うん、いいよ」と、近いうちの訪問を約束しました。
?? 私の仕事は保険の代理店で、山形県寒河江市というところで、数人の仲間たちと損保や生保の募集、交通事故や病気入院のアフターフォローなどをしています。?
数日後、山形県の中でも山間部にある集落に、Mさんを訪ねました。60才を過ぎてなお元気にひとりで暮らしているMさん(女性)が、いつもの顔いっぱいの笑顔で迎えてくれました。
Mさんは、この前の事故対応のお礼を言いたかったのでした。「何にしよう、何にしよう…」と考えたに違いないようなお礼のお土産をいろいろいただいて帰ってきました。
「ありがたいなあ」と思いつつも、何か、引っ掛かりが残りました。
何日か考えて、「信頼」ということの“重さ”ではないかと、ふっと思いました。
信頼されるのはありがたいことです。
しかし、信じ頼られるのは負担に違いないとも思います。
毎日毎日、日曜もないくらいに忙しく、夜の10時過ぎにご飯を食べているとカクッと味噌汁をこぼしてしまう(食べながら眠ってしまう)こともある、それほどに疲れている。この上、他の人の世話までできるのか…?
「旦那さんに先立たれたMさんは、先行き不安に違いない」「Mさんの信頼に応えるとは、これから10年、20年と、ながーくMさんの応援をすることだ、そんなことができるのか・・・?」
信頼に応えることの重さを考えさせられたのでした。
しかし、この後で気づいたのは、「Mさんのように信頼してくれる人がいるから、自分も頑張れているんじゃないか」という当たり前のことだったのです。
今までは、誰かに支えられているからというよりも、「自分は打たれ強いから」とか、「精神的に落ち込みにくいほうだから頑張れている]などと思っていました。
でも、そうじゃない。みんなのおかげで元気でいられるんじゃないか。ウーン十才になって、ようやく気付いたのでした。(気づくのが遅いねー。)
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どんなに、毎日、他の人にこそ励まされているか、この数日を振りかえっただけでもはっきりしています。
昨日の土曜は、夜の8時に車で30分くらいのSさん宅に行きました。自動車保険での、ちょっと複雑な車の入れ替えでした。ご主人が「休みなのに、夜遅く、遠くまで悪かったね」と言ってくれました。この一言で、ちょっと強面かななどと思っていたご主人が、急に近く感じられ、うれしくなりました。
その前の日は、お客さんの紹介で知り合ってまだ2年も経っていないEさんから、自動車保険に加えて、住宅ローンの長期火災保険を契約してもらいました。ご夫婦の生命保険の相談も受けています。契約できたことよりも、「信頼してくれてるんだなあ」と嬉しくなります。
若い時は子供や家族が生きがいであり、支えですが、年をとって「人生の価値とは…?」と考え始めると、「信頼」などという、もっと社会的なもの、抽象的なものが心の支えになっていくのかなあ…などと思うこの頃です。