たまたま所用で訪れた書店で『硫黄島 栗林中将の最期』梯久美子著を入手。
同じ著者による『散るぞ悲しき』を読んで、この書き手の洞察力、分析力、筆力…に強い関心を持っていました。
その完結篇が出版されたらしいという情報を得ており、ぜひ読みたいと思っていたところでした。
早速読み始めたところ、硫黄島で戦死した若き指揮官に焦点を当てた章もあって、そのうちの一人が折口春洋(ハルミ)。
折口信夫(釈超空)の愛弟子で、硫黄島着任後間もなく、折口の養子となった人です。
どういうわけか、この本を入手する2日前に、折口信夫の『死者の書』を読んでみたいと、ふと思った私は、『死者の書』と『釈超空歌集』も一緒に買い求めていました。
高校1年の現代国語の短歌の授業で、釈超空の歌を選んで発表をしたことがあって以来、いつかはちゃんと読んでみよう…つまり向き合ってみたいと、とぎれとぎれながらも思っていたのです…ソレニシテモ オソロシクナガイアイダ ワスレズニイタモノダ。
それで、まず読み始めた『硫黄島 栗林中将の最期』に折口信夫との深い関わりが描かれているのですから、どっきり!です。
先週の週末は“「韓国併合」百年を問う” シンポジウムが開催されていました。
会場の東大農学部キャンパスを訪れたのですが、満員御礼状態でロビーで聴講するのがやっと。
午前中のひと枠が終わった段階で、すごすごと引き上げてしまいました。。。
その時に撮影したのが ↓ の画像(東大農学部正門)と ↑ の画像(正門入ってすぐのスダジイ)。
おりしも今日は8月15日。
終戦から65年です。
かけがえのない命、かけがえのない人生を「国のために」捧げた魂の中にも、この風景を身近に過ごした人々が確かに存在した…ということ。
私が生まれて今に至ったこの国…そこに住む人々は、そのいたみを十分に知り尽くし、その愚かさを十分に思い知っているものと信じたいと思います。
私にとっての愛国心とは “自分が生まれ育った土地、文化、風土、習慣…、そしてそこに住む人々を愛する気持ち” に他ならず、決して国境で区切られた国家を最優先するものではないのです。
あらら、あまりの暑さでを友にキーボードを打っていたら、こんな方向になっちゃいましたぁ
同じ著者による『散るぞ悲しき』を読んで、この書き手の洞察力、分析力、筆力…に強い関心を持っていました。
その完結篇が出版されたらしいという情報を得ており、ぜひ読みたいと思っていたところでした。
早速読み始めたところ、硫黄島で戦死した若き指揮官に焦点を当てた章もあって、そのうちの一人が折口春洋(ハルミ)。
折口信夫(釈超空)の愛弟子で、硫黄島着任後間もなく、折口の養子となった人です。
どういうわけか、この本を入手する2日前に、折口信夫の『死者の書』を読んでみたいと、ふと思った私は、『死者の書』と『釈超空歌集』も一緒に買い求めていました。
高校1年の現代国語の短歌の授業で、釈超空の歌を選んで発表をしたことがあって以来、いつかはちゃんと読んでみよう…つまり向き合ってみたいと、とぎれとぎれながらも思っていたのです…ソレニシテモ オソロシクナガイアイダ ワスレズニイタモノダ。
それで、まず読み始めた『硫黄島 栗林中将の最期』に折口信夫との深い関わりが描かれているのですから、どっきり!です。
先週の週末は“「韓国併合」百年を問う” シンポジウムが開催されていました。
会場の東大農学部キャンパスを訪れたのですが、満員御礼状態でロビーで聴講するのがやっと。
午前中のひと枠が終わった段階で、すごすごと引き上げてしまいました。。。
その時に撮影したのが ↓ の画像(東大農学部正門)と ↑ の画像(正門入ってすぐのスダジイ)。
おりしも今日は8月15日。
終戦から65年です。
かけがえのない命、かけがえのない人生を「国のために」捧げた魂の中にも、この風景を身近に過ごした人々が確かに存在した…ということ。
私が生まれて今に至ったこの国…そこに住む人々は、そのいたみを十分に知り尽くし、その愚かさを十分に思い知っているものと信じたいと思います。
私にとっての愛国心とは “自分が生まれ育った土地、文化、風土、習慣…、そしてそこに住む人々を愛する気持ち” に他ならず、決して国境で区切られた国家を最優先するものではないのです。
あらら、あまりの暑さでを友にキーボードを打っていたら、こんな方向になっちゃいましたぁ