比較級を内包する言葉って
比較する人がいなくなったら
それは均一化されたってことだから
超人であれ特別な人であれ
そんなものは存在しないってことになるのかしら
ってフと思ったsachiakiです。
なんていうか俺の儲けた金で他の愚民を養っているのが
気にくわねぇんだ!っていう金持ちさんたちに
じゃぁ全員が儲けられるようになったら、
そういう状況そのものが自分の持ち牌を
いっぱい奪われるってことになるだろうし、
自分達の優位性を誇りたいだけなら
けっきょく自分達以下の人たちを作らなくてはならないから
その人たちを生かすためのなにかは必要なんじゃないかな?
なんてことを思ったりしたのでした。
なんていうか、弱いって言われる立場の人たちが
なんとなく弱いままでいてくれないことに対する
苛立ちのようなものを最近感じるというかなんというか、
弱い人がより弱い人たちを叩いたりしていることなど
人間ってどこまでもシンドイ生き方をしなきゃなのかな
って思ってしまうのです。
独身の方達が育休などで休む方達に対しての
「俺・私たちが養ってやってるのに」というような感情など
家父長制における父親の言い分にも似てて
「俺の金で暮らせているんだから黙ってろ」みたいなものや
「税金をいっぱい払っている俺・私は必死に働いているのに
生活保護のやつらが楽しそうなのが許せない」とか
なんかもうどうしてそうなるの?って思考の矢印があって
そうじゃないだろって思ったり思わなかったり。()
育休について自分達ばかり働いているのがズルいって思うなら
近しい休日をもらえるなにかを会社に求めればいいじゃない
ってなりますよね。
会社側からしたらそんなに休まれても困るよ!
かもしれないけれど、それこそ働き方改革みたいな感じで
スポットで人を雇えるような時代になっているんだし、
育休の人が帰ってきたときに、それまで頑張ってくれた人に
功労賞バカンスでもつけてあげればいいじゃないですか。
1ヶ月休み取る人もいれば、3ヶ月や1年の人もいるかもしれないけれど、
いまや普段働いているけれど、副業もやるって人もいるし、
暇は退屈だから違う仕事をタイミーでやるって人もいるし、
やり方次第だと思うんですけどね。
業種によってはそんなにたくさんの人を入れられないとか
ポッと出の人に任せられないだったり
色々とあるとは思うんですけれど、
世の中の不満をただぶつけやすい人にぶつけるだけより
なんぼか良い方に向かうんじゃないですかね。
なんかそんなことを思いました。
さて、私は私で今週は幕張で行われる
でっかい展示会で受付係を仰せ使っているので
そちらを頑張ってこようと思います。
あ、バチコンについての話も
夜(ていうか早朝)にアップいたしますよ〜。
モイモイ