あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

読書感想文-推し、燃ゆ

2024-04-30 | from:sachiaki
連休のふぬけた空気の中、
先日お出かけして本屋巡りをして
手に入れた本を読破してたsachiakiです。

まぁラノベよりも?あっさりとした
口語文体だというのもあって
ほぼ漫画を読むような感じで読んでたのは
宇佐美りん著の『推し、燃ゆ』。
2020年の芥川賞を受賞した作品で
コロナ禍の中で話題をかっさらっていたのを
よく覚えています。
表紙のイラストも印象的だったのもあって
いつか読みたいと思いながら
ズルズルとしてたんですけれど、
本日が閉店日の方南町にある本屋さんにて
読みたかった本を買おうと決めていたので
やっと購入できた次第です。

そして昨日の夜でサクリと読み終え
読み口は軽いのに残されたものが
あまりに重たいのでビビり散らかしているところです。

作中で「推しは命に関わるからね」とあるのですが
これって自分の命を自分のために使えない人には
かなり刺さる話だと思いました。
なにそれ?って思われるのでしょうけれど、
自分のことを否定され続けて
自分でも自分のことを否定し続けていると
だんだん自分のことができなくなってくる
そういうのがあると思うんです。
自分よりも他人を優先しないといけない、
みたいなやつです。

この本の中の主人公はおそらく発達障害を持っていて
それが自閉症スペクトラム障がいの中でも
比較的頑張れば社会と馴染めなくもないけれど、
人として並べる0の基準になるまでが
すごく大変だという人なんだと見受けられました。
でもだいたいの一般人って0になるまで
なんてことを想像することなんてできないんですよね。
歯を磨くなんてことも当たり前なら
服を着替えるってのも当たり前だし、
なんなら朝目が覚めたら体を起こすってのも
生き物として当然と思っているところがある。
けれど、それができない、
もしくはするのにすごく力を使う人っていうのがいて
それは脳の神経の接続の仕方が違うので
とっても大変だってことなんですよね。
そんな性質を抱えているため、
主人公は普通にできることができないため、
親には苛立たれるし、
姉には「努力しているなんて言わないで」と泣かれたりして
主人公は自分のことを認められないというか
ダメだというレッテルをべったり貼っている感じなのです。
そんな彼女(主人公は女子高生)が
小さい頃に見た舞台の子役がアイドルになっているのを知り
そのアイドルに自分の中に興奮があったことを思い出させてもらい
アイドルの推し活をすることになります。
まさに全身全霊で。
5分前に言われたこともうまくできず
九九を覚えることも困難だった人が
推しのことを解釈するためだけに
受験勉強さながらなノートを作成し、
何度も曲を再生したりビデオを見たり、
推し活のためにバイトをしたりと
ちゃんと生きてるように見せかけられるようになるのです。
彼女は自分のために自分を動かすことはできないけれど、
推しのためなら文字通り生きていけるんですね。

そんな推し様が炎上することで
彼女の生き様がどう狂っていくのか……。
前述した通り語り口は軽いのに
読み終えた後の自分のことを自分で面倒みられない人は
どうしたら良いんだろう?
なんてことを考えてしまいました。

巻末にあった解説にて作家の金原ひとみさんが
自分も推しのために頑張っていると綴り
推しのためだけでなく
自分を奮い立たせるものを
色々と活用しているとしていたので
よくいう「依存先はたくさん持て」という話に
通じるのかな?なんてことを思いました。

自分のためだけに動ける人なんていうのは
ほとんど稀だと言ってもよく、
誰かしらなにかを理由に生きているはずなので
『推し、燃ゆ』の話は自分の中にもあるな
と深く考えさせられました。

や、ほんと”推し”を一本にしていると怖いよ。
その推しを”誰か”にするのか”何か”にするのか
それはまた別の話なんだろうけれど、
人のために生きるって時に
人は人、自分は自分って境界線を持っていないと
本当に生存に関わるので気をつけましょう。
そんなことを思いました。

それではまた。モイモイ
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背骨コンディション体験会に行ってきた

2024-04-29 | from:sachiaki
今日は背骨から体を整える体操の
体験会に行ってきたsachiakiです。

前日に自転車で区内を回っていたので
めちゃくちゃ筋肉痛の状態で行ってきたんだけど
90歳のおばあさまでのできるという
とても簡単なヨガの類いの運動をして
酷かった腰の痛みと肩のコリが
かなり楽になったので
運動って本当に大事だなぁってなってきました。
筋肉痛の足は相変わらず痛いままだけど。

デスクワークなんてしていると
とにかく肩コリと坐骨神経痛系で
悩まされることが多いと思いますが
なるほど体の大部分を覆う背骨を整えれば
かなりの部分が矯正されるのだなぁと感心です。

ただ運動自体は本当に簡単だったんだけど、
矯正された骨を支えるのは筋肉だってことで
最後に筋トレをしたんですけれど、
これがめちゃくちゃ大変でした。
筋トレってちょっと辛いって負荷をかけて
時間をかけて育てていくもんなんだけど、
そのちょっと辛いってレベルの負荷が
けっこうシンドくて、
これを続けるなら
そりゃ筋肉もつくだろうな!
って感じてきました。
具体的には片足に重心を置いた状態で
気持ち屈伸の状態を保ち、
重心のかかっていない方の足を
後ろに伸ばして90度曲げて戻す
というような簡単なものですが、
ゆっくり動くっていうのって
けっこう大変なんですよね。
しかもそれが半分屈伸をしている
空気椅子までいってなくても
常に下半身の筋肉がずっと使われている状態
なんていうと本当大変。

とはいえ、そういった簡単な動きで
体を鍛えられるのはありがたい話です。

気になる人は見てみてくださいね。
毎日のルーティンにしたい背骨コンディショニング

さて、私は昨日の夜ほとんど眠れなかったので
少しでも早い就寝をするべく
作業などを前倒してきます。
それではまた。モイモイ
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本屋を巡ってからのお寺参り

2024-04-28 | from:sachiaki
引きこもりと書いてましたけれど、
今日は高円寺であるびっくり大道芸を
チラっと見るついで本屋巡りをしてきたsachikaiです。

高円寺まで自転車で行くので
ついでに阿佐ヶ谷にあるとある本屋さんと
高円寺行ったついでに方南町まで向かい
今月閉店されるという本屋さんへ。
高円寺から方南町までは
環七で結ばれているので楽ちんコースなんですよ。
で、方南町の本屋さんに寄ったあとは
知り合いがレモネードスタンドをされているので
そのスタンドでレモネードを頂戴して
いい感じに気温も下がった夕方の空気の中
妙法寺に寄ってお経を聞いてから帰宅しました。

なんていうか、お寺の空気が
あんなに気持ち良いって感じるなんて
ちょっと自分でも思ってなくて
なにげなく寄ったんだけど良かったな
なんてことを思ったり。
日差しが強めなところで自転車こいでいたので
境内に生い茂る木々の日陰もよかったんだけど、
全体的にスゥッと息がしやすくて
めっちゃリラックスできたんですよね。
自然観察のために
木が多いところへちょいちょい行くけれど
経みたいに気持ちいいと感じることは
そんなにないなぁなんて思ったのです。
月初に行った山北も空気がすごく良かったけれど
気持ち良いって思わなかったのは
寒すぎたからなのかしらん。

よくわかんないけれど。

なんにしてもまた積読を増やしてしまったり
レモネードが美味しかったりと
色々と良い日でした。
ここのところのささくれた気持ちだったけれど
人と話をしている間は
そういったことも忘れられるので
人と会うのってすごく大事なことなんでしょうね。

明日は頼まれている取材におでかけしてきます。
バキバキな体だけどコンディション整えてもらいますよ!
うっ!とかぐあぁとか悲鳴めっちゃあげそう。
頑張ります。
感想をお楽しみにですよ。
ってことでこの辺にて。モイモイ
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大型連休はひきこもるつもり

2024-04-27 | from:sachiaki
そうはいってもどこかへ出なくては
ならないってことはあるんだろうけれど
とりあえず金銭的なゆとりもないし、
誰かに会うと気が緩んでしまうので
引きこもる予定のsachiakiです。

今はハマッているゲームがあって良かったと
心の底から思うし、
積読になっている読みたい本もいっぱいあるので
おうちの中にいる休日も全然悪くないな、
助かるなって感じです。

物価高の影響か、今年の大型連休に
遠方へ出かける人自体それほど多くないようなので
私だけが引きこもるってことでもなさそうですし。
インバウンドの影響で観光のみならず
レストランやショッピングセンターなども潤えば
多少景気が回復するのかもしれないですし、
物価が安いってだけで消費されてしまう
貧国からの脱却ができると良いのですが……。

とはいえ、利益重視をしてきた結果
ベースとなる研究業などがスカンピンになっているので
やっぱり先細って外国からの外貨頼りな
貧国の経済と同じように観光業のみでしか
生き残れなくなるのかもね。

とかなんとか。

暗い話ばかりになってしまってもアレなので
少し話を明るくしようかな。

今日と明日は杉並区の高円寺で「びっくり大道芸」が
開催されています。
5年ぶりとなる興行だそうなので
きっとたくさんの方がおみえになって
大盛り上がりしていると思います。
滅多に見ることのできない
アクロバティックな中国雑技団や
炎がリスキーなジャグリング
巨大象パペットやマジックショーなどなど。
高円寺の北口広場を中心に
さまざまな場所でパフォーマンスを繰り出します。
無料だよ!

ぜひ遊びに行ってみてくださいね〜。

それでは今日の目標
スプラのサーモンランで
アラマキ砦でのランクを200にするを達成すべく
もうちょっと頑張ってきます!モイモイ
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天命を知ることができない

2024-04-26 | from:sachiaki
ドイツ語で「仕事」というものを指すのは
天から授かったその人しかできないもののことをいう
ってのを人から聞いたことがあり、
以降、自分は「仕事」に出会えないなぁ
なんてこを思っているsachiakiです。

その人のオリジナル自体を
まるっと代替することはできないけれど
ヒトの社会というものは
細かく分かれていて
分業できたからこそ発展できたけれど、
分業できるからこそ部分での入れ替えが可能で
人は職を失ったり
グループを失ったり
家族を失ったりするんだろうと思います。

失った後というのはなにか
新しい別のものが埋めていくものだろうけれど、
失われた30年と呼ばれる世代で
失わずに済んだ人だけは
失われた世代の穴埋め分も含めて
次世代へ行くことができて
失った人はそのまま路頭に迷うのだろうな
なんてことをボンヤリと考えていました。

若い世代は給与も上がっているそうで
ここからきっと持ち直してくれるのでしょう。
諸外国からの働き手がいなくなるぶん
その安い労働力は今の失われた世代が引き継ぐので
若い世代は私たち世代を踏み越えて
新しい時代を作っていってくれたらと思います。

思うことといえば、
安い労働力になるのは構わないとして
それでも足腰が弱り、
色々なことで能力が下がる年齢では
できることも少なくなるので
そのサポート技術が上がっていくといいなと思っています。

そういった安い労働力になるのが嫌だと
犯罪に走る人もそれなりに出るのかもしれません。
おい先が短く感じられるようになったなら
より短絡的な方を選ぶ可能性も否めないし、
実際老人の演技型のひったくりなども増えているそうです。

現在はまだ高齢者の方が貯蓄額が多かったりするので
若い世代が高齢者を襲うということが多いけれども
これからはそういうケースは逆転化していくかもしれません。
オレオレ詐欺のようなものは若い世代のものかもですが
投資詐欺などは年齢を問わなさそうなので
こういった対人不要なものへとシフトしていくかもですし、
もっと別の詐欺などが横行するのかもしれません。

まぁそうなったら高齢者=犯罪者みたいな
レッテルが貼られるようになって
(今の若い人=犯罪者的図式ですね)
本当に苦しくて道端でうずくまっていても
誰も助けてくれないって時代になるのかもしれません。

そうならないようにしたいと思っても
悪化する時っていうのは加速度的になっていくので
意外とハイチのような無法地帯になるのも
それほど遠い話でもないのかもしれません。
そうなりたくない人は海外に脱出するだろうし、
国内にいても一部で一致団結をして
自治領のようなものを作って
他を見捨てるのかもしれません。

自分達の土地を捨てて他の国に譲ると聞くと
憤慨する人もいると思いますが
土地を持っている人にとって
利益とならない土地は売ってしまいたいし、
それがどこの国の人でも構わない
って人はそこそこいると思います。
でなかったら
富士山が見えないという理由だけで
他人の土地の木々を伐採するなんていう野蛮な人が
隣人になるはずがないですから。

国としても他国に領土を取られ続けるのは問題だろうから
多少手を打つのかもしれないけれど、
お金にならない土地はいらないって人が多くなれば
人口減少なことも相まって
こちらも大ダメージは避けられないのかも。
すでに水道の権利を手放した自治体が
水質悪化で民営化したことの手痛い目を見ているそうですが
そんな先例はスルーして力のない自治体は
どんどん民営化していって外資に取り変わり
日本って国は早晩なくなるのかもしれませんね。

まぁ飛鳥時代から数えても1,500年も
「倭の国」とか「日本」って単位を続けられたのは
すごいことだと思いますし、
国の名前としては残るのかもしれなけれど。
国内にいながら難民化するっていうのも
変な話だけど、そういう風になるのかもしれない。
キャンプ地と都心がかろうじて電車でつながっているものの
基本的には都心からキャンプ地には人は来ないし
NPO法人のような人たちが
トラックで物資を運んで来てくれる。
そういう時代が来るのかもしれないですね。

なんて、『終末トレインどこへいく?』に
影響され過ぎな妄想ですかね😆

どんな時代になったとしても
うまく生き延びたいものです。
まぁ今すぐ安楽装置でおさらばするのもいいけどね。

そんな感じです。それではまた!モイモイ
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宝石の国が最終回を迎えたそうです

2024-04-25 | from:sachiaki
宝石の国の作者さんこと市川春子さんの漫画が好きで
宝石の国もずっとハラハラしながら読んでいて
アニメになった時はあの宝石たちがキラメキながら
画面いっぱいに飛んだり跳ねたりして
感動したのを覚えているsachiakiです。

市川さんの漫画の特徴として
けっこう身体破壊がすごいっていうのがあって
虫が進化した人間の話の時も
人間の体に化けていた星の話の時も
けっこうボコボコに穴が開いたり
バラバラと砕けたりとしていたので
宝石の国も宝石の擬人化なだけあって
硬度の脆いものはバラバラと破壊され
顔なんかも容赦無くやられるので
ビックリした人も多いのではないでしょうか。

それでもそういったクラッシュな部分は取り除いても
一貫して外側ではなく中身、魂的な話を描き続け
手塚治虫賞を受賞している目線は鋭く
宝石の国でも「身体」「命」「心」をテーマに
体は美しいけれど心がないとか
心はあるけれど、身体が脆いとか
不死であるが故の苦悩だとか
よくもここまで突き詰めてくれたものだと
思いながら読んでいます。
単行本派なので最終話が収録される最終巻を読むのは
まだ先になりそうなので
ネタバレしたくないな〜って気持ちと
早く読みたいから最終話だけ
雑誌のアフタヌーン買ってこようかと
モヤモヤしているところです。

宝石の国では最初はわかりやすい
外敵と戦う宝石たちという構図ですが
だんだんと話が進んでいくにつれて
外敵の事情や、そもそも論としての人間とはなんぞや?
という問いかけまで出てきて
「人間」を定義することの難しさなどを感じたり、
なにが正しいかわからなくなる倫理観など
モリモリ沢山なので、
さすが四季賞のあるアフタヌーンの漫画だけあるなと
唸るばかりです。
 私は漫画のクオリティは
 講談社が一番いいと思ってるので
 贔屓目にしているってところもあるかも……。

宝石の国の主人公ことフォスフォフィライトは
硬度3の貧弱宝石で好奇心旺盛なおバカさんで
すごく可愛らしいスタートを切っていったのですが
その脆さと好奇心の強さで
体が砕けることが多いんですけれど
その度に体を修復する時に
足りなくなってしまった宝石分を
他の鉱物との相性が良いという性質から
別の物質で補填できるゆえに
白銀と金の合金やら真珠やラピスラズリなどがとりこまれ、
そのたびに身体の失った分の記憶が欠損したり
くっついた分の能力が向上したりと
複雑怪奇なものへと変化していくんですよね。

複雑にもなれば苦悩も増すってもので
最終巻手前のフォスは弥勒菩薩としての象徴
56億7千万年後という数字に近いものを
背負わされたりして
(漫画の中では孤独が悟りを拓くまでの
 時間を収縮させ1万年程度となっている)
最終巻直前の12巻では悟りを拓いた(?)
フォスの姿が圧巻です。
ていうか、ブッダも弥勒菩薩も
悟りを拓くために自主的に苦行や
人々を救う道を歩んでいるんだけど、
フォスは押し付けられた悟り道なので
なんかエエエェ!!!?って気持ち。

とはいえ、カラマーゾフのミーチャみたいに
放蕩三昧からの獄中での目覚めなんてものもあるから
押し付けられるものというのが
自分で掴んだものなのか、
誰かの意思の介在によるものなのか
なんてのは大した差はないのかもしれないね。

なんにしても圧倒的な慈悲の12巻から
最終巻がどうなるのかが気になります。
わざわざ一巻残したってことは
想像している分以上の物語がありそうなので。

楽しみですね!ってことでモイモイ
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ヘルシーとはなんぞや?

2024-04-24 | from:sachiaki
古いCM曲特集をYoutubeで見ていたんだけど、
70年代後半から90年前半のCMって
それこそ現代のおフェミさんからしたら
激ギレしそうなほど水着の女性だったり
セクシャルなものが前面に出てるんだけど、
でもとにかくあっけらかんとしていて
いやらしさなんてものはなく
健康的なセクシーって
こういったものを指すんじゃないかしら?
なんてことを思っていたsachiakiです。

「見る男性」「見られる女性」

なんて言葉もあるし、
私自身も「女性」と見られることに
ずいぶん嫌な気持ちがあって
ずっとうまく対応できなかったけれど、
たぶんそれって不健康な状態だったんだと思うのよね。
もちろん性的な目を向けた上で
性的なものを押し付ける人は
問答無用で喝を入れたれた方が良いと思うけれど、
健康な状態って「受け入れる」ことが
ちゃんと出来ているってことなんじゃないかなって。
自分自身の中にある「嫌なもの」を
追い出すんじゃなくて
それを抱きしめて受け入れる。

そういやメンタルケアの考え方でも
嫌な記憶は消せないし、
嫌という感情は追いやれないけれど
それも自分の一部と受け入れると
回復というか復調というか
ぐるぐると回りやすい悪循環から
抜け出しやすいとありますね。

女性であること、男性であることを
「嫌だ」と追い出そうとし続けるのではなく
そういったことを受け入れて
らしい振る舞いを身につけると
すごく楽になるのかもしれないし、
魅力的になるのかもしれないですね。
それが健康的な証なのかもです。

性別への考え方のねじれみたいなものって
恋愛をタイムパフォーマンスや
コストで考えることと繋がっている気もするのよね。
頭でっかちな感じというのかな。

というわけで、溌剌とした古いCMを見ていると
そのヘルシーさも相まって
センスがいいなって感じさせらるわけです。
今の効率重視(数値重視)で
性別を意識しないものばかりより
生命の息吹を感じるなと。
あとこんな大人になりたい!って
そう思わせられるものが多かったなぁ。
今は憧れる大人って少ない気がする。
大人側となった自分も憧れられるような
そんなふうになっていないし。

大人になる機会が奪われている
ってこともあるのかもね。
本来の人生ステップでいうところの
就職して仕事に責任を持つこと、
家庭を持って責任を持つこと、
自治体などに所属して責任を持つこと、
そういったこととも
個人主義で細分化されていって
責任を持つ機会が減っているものね。
加えて書くと、
効率化は分析と再現性によって
加速度的に増していって
技術の底上げがされた分
均一なものを受け取れるようになったけれど
個人の底力みたいなものは
発揮できなくなっていたりしてるんだろうな。

そんなことを考えていました。
「気合いでなんとかなる」っていうのも考えものだし
「女なんだから」「男なんだから」と押し付けるのも
今ではあり得ないし
おかしなことだと思うけれど、
それでもそういったことが全くなくなると
やっぱり失うものもそれなりにあるんだな
ってことを感じたりです。
よくこの日記でも書いてるけれど
バランスなんだろうね。難しい。

健康を維持するのが難しいのと似てるのかな?(違

ヘルシーにいきましょう。なるべくね。
とはいえ、人工的で退廃的なものも大好物なので
そんな私が言っても説得力はないんだけど。

それではまた。モイモイ
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ロマンス詐欺ってすごいよね

2024-04-23 | from:sachiaki
頂き女子と呼ばれた詐欺師の女の子が
実刑判決を受けたニュースを見て
木嶋佳苗といい、この手の女子に
コロンとやられる男性たちのチョロさに
ビビり散らかしているsachiakiです。

自分がしていることの
身の丈に合わない金額と思われるのに
”このぐらい当然”と思える肝の強さに
驚くばかりです。
マニュアルの中身もさ、
なんていうか惚れさせたら勝ちってやつじゃん?
そして男性って驚くほど単純だから
惚れさせるのなんて楽勝じゃん?
そんな勝ち確のことを恋愛ではなく
詐欺として応用しちゃうのが
ヤベェなって思うんですよね。
木嶋佳苗なんか詐欺だけじゃなくて
詐欺れる回数を増やすために殺人までしちゃうんだから
マジでどういう思考回路してんの?って
思っちゃいますよね。

まぁその心理を解き明かすのは
そんなに難しいことでもないんでしょうけれど。

こちとらそんな罪なことはできねぇって
悶絶してるってのに
軽々と超えていくメンタルに戦々恐々ですよ。

まぁでもいいんです。そんなことは。
とにかくコロッとロマンス詐欺とか
そういった恋愛ごとに擬態した詐欺に
簡単に引っかかってるんじゃねーよって思うんです。
恋っていうのは盲目だっていうけれど、
自分だけが金銭を引っ張られていたり
なにかと依存されていたら
それはパワーバランスが悪いってことで
疑った方がいいんです。
夫婦になった時に苦しい時でも
一緒に埋め合う仲になれるかどうかっていうのも
パワーバランスが悪かったらダメになるんだから
しっかりしろ!目を覚ませ!って言いたくなります。

もちろん玉の輿っていう言葉があるように
自分の経済環境と合わないほど
いい条件の巡り合わせってものもあるけれど、
それってこちらサイドの身を切るってことはないから
未来の玉の輿なんていう夢なんかはなくって
現状でどれだけ削られているかってことを
考えれば目も覚めるってもんじゃないでしょうか。

とはいえ……
目を眩ませる方法ってのもいくつもあって
目覚めることなんて出来にくいのだろうし、
「騙されてることはわかってる」っていう人なんかは
もう勝手にしろよっていう領域でもあるなぁと。

まぁなんにしても、
騙されている時は気分も良いみたいだし
後になって怒るっていうのも
なんか変だなぁって気もしなくもない、かな。
なんせ愛しのアニータこと
チリ人女性に貢いで貢いで貢ぎまくった
14億横領事件の男性なんかは
きっと騙されているとわかっていながらも
貢ぎ続けたのだろうし、
なによりも貢いでいるお金だって
横領したお金なんだから
脳内麻薬で相当凄いコトになってるんじゃないかな。

しかしまぁ、アニータに貢ぎ続けた人、
横領で起訴されて服役もしたのに
出所後に身元引き受けしてくれた公益社団法人の仕事をしながら
(金額は小さいけれど)再び横領をして逃走したっていうんだから
こちらもこちらですごい魂の持ち主だなって思うわ。

事実は小説よりも奇なり。
現実ってのはとんでもなく斜めにありますわね。

ってことで取り止めもなくなってきたのでこの辺にて。
モイモイ
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季節はめぐる

2024-04-22 | from:sachiaki
久しぶりにamazarashiを聞いている。
人の生き様を季節と例えるものは多く
私たちミドル世代は秋と言われる
収穫は多いけれども冬へと向かっていく
寂寥感がまとわりついてくる
そういう季節になっているのだと思います。
季節はどこが好き?と聞かれたら
春と秋と言っていたけれど、
本当は夏が大好きなsachiakiです。

暑くて大変だけど、やっぱ活力に溢れてて
夏は楽しいですよね。
とはいえ、夏なんていうのはとても短いシーズンで
(昨今は春と秋がなくなってきてるので夏も長く感じるけどね)
今振り返ると短い夏を精一杯楽しんできたなぁと
眩しく感じるばかりです。

久しぶりに聞いている『季節は次々死んでいく』と
『ワンルーム叙事詩』と『無題』に
自分は変わっていないのに
風景や季節や景色が変わっていくことに
ついていくのが難しいと思い出させられます。

季節は変わり巡っていく。
その度に景色は変わっていく。
それに適応できないままでいると
”適応障害”へとだんだんと陥ってしまいます。
生物は”適応”することで生き延びていくのであって
生まれながらに”適応”するのが難しい人には支援があって
適応できる=自立を目指していくものですが
逆に自立から外れていってしまった人たちにも
支援は用意されています。
ですが、基本的に忘れてはいけないのが
”適応”できる状態へ目指すものなので
自分でどうにかできそうだったら
なんとか変化していかなくてはいけません。

じゃんけんと同じで自分が最弱だと思ったら
場所が変われば最強なんてこともありますからね。

一般的に変化をもたらすには
・自分自身の生活を変える小さい変化
・友人などの所属するグループを変える中規模の変化
・引っ越しなどの生活様式を一気に変える大きい変化
と、これらが変化の分類としてあります。

50歳を目前にして変化をするのなら
我慢して耐え忍ぶのと同時に
これからの冬の準備をしなくてはいけません。
冬に強い生物を目指して。

たくましく生き延びたいものです。

さて、作業があるのでこの辺にて。モイモイ
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脳みそが動かない

2024-04-22 | from:sachiaki
寝てないからですね。

色々と立て込んでいたので
寝る時間をガッツリ削ってしまいました。
さすがにマズイのでそろそろ寝てきます。

sachiakiでした。

追記:
日曜日は知り合いにいっぱい会ったので
人間をちゃんとやれているなと思いました。
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