あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

年度末Death

2022-03-31 | from:sachiaki
ってほど忙しくもないので、参ったねこりゃってなってるsachiakiです。
こういう時に書類とかちゃんとやらんと
また来年死ぬぞ?って思うのでチマチマやっていこうと思います。

と、それはさておき。
昨晩も春の自律神経のダメさからか
まったく眠れず朝方まで布団でゴロゴロとしていたんですけれど
ふと「力の行使」の一番いいものってなんだろう?ってのに
そりゃ達人のいう
”鞘から抜かずに勝つ”的なことなんだろうなぁと。
戦略でも”戦わないこと”を最上としているので
やっぱそこだよなぁ、なんて思ったりしてました。
「私たちは無抵抗です」なんて武器を投げ捨てるのは
相手に蹂躙しても良いという隙を見せてしまうけれど、
「いつでも抜ける覚悟はあるぞ」という
相手に踏み込ませないものは必要だよね
っていうのはあるかな。

だけんど、当然のように侵略や先制パンチはアカンと思う。
そういう意味では893の人たちみたいな
先に手を出させるための戦術っていうのもんを研究する
不届きな人もいるのかもしれない。
ボコりたい時にボコって良い理由を作るっていうのは
いちゃもん以外の何物でもないよなぁ…とヤレヤレポーズをしてみたりして。

話がちょっと逸れたので戻しますと、
戦わずして「その場を収める」ことを良しとしている私としては
うちの旦那氏ことパンダ氏の右に出る人はいないと思っていて
そこは心底惚れ惚れするところでもあります。
なにせ自分の後輩が、ヤのついてそうな人の車に
歩いていてぶつかってしまったとかそういうことがあり、
車の中から明らかにヤベー人が出てきた時に
土下座して謝って場を収めたというエピソード持ちなのと、
繁華街であきらかにヤバい人たちのグループ上で
グループの女の子が暴力を振るわれているのを見つけた時に
缶コーヒーなどを大量に買ってその場を収めたっていう
ちょっとどうかしているエピソードを持っていたりするからです。
まぁそのあと、そのヤバい人たちにいちゃもんつけられて
傷つくスレスレで帰宅したっていうおまけ話があって
家で待つ身としては、勇敢なことには違いないけれど
ちょっと気をつけてほしいなぁって思ったりもしました。
ちなみにうちのパンダ氏が常々下手な人かといえばそうでもなく、
私が引越し時に路上に置きっ放しにしていた道具らに
かなり怖い人が近づいているのに気づいて
一喝して追い払ってくれたっていうのもあり、
ヘラッとしているだけじゃないんだよなぁと
思い直したこともあったりして。
私がここ1年で身に付けたいなぁと思っている
山口六平太術」を身につけているのがパンダ氏なんですよね。

肝の座り方がどうかしているので
以前、沖縄から帰る時に気流が相当厳しい時があり、
飛行機がなんども上下して気が気じゃないって時があったのですが
この時も「死ぬ時は死ぬよ」って言ってグッスリ寝ているのを見て、
この人やっぱどうかしてるな(褒め言葉)と思ったことがあります。

と、うっかりパンダ氏の自慢話が続いてしまったけれど、
うっとこ二人は喧嘩が嫌いってことで意見一致しているので
たぶん価値観が似ているってことを書きたかっただけです。

ちなみに8つ離れた兄のような従兄弟(一緒に住んでいた)は
相手に力を振るうのは良くないってことで
説教する人の前で自分を殴るという
超怖いことをする人でした。
ゴリラ級にガチマッチョな人が
瞳孔開いたまま自分で自分を殴るのってガチで怖いので
2度とこの人を怒らせてはいけないって誓ったものです。

というわけで、私の周りにあった暴力色々を書いてみました。
プラスαで書くと、お仕事上でアンダーシーンにいるぶん
かなりアレな暴力はちょいちょいあったらしいって話を聞いているのと
離職率の高さから、ロクでもない世界だなぁって思った話も追加で。
私が電話口でブチ切れていたのを隣で聞いていたパンダが
「本当に怒ると笑う人っているんだなぁ」って言っていたのと
「契約とか切られちゃわない?」って心配してくれたのに対して
「いや、切れないでしょ?私の技術必要だし」ってケロッと答えて、
実際翌日には通常に戻ったということもあり、
自分に対する絶対の自信ってやつがこの時はあったんだなぁと
思い返して呆れたりもします。
怒っていた理由は、預かっていた他社の新人さんが
社に戻って理不尽な解雇を突きつけられたからで
その社の社長さんに「あんたバカじゃないのか?」
って叱りつけたってものですね。
取引契約がなくなるとか、
後腐れの報復とかもあったかもしれないのに
なんであんなに真剣に怒ることができたのかが不思議。
今はもうちょっとうまく六平太術で収めるようになりたい。

自尊心っていうものは
他人に蹂躙できるものじゃないってことも付け加えておきます。
自分を深く信じている時ってのは
誰に何を言われても無風だから。
常にそういうものでありたいです。

と。自慢話はこれぐらいにしておかないと
老害なだけなのでここいらで終わらせておきますよ。
モイモイ。
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どういうものであれ暴力は最後の手段に

2022-03-30 | from:sachiaki
戦争ってやーね。

藪から棒に何を言い出すんだ?
なんてドギマギさせちゃうsachiakiです。
ドギマギさせるのなら
もっと艶っぽいのでドギマギさせたいですものですが。

今日はお店当番の日だったので
湯島にあるお店にお出かけしてきたら
とあるお客様がウクライナとロシアの戦争について
長くお話をされていきましてん。
長く話をされていましたけれど、
なにが本題なのだろう?って思いながら
ずっと耳を傾けていたのですけれど
あぁ、これはどうやら「人類がなぜこんなにも愚かなのか」
という話なのだろうなぁ〜と。
「どうして戦争が起こったのか?」とか
「フェイクニュースと言われているが本当だろうか?」とか
別の問いも立てられていたけれど、
よくよく聞いていれば人間の理性についての話なのだなと
そんな風に理解したので、
先日のアカデミー賞での殴打事件を持ち出しながら
”人間は暴力を捨てることができない”
という進撃の巨人の中でイェレナが言っていたことを引用させてもらい
どんなに正義がこちらにあろうとも
暴力を持ち出すのは理性がない証拠だって話をしました。
別の友人は「侮辱には怒らないといけない」と言っていたし
私も不当なことに負けっぱなしはいけないって思うけれど、
その正当性を訴える時に暴力であって良いのか?
っていうのはすごく疑問に残るんですよね。
それってどのぐらいの暴力なら許されるのか?とか
どういった理由なら許されるのか?とか
それこそ千差万別の答えが返ってきてらちがあかないし
そういう差分の延長上に戦争があると考えているので
やっぱり「いかなる理由があろうとも暴力は許さない」と
発表されたアカデミー賞の言い分の方に
私は理があると思っています。

まぁ、人間の心情としては共感できる部分だけどね。
自分のことは悪く言われても「ヘヘ」って笑い飛ばせるけれど
家族や友達っていうのは別のものだったりするからね。
でもそれって、ようは怒れる理由が自分にないという
ズルでもあるんですよね。
”誰かのため”っていうのはタガが外れやすいんですよ。
だからこそ、先日アニメの最終回を迎えた
「王様ランキング」では「誰かの願いを叶えたい」とか
「誰かを助けたい」という欲について
ものすごく考えることを要求してくるものだったので
ここでたくさんのことを感じることができて良かったなぁと。
未見、未読の方はぜひ。

そしてもっと分かりやすく、説明不足だなぁとは思うものの
言葉として分かりやすかった「鬼滅の刃 遊郭編」での
「人のために怒る人は自分の身を顧みない所があるから」
「そのせいでいつか大切なものを失くしてしまいそうだから怖いよ」
というのは、とても良い戒めの言葉だなぁと思いました。

自分の身を顧みないってことは、
自分自信を粗末に扱うことでもあるし、
その結果大事な人たちまで粗末に扱われてしまう結果を
導き出してしまうこともある。
大切なものを大事にしておきたいなら
グッと堪えていなくてはならないことがあるし
「ヴィンランド・サガ」の中でトルフィンが言っていたように

 傷つけていい人間なんてどこにもいないんだ

 暴力は最後の手段だ
 なら最初の手段……
 一番いい方法ってなんだったんだろう
 いつも「最初の手段」を選び取れるようになりたい
 そしてどこまで「最後の手段」を選ばずにいられるか……

が響いてくるんだと思います。

どんなに自分の側に正義があると思っていても
その正義は暴力を駆使した時には汚れに変わるんです。
私は「正義」というものが大好きです。
だからこそ「寛大は正義の花である ーホーソン」を
忘れずに歩んでいかないとって思うんです。

と、すごく偉そうなことを書いているけれど
私自身は恥の上塗りで生きてきて
「正義」を語る口なんて持っていないんですけどね。

寝言ねごと。

あ、寝言で思い出したけれど、
【201】[feat. こはならむ, ぜったくん]ねぐせ / MAISONdes
って曲が最近好きでよくリピッています。
”週5ぐらいで君の気分”だった男の子が
盛り上がりにくい彼女に押しかけ続けた結果
彼女の方にエンジンがかかってきたら
あっという間に消えていってしまう
ありがちで若い歌詞に心をかき乱されながら聞いています。

「好きにさせるならいなくなんないで」
って歌詞がこう…心臓をキュッとするんですよ…

彼女の重すぎる気持ちから逃げたくなるのもわかるんだけど。

【201】[feat. こはならむ, ぜったくん]ねぐせ / MAISONdes


この曲に対するアンサーは
ずっと昔に魚喃キリコが描いていた漫画の中にあった
同棲している彼女持ちの男の子を好きになった女の子が
同棲カップルが買い物をしている姿を見て
その買い物袋の中に「たくあん」があることに
入り込む余地がないってことにないってことに気づくってやつですかね。

他人から見た時にどうでもないことまで共有している二人っていうものには
入り込む余地なんてどこにもないぐらい
ぴったりしてるもんなんですよね。
いや、ぴったりでもないか。
「たくあん」という泥臭さい生活臭に
「恋」なんて非日常は太刀打ちできないって話。

牛乳を買って帰ろうか?って言えた二人だったのだから
「たくあん」を一緒に買える日だってあったのかもしれない。
そんなことを思いながら聞いてる午後11時。
東京の夜は暮れていくのです。

さて、私も夕飯の片付けをしないとですわ。
面倒くさいけれど、これも生活。
それではまた。モイモイ。

追伸:正論学級員みたいな意見滅びろ!みたいなのも見かけたけれど
   理想も言えなかったら終わりだってamazarashiも歌詞にしてるし、
   私の好きな漫画の人たちも「暴力を選ばない」方法を
   一所懸命に模索してるに、偉そうに「暴力あり」を
   話すのはどうなんだろう?って思うよ。
   もちろん防衛は大事。だけど先手を打つのはおかしいじゃん。
   「最後の手段」と言っているのはそういうことです。
   暴力を肯定しないとフェミも語れないって書かれたけれど
   フェミ語るのに最も遠いのが暴力じゃんね?
   私は少なくともそう思います。
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弱さに対して鈍感になると危ない

2022-03-29 | from:sachiaki
私は別に強いタイプでもないけれど、
自分が幸運なタイプであることには違いなくて
現状報われていない人に対しての言葉や態度には
かなり気を使わないとなぁってなっているsachiakiです。

とはいえ、そんな言葉にできるほど簡単なものじゃなくて
他人依存な人にとっては「あなた自身がどうしたいかだよ」
という言葉でさえも凶器に違いないんだよなぁ
なんてことを思ったりもしています。

とはいえ、結局のところ人と人は
やはり別の個体であるため、
どうしたって切り分けないとダメなこともあって
冷たい言い方になるけれど、
「あなたの問題はあなた自身でしか解決できないんだよ」
っていう話になってしまうんよね。

もちろん言い方には気をつけるし、
答えに至るまでの道のりは一緒に考えることができるけれど、
その人が行動しなければ事態は動かないんですよね。

あぁ、でもその人がどんなに努力しようとなんだろうと
善人だろうと悪人だろうと
ほとんど意味もなく報われたり陥れられたりもするから
半分は運任せみたいなところもあるか。
でもそこに関しては「人事を尽くして」の先の話だから
あんまりその辺の話をするのは建設的でないのかもね。
とにかく「やるだけやった」という確信があれば
人はそこそこ強くなれると思うし、
その強さを持って人に優しくできるのなら
なおよしだと思いますけどね。

で、それだけでは足りない話。
自分で努力して掴み取ったなにかが良いものであった時、
つい他の人も同じように努力すれば同じ成果が現れるはず
って思ってしまうのですけれど、
環境や運って部分も多くって
それこそことわざにあるように「勝負は時の運」というだけに
人知を超えたところの運についてはどうにもならなくって
同じことを同じような環境で行っても
それが必ず同じように実るとは限らなかったりするんですよね。
どんだけ頑張っても不運な人っていうのは確かにいる。
だから全て自分の行なった努力のおかげで
実りが手に入るものではないっていうのは
常に肝に銘じておかなくちゃならんってことですね。

とはいえ、全てが「運」で物事が進むわけでもなく
「人事」というものが掌握できる部分でも十分に効果があったり、
効果がなくとも、思っていたのとは別の成果があったりするので
腐らずに物事に挑んでいくしかないないのですよね。
己を信じるのはとても難しいけれど、
信じることが力になるってってことで
日々精進して参りしましょう。

「四畳半神話体系」の中で樋口師匠の言っていた
 我々の大方の苦悩は、あり得べき別の人生を夢想することから始まる。
 自分の可能性というあてにならないものに望みを託すことが諸悪の根源だ。
 今ここにある君以外、ほかの何者にもなれない自分を認めなくてはいけない。

そして”私”の言うように
 ありもしないものばかり夢見て、自分の足元さえ見ていなかったのだ

というようなことのないように
自分の苦悩はどこから来ていて、今あるものはなんなのかを
きちんと把握しておきましょう。
なにたいしたことはない。
自分の不甲斐なさは恥ずかしいものではあっても
それはそれで愛おしいものであるのだから
自分に対して自分が見限ることさえなければ大丈夫。
私はそう思います。

ま、自分が一番信用ならないのもあるんだけどね!
そんじゃまた明日〜。モイモイ。
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さくらさくら 舞い 誇りたもう

2022-03-28 | from:sachiaki
本日は良いお天気でまさにお散歩日和でしたね。
年度末でくそ忙しいはずなのに、
すっかりお仕事の忙しさから遠くなって
別のところで色々と出向いてばかりなsachiakiです。

名刺作り直さないとな。(まだやってなかった)

今日は専門学校時代の友人たちと
そのお子さんと共にお散歩花見をしてきましたよ。
一人は埼玉から、一人は千葉の外房からいらしているので
「わー、東京だ!ドラマで見る場所だ!」って
めっちゃ笑っていましたけれど、
あなたたち学生時代に散々都内にいたやないかいw
なんて話したりしてましたw
まぁでもご結婚されてお子様もできてからは
育児やご家庭の都合で奔走されていたので
学生時代の東京と今の東京ではだいぶ違うのかもしれないですね。

車がまだ通るかもしれないってところでも
ガンガン進んでいく私ともう一人の都内住みの友人を見て
「東京の人だ〜」って散々言われましたけれど
いやいやいやいや、たぶんこれ東京の人というよりも
せっかちな人なだけがするけれど?
ってなったけれど、せっかちになるってことが
都会の歩調なのかもしれないなぁなんて想像したら、
たしかにそうなのかもって思い直したりしてました。

JR市ヶ谷駅で待ち合わせてから御茶ノ水へ向かって外濠公園を歩き、
眼下に見える中央線と総武線に
電車が好きなお子様が大はしゃぎしてくれたり。
靖国神社に詣でてみては人の多さに圧倒されたり。
皇居の方を歩いている時に北の丸公園の中を歩いたために
桜がほとんどなくって失敗した!って思ったものの
見たことのないカンヒザクラを見て盛り上がったり
皇居のお堀にいた白鳥に目を見張ったり。
なんだかんだで楽しいお散歩となって
ホッと胸をなでおろしたりしたのでした。
このルートを提案したのが自分だったので
ハラハラしてたんですよ。
 皇居も国会議事堂に向かう側に回っていれば
 また桜並木が美しく、ゴールは日比谷になってたかも。
でも「大手門」を初めて「大手門」と認識したり
自分でも知っているようで知らなかった場所もあり
のんびり歩いてみるのも良いものだってなってきましたよ。

帰り際別れる前に寄った駅ナカにて
東京土産のお店でかわいいお菓子のパッケージをみつけてしまい、
まんまとお土産屋の罠にかかったりしてきましたw
いつでも買えるやんけ、とは思わずに
こういったものは「お。」って思った時に買うのが吉ですものね。



なんだかんだと3〜4kmぐらい歩いてるはずなのに
起動していたドラクエウォークの歩数が動いてなくって
こんにゃろって気持ちにはなったけれどw

そんなこんな。
朝方まで仕事してからの外歩きだったので
もう体がクタクタですよw
そろそろ寝るとしましょうかね。
それではまた明日!モイモイ。
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夢を求めて挫けた時は新しいステップで

2022-03-27 | from:sachiaki
魔神英雄伝ワタル&魔動王グランゾート展2が
本日最終日ってことで滑り込みでお出かけしてきたsachiakiです。

タイトルにつかった文言は
その「魔神英雄伝ワタル」のオープニング曲で
レジェンド入りしている「STEP」のサビの部分です。
43歳…今年44歳にもなるってのに
いまだ10歳の時に出会った子ども向けアニメに
これほど心が動かされるものかと
自分でも感心しちゃうんですけれど
何度見ても本当にため息が出るほど美しい線画に
表情豊かで90年代初頭という日本が裕福だった時代の
のんびりとした明るさに勇気付けられることばかりなんですよね。
今の漫画やアニメは勧善懲悪を謳わずに
人間の奥深さに特化してきてるうえに
「ロボットもの」といえば人間関係がドロドロしていたりって感じで
完全子ども向け!みたいなものも減ってきている気がするんですよね。

そんな中30数年ぶりに私たちが
子ども時代に目を輝かせて見ていたアニメの新作が
映画化したのが昨年のことで
そんな勢いに被せる形での今回の展示会ですからね
そりゃ私も同行していた友人たちも
童心に返って楽しんで参りました。

もうね。
40代なんてなるとさ世の中厳しくてさ
心が折れることが多いし
夢とかそんなこと言えるような状態じゃないことも多くてさ
人知れず泣くしかないってことも多いんだけど
そんな時にこの曲を聴くと
「また頑張ろう」って気持ちになれるんです。

と、他にも色々と書こうと思っていたんだけど
ちょっと眠くて眠くて仕方がないのでこの辺にて。

昨日なぜか横になると眩暈のようなおかしな感覚があって
すごくしんどくて眠れなかったのでちょっと限界。

それではまた明日。おやすみなさい。モイモイ。
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それを(人は)愛って呼ぶんだぜと彼は言った

2022-03-26 | from:sachiaki
懐かしい曲をカバーすることが多いので
それが楽しみでうすぼんやりと見ていた
「からかい上手の高木さん」ですが
3/14のホワイトデー回がORANGE RANGEの「花」だったので
思わずキャーとなってしまったsachiakiです。

20年近く前の曲だから、そりゃ懐メロだよね〜なんて感心していたら、
J-POPに関心がなくて「花」を新鮮に聞いていたパンダ氏が
「おじいちゃんは最新とそうじゃないものの差がわからない」と言い出してきましてん。
20年前ってけっこう有線だのなんだので
やたらと流行りの曲を耳にする機会があったので
それでも聞いたことがないとしたら
そりゃ音楽そのものに興味がないんだね〜
なんて話をしてました。

今流行り曲と昔の流行り曲ってメロディラインがだいぶ違うので
私は「懐かしい!」って思うのですけれど、
そういうのがなく新鮮に聴けるのが
若い世代の人と同じ感覚だと思うので
ちょっと羨ましいともなりましたw

ちなみに今日の日記タイトルはご存知の通り
サンボマスターの名曲からインスパイアされたものですよ。

誰かのために時間を砕いて工夫をし
驚かせたり喜ばせたりすることや
意味もなく「会いたい」って気持ちだけで
走り出しちゃうそれらの行為を
人は「愛」って呼ぶんだよ、と。

中学生の両片思いを見守るアニメでしたけれど
可愛くて可愛くてニヤニヤが止まりませんでしたけれど
最終回で「花」をエンディング曲に選ぶあたり
ただの懐メロを聞かせるアニメじゃなかったのだなぁとなりました。
(そりゃそうじゃ)

まだ誰かを「好き」って想う気持ちがどういうものか分からない時に
その人がいない時間が恐ろしく退屈であることや
その人がいつもいる場所に目をやってしまうこと
その人の反応を想像しながらなにかを作ったり
その人がいるかもしれないってだけの
淡い予測で走り出して会いに飛び出してしまうこと
それを「好き」という気持ちだと自覚した時から
次のステージは始まっていって
それが片想いだと、とてつもなく苦しかったりもするんだけど、
両片思いだと、あとはどこでお互いが気づくのか
もしくはどちらが言い出すのか、というだけなので
「からかい上手の高木さん」は見ていて安心でした。

そして高木さんのために(ギャフンといわすためだけとはいえ)
常になにかを提案して一緒に遊んでくれる
西方くんみたいな子はかなり貴重ですよなぁともなったり。
パンダ氏も元気な時はちょいちょい面白い仕掛けを
家の中に仕掛けてくれてたんですけどね〜。
今度は私がそれをする番なんだろうな。
驚かせて喜ばせて。
そんなことがずっと続いていったら良いのにね
なんてことを思ったりしたのでした。

 花びらのように散りゆく中で
 夢みたいに 君に出逢えたキセキ
 愛し合って ケンカして
 色んな壁 二人で乗り越えて
 生まれ変わっても
 あなたのそばで 花になろう

あなたのそばにもそんな人がいますように。
そんじゃまた。モイモイ。

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アジアな雰囲気を味わいに

2022-03-25 | from:sachiaki
ちょいと地元で知り合った方と交流を深めるべく
比較的ご近所にあるのに機会がなくて入店できなかった
タイ料理のお店にお出かけてしてきたsachiakiです。

お店の名前が大変変わったものなので
まず店名でホホゥと引っ掛かりを持っていたのですけれど、
お店のある場所がまたお手軽にアジアを味わえるところにあって
ずっと気になっていたんですよね。
で、旅行が趣味だという友人と「今度行きましょう!」って
言っていたものの、この新型感染症騒ぎで機会が失われていたのですけれど
その旅行好きの友人とは早々会えなくなってしまったものの
ちょっとした機会があって知り合った人が
めっちゃご近所に住んでいるってことがわかったので
ちょいと一緒にご飯なんぞいかがですか?って誘ってみた次第なのです。

で、本日その知り合った方以外にも
久しぶりにお会いしたいなぁって方も誘ってみたら
これまた二つ返事でOKをくださいまして
結局、現在の飲食店で誘いあわせることのできる
ギリギリ人数の四人でタイ料理を貪って参りました。
こういうご時世でなかったら、
なかなか予約が取れないと聞いていた隠れた名店だったので
出る料理がどれもこれも美味しいだけでなく
お店の人もおそらく日本の方じゃないんだろうな〜
って方がカタコトで良くしてくれて
人気なのも頷けるってもんなのでした。

一番驚いたのは18時開店から入店したんですけれど
1時間もしたら完売の料理が次々と出てきて
うわー食べたかったな〜!!ってなったことですね。
地元客も多く入るからか、とにかく開店直後から
あっという間に座席が埋まり、
すでにリピーターとなる人たちが
目玉料理をオーダーしていくので
気づいたら手遅れ!ってなっていたんじゃないかな〜と思いました。
テイクアウトもサービスしているので、
そういう在庫の変化もあるのかもしれない。

あとある種のパクチーが苦手なので、生春巻きやサラダなど
かなり戦々恐々として頼んだんですけれど
独特のあの香りは感じるものの
口にした途端石鹸の味を感じてウエッとなるものではなく
食べられる方のパクチーだったので
安心してパクパクいけたのも、しゅきぃ〜ってなりましたw

パパイヤのサラダ ソムタムも美味しかったし
豚肉のコームーヤーンは炭火焼のメインもので
甘辛いタレがつけこまれていて噛むたびに
味がジュワッと滲み出てきてご飯がススムくんでしたね!
角煮もトロトロで舌の上でほどけていくのが良かったなぁ。

ドリンクで面白かったのは豆乳割。
私はオーダーしなかったのだけど、
友人知人が二人揃って「これは危険な味だ!」って言っていて
調整豆乳よりも甘い豆乳で割ったお酒が
まるでジュースと変わらないってことで
「子供でも飲める」とキャッキャしていたんです。
私も頼めば良かったかなぁ〜。
でもお酒に弱いのでそこは控えめておきました。
いくらご近所さんとはいえ、帰る時に足がふらついていたら
絶対に帰れない自信があったので……。
あともう一つ、別の友人が頼んでいた
パクチーのレモンサワーも強烈でしたね。
香りだけがパクチーで味はしっかりレモンサワーなの。
どういう風に香りづけしてるんだろう?って
しばらく製法で盛り上がってしまいましたw

他はとめどもなく雑談で盛り上がり
無目的な会話って本当に面白いよなぁって
ニコニコしてきたのでありました。

美味しいし楽しいし、仲も深められたなら言うことなし。
今日集まってくれた人たちは
普段はまったく連絡のやり取りもしないし
SNSにもいないんだけど
たま〜に連絡をくれたり噂を聞いたりするぐらいの
ちょうど良い距離間でいてくれるので助かるんですよね。
なにはなくとも縁が途切れているわけではないというか。
旅人同士がちょっと集まってまた解散するみたいな
そんな趣があって好きな人たちです。
約2年ぶりに会ったけれど、昨日まで普通に会話していたような
そんなテンポだったのも良かったな。
また2年後あたりに面白いお店がみつかったら呼んでみよう。

それでは今日の日記はこの辺にて。
お店の名前が気になると思うんですけれど、
ちょっとご近所なだけに今回は伏せておきます。
ごめんやで。
そんじゃまた。モイモイ。
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強度がないから薄っぺらなまま

2022-03-24 | from:sachiaki
自分の厚みのなさについて
年々コンプレックスが深まってる気がするsachiakiです。

体の厚みは増すばかりなのにな!

絵が好きだって理由だけでデザイン志望になって
専門学校入ってデザインできる仕事について
フリーランスにまでこぎつけたものの
いわゆる40代の壁というやつに出会ってから
「作家性」というものがないデザイナーなんて
フリーでは食っていけないんだなぁ
なんていう当然の帰結をしているところなんですけれど、
(営業しろ!てのもあるけどね)
あれ?私って「作家性」ってあったっけ?
なんてなっているところです。
30代でがむしゃらに大きい仕事を取ってくるとか
してきていればよかったんだろうけどね〜。
まぁその辺についてはこれからも営業頑張ろう!
ってところで答えはあるし、
それもできないなら再び就職するっていうのも手なんだぜ
って別回答もあるから悩みではないんだけど、
自分の底の浅さについては大きな悩みになりつつあります。

知り合った友がどんどん個性を発揮していって
クリエイターやアーティストへと昇華していく中で
あれ?自分はなにしてたんだっけ??って気持ちになり、
それ以上に「なんか言いたいこととかあったっけ?」
という自分の底の浅さに愕然としているんですね。
日記をダラダラと続けるぐらいの駄文製造機にはなれても
しゃべることもできなければ、
なにかを作り上げることもできず……
友人たちのように強い言葉も持っていないので
この存在の耐えられない薄さに青ざめるばかりです。
経験を積まなかったからだなぁとも思うけれど
まぁいいかってズルズルし続けた結果ともいうか。

強度ってどうすれば付くのかなぁって思うけれど
この薄っぺらさが良さでもあるかもしれないし
もう少し様子見するかな〜って感じもある。

なにかを作る時に思想なんて込めてないし、
普段考えているしょーもない雑念も込めないし、
砂場で城を作っている子供の頃の延長上でものを作っているから
強度はいつまでもつかないんでしょうし、
それはそれで良いんだろうとも思う。
クリエイターでもアーティストでもない
いわば「遊び人」のようなものなんだろうけれど
「あそび人」と名乗る友人がいるのでそれはそちらに譲るとして
私のはなんだろうなぁ。
戯言って言葉があるぐらいだから戯作使いとかかなw
なんでもない人のなんでもない作品でもない
そういったものを作る人。
そんな感じかな。

いまさら自分の魂が高尚になるとかそんなことあるわけないし
地獄に落ちるその日まで
適当に生き延びていけたら良いなって思います。

ってことを書いていたら結構いい時間になってしまった。
あと写真も撮りにいかないとなぁ。
あぁ衣装とかどうしよう……。
まぁなんとかしよう。

ってことでこの辺にて。モイモイ
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ずっと心が重いよね

2022-03-23 | from:sachiaki
本日23日はウクライナの大統領ゼレンスキーさんが
国会で演説をするということで
かなり緊張感があったのですけれど、
終わったものを全文で読んでみたところ
さすが人の心の印象操作に長けた芸人出身者であるなぁと
心の底から感心してしまったsachiakiです。

演説が始まる前までは「進撃の巨人」の考察を語り合う友人と
なんやかんやいうてウさんはロさんの兄弟だし、
演説も激しいものが多いので、日本になにを要求するのか
かなり怖いものがあるね、なんて言い合っていたのですけれど、
日本人の特質をよく研究したのだろうなぁと思える
”温厚な話し方で感謝されれば
 尽くし続ける特性”をよく理解しているというか
妥当と思われるところを落とし所に持ってきたところが
会話が成立しなさそうなロさんと違って
好感度爆上がりになるように仕掛けてきたなぁと。
なんにしても外交がうまいってことは
とても良い政治をしているってことなので
このタイミングでこの人が大統領でよかったねウさん。
っていうようなことを思っていました。

でもねぇ、感心はしているし、
自分の国が破壊されている時に冷静でいられるか?
といえば、そんなわけないし、
こうやって戦時に世界に訴えかけることの強さに
スタンディングオーベーションものな気持ちがあるものの
同時にロさんの国のことを思うと本当に気持ちが暗く重たくなるんですよね。
自分の国の上層部が凶器であった時、
それを抑えようとしても拘束されたり、逮捕されて殺されたり
言論封鎖されていたり、まともに動くことができない状態で
「お前の国が悪い!」って世界中から指さされて怒られて
それだけでなく経済もなにもかもが壊れていくのを
反戦運動をしたりしていても足元の崩れ落ちていくような気持ちや
隣の国とはいえ、親戚兄弟友人がたくさんいて
それらの人たちを救えない無力さなどを思うと
とにかく胃の中を鉛のようなものが落ちていくような気持ちになります。

もちろん被害国への気持ちも心が引き裂かれんばかりに辛いです。
今もこの夜にどこかが攻撃されて、誰かの大切な人が怪我をしたり
亡くなったりしている。
たとえ独り身の人であっても、
誰かにとって大切であったことには違いないし
これから必要とされる人なのかもしれないし、
そうでなくても人ひとりの大切さってかけがえがないじゃないですか。
そういった人たちが路頭に迷ったり涙を流したりしているのは
想像するだけで吐きそうなほどしんどくなります。

誰かが誰かを攻撃したり、されたりっていうのは
聞いているだけでも耐え難いものがあります。
とにかく一日でも早く戦闘が落ち着いて
ホッとする時間が訪れてくれることを祈っています。

モイ。

ちなみに「モイ」はフィンランド語で「こんにちは!」的な挨拶。
フィンランドもロさんとの戦争で大変な目にあった国です。
私が尊敬してやまない「ムーミン」は反戦を強く訴えている話です。
「ムーミン谷」の人々のように
異質な人同士でもちゃんと向き合って折り合える
そういったものを目指していきたいですね。
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サムサムハムニダ(マジ寒いんだけど〜

2022-03-22 | from:sachiaki
例年なら桜の開花宣言とともに
今週末頃にはそこそこ咲いてるかもだね〜
なんて言いながらお花見の計画なんぞを立てるんだけど
今年も開花宣言はされたそうですが
近所の桜は一輪二輪咲いているものがあるな……ってぐらいで
今週末なんぞとうてい期待できるものでなく
こんだけ寒いとやる気もなにもかも萎んでしまうわい
なんて縮こまってしまうsachiakiです。

毎年「花冷え」なんていうてさ
桜が咲いているのに雪が降ったりするけど
咲く前はそれなりに暖かいことが多いので
こんなの例年ではみかけないなぁ
なんてなってるところです。
先ほど冷たい雨は雪へと変わってしまったようです。
夜更け過ぎの雪でもなく、ロマンチックでもない。
しかも「電力が逼迫しているのでできるだけ節電してね」
なんていう「おふれ」も出ちゃったので
寒いからって暖房を強めるわけにもいかず
ただただ迷惑……と思う雪の日です。
子供時代ならこんな変わり天気を喜んだんだろうけれど
大人はわがままなものですね。

さっきツイッタをぼんやり眺めている時に
東日本大震災で起こった発電危機にて計画停電などがあり
そんなことにはもうさせないっていうような理由で
電力自由化がいっきに進んで「停電しにくい」
電力供給体制になったはずなのに
電気代が上がっただけで結局電力足りんやないかい(意訳)
っていうツイートが回ってきて
電力自由化に一役買ったのは覚えていたけれど
「安定した電力供給」という理由で自由化だったんだっけ?
なんてなったりしてました。
あと、先日の都内23区でもけっこうな数が停電となった日も
こちらでは停電にならなかったりしたので
電力供給されてるところがバラけたのなら
逼迫している電力会社とそうでない会社があるんじゃないか?
なんてことを考えていたりしてました。
なんにしてもロシアとウクライナの戦争のおかげで
電力元となるガスが手に入りにくくなってるそうなので
いずれにしても電力の問題にはかなり悩まされそうです。
パソコン一台あればどこでもどうとでもなる!
って思っていたんだけど
パソコン一台動かすのも難しい状況になるんだったら
別のことを考えないとなんじゃないか?とか
蓄電できる小さいソーラー電池を持っておかんとアカンかなぁとか
そんなことも考えてみたり。
ちょっとお高いけれど、一台は必須ってなるかもだしねぇ。

とくにこれから部品とか色々とないものが増えてくるみたいだから
今のうち!ってのは確実にあるんだよね。

日本が豊かと言われていた時代はとうに過ぎ去って…
なんて言われて久しい昨今ですが
ここまで考えないといけない時代になったのかと思うと
ヤレヤレだぜ。とラノベの主人公よろしくつぶやいてしまいますね。

そんな日ですけれども、
ハリネズミくんはなにごともないかのようにスヤリしています。
最近めちゃくちゃデカくなったので、
さすがに肥満なのではないか?という疑念が湧いているところです。
1歳にもならない子が500g超えとかあるのか?ってね。
かなり個体差がある生き物らしいので
肥満の目安は「ちゃんと丸まることができるかどうか」や
「歩く時にお腹のお肉が床についてないか」なんですけれど
デカクなった体で丸まられる脅威を先日体験したばかりなので
ただただデカイ子らしいって認識でいます。
手に収まらないサイズの丸いものが
手に落ちてくるとちょっとした凶器に感じるんですよ。
そういやハリネズミを投げつけて人に怪我をさせたっていう事件もあったなぁ。
残念なことに投げられたハリネズミは死んでしまったそうなので
どんなに凶器に見えても道具ではなく生き物だってことは
ちゃんと覚えておかなくちゃです。
それにしても死んでしまったハリネズミくんが可哀想すぎる……。
やはり人間は邪悪な生き物ですね。
早いところ滅してしまいましょう。

とはならなんやろ。
と。

ともかくアホほど寒いので厚着して対応しておきましょうかね。
暖かい生姜湯も欠かさずに。
体調には気をつけておきましょうね。モイモイ。
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