あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

絆なんて言葉を好む人はファシズムの語源を知ればいい

2020-11-30 | from:sachiaki
あんまりに心がザワついてイラつくFBグループメッセージがあったので
心の平和のために「無視する」という機能を使ってみたsachiakiです。

そんな機能があるなんて知らなった頃は
通知が来ない設定にしたうえで「非表示」ってしていたんだけど
こちらが確認する云々じゃなくても
グループにメッセージ入ると「表示」はされるので
嫌だなぁって思っていたんです。
「退出」を選ぶことができるんだったらそうするんだけど、
なにせ運営主が変なところで権威主義なのかどうか知らんけど
「退出」をするとメンバーにも見えてしまうので
人が去るのが見えてしまうのが嫌だとかなんとか。
うるせー!勝手にさせろって思うんだけど、
多分退出したら運営主直々からの連絡が飛んでくるだけじゃなく
間違いなく中間管理職みたいな摂行役から連絡がきて
仲裁に入ってくるんだろうな…とか思うと
それだけでゲンナリするので、どうしようかなって思ってたんですよね。
そしたらいつの間にか入っていた機能の中に
「無視する」というものがあって
それを選ぶとスパムメッセージ扱いになって
こちらには通知もこなければ表示もされない
その上、相手にはそのことが伝わらない
という大変ヘルシーな設定になっており、
こりゃありがたいわいってなって、さっそく使ってみたわけです。
今の所とても快適です。ありがたやー。

本当は向かい合って、マジでしんどいので退出させて
って言いたいんだけど、どうにもこうにもそれは許されていないっぽいのと
距離が物理的に離れているので電話やメッセージのやり取りになってしまい
すごく堂々巡りしてしまうことは経験済みなのです。
これをパワハラと言わずしてなにがパワハラなのだろうか……。
先方から言わすと、メンツが潰れるということが許されるわけがなく
こちらの方がハラスメントをけしかけている、という理由になるそうで
話が常にループしちゃうんです。

で。
そんな人が女性の人権について熱く語っていて
そこまではいいけれど、女性を立てるためには
「男性の権利なんていらない」と言わんばかりの
口角泡を飛ばしているのを見て、
それじゃ意味ないじゃんって思ったりしているのでした。
こういうのを見るたびに、
「おじさんはデリカシーがなく権威的でパターナリズムに陥りがち」っていうのは
おじさんと呼ばれる年代と性別ではなくて
そういう考え方をする人に当てはまるもので
決してある一つのカテゴリーを指し示すものではないのだな
なんて考えに固まりつつあります。

つまり、パターンに当てはめた思い込みで話を進め、
そうでないものに対しては傷ついたと相手におもねることをねだる
機嫌を自分で取れない人のことを「おじさん」と呼ぶのだと思います。
ていうか、言葉にある主の性別と年代がくっついてしまうので
「ノンデリー」とでも呼びましょうかね。
そういった人たちが「保護」だのなんだのを口走っている時、
それは得てして望まれているものとは違う結果を導き出し、
結局ただの傍迷惑になるだけなんじゃないかと思われます。
実際、上記の運営主が「女性の権利を向上する」と言っているけれど
内容を聞くと前時代的すぎて、どうしてまた女性を守られるだけの
はかないものへと押しこもうとするのか
今まで頑張って勝ち取ってきたお姉様方に伏して謝れと言いたくなるような
そんな拙い話で本当に噴飯ものなのです。

件のグループメッセージでは反対意見を書いても
「消してください」と連絡がくる始末で独裁政治そのものが敷かれており、
結局メッセージが活発に動くことはなく
それを見ては「どうしてこのグループメッセージは意見が少ないんだろう」
とか言う話を聞かされたりしてウンザリしちゃうわけです。

なんて、ついついドス黒い愚痴が溢れてしまいましたけれど、
概ね私の日常は穏やかなものです。
穏やかすぎてやばいので「やらなくちゃリスト」を見ていたら
一個も進んでいなくてヒィ!ってなっていました。
年内に終わらせられるのかな……。
とりあえず頑張る。
どうか応援しててください。

そんじゃまた。モイモイ
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気づけばもう11月も終わり

2020-11-29 | from:sachiaki
明日が月末だなんて信じられない…
なんてなっているsachiakiです。

今日もゆっくりしていたものの起きてる時は
読み物の世界(雨月物語)にダイブしていたりしてました。

雨月物語』って実は『吉備津の釜』ぐらいしか読んだことなくて
その他は浮世絵のモチーフになっているとか、
落語の下地になっているとか、
そんなぐらいにしか捉えてなかったんですよね。

というわけで思い返すために『吉備津の釜』をもう一度読み
『蛇性の淫』を読んでから『蛇性の淫』の元ネタになったという
中国の『雷峯怪蹟』を読んで、元ネタも面白いけれど
翻案として作り上げた『蛇性の淫』はよく練られているなぁと
改めて唸ったりしていました。
なにより艶が違う。とにかくドエロイ。
谷崎潤一郎が脚本家として参加した映画もあったそうで
めちゃくちゃ気になるじゃないかってなってましたw
絶対色気100%、女も立たすし、男も濡れるって映像に違いない(確信

そして『青頭巾』を読み終えて、
3つとも恋路により道を違えてしまったがためにある
悲しい悲しい話なんだなぁなんて気持ちになってため息をついてしまいました。

『吉備津の釜』はたしかに呪い殺された男はダメ男だったけれど
あんな話になる前に両家の親がダメ過ぎるし、
『蛇性の淫』は妖怪に好かれてしまったからこその悲劇だとはいえ、
妖怪に材の管理を任せきりにしている人間側がダメ過ぎるし、
『青頭巾』に関しては恋い焦がれた童子が死んでしまっても
その悲しみにくれて妖になってしまったなんて
むしろその深い愛に震えるものがあるじゃないか…となりました。
まぁその後に童子のことを追って亡くなってしまった。
とかなら美しかったのかもしれないけれど、
仏の道を説くためなのか、人の肉を好む鬼になってしまったのは
なんというか説法のためとはいえ、やり過ぎ感あるなぁとかなんとか。

あとは『白峯』と『菊花の約』と『浅茅が宿』と『夢応の鯉魚』と『仏法僧』と『貧福論』と
6編読めば読了となりますな。
『貧福論』の現代語訳はみつけてきたので、これから読むつもり。
とか、書いてるけれど谷崎潤一郎作の『秘密』の朗読も聞いているところなので
明日に回すかもしれません。
他にも気になるブログとかも読みにいきたいと考えているので。
”リゾームと器官なき身体”とかね。

言いたいことはまだまだあるけれど、
ドラクエウォークの目標歩数を稼ぐべく、
そしてここのところヨガストレッチもサボっている
ゆるゆるボディに喝を入れるためにも歩いてきますわね。
そんじゃまた。モイモイ
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喉風邪にてオフトゥンの住人と化していました

2020-11-29 | from:sachiaki
割とよく喉風邪をひくんだけど
今回もお熱が37度を超えてフラァっとするので
土日に予定があったんだけど、どちらもキャンセルして
オフトゥンの住人となっていたsachiakiです。

生活リズムが崩れているからこその喉風邪なども思うんだけど
生活リズムを立て直すのもなかなかハードルが高いものですよね。

うちのハリネズミが弱っているのも
そういう私のリズムに影響受けているのか?
と思うと、それはそれで辛いものがあるけれど
とりあえず主人が元気になればチビも元気になると考えれば
自愛する気持ちも湧いてきますわね。

そして体を起こしていると疲労が溜まっていくのが分かります。
オフトゥンの中では元気が余っていてても
まだ余剰の分の元気はないってことなんでしょうね。

夕方なんかはドラクエウォークをするために歩いていたけれど、
一日の目標歩数(3,000歩)を目指して30分だけ
外に出たけれどこれは体力をいっきに削られて
帰宅してすぐにモフンとオフトゥンに戻るハメになりました。

ちなみにお熱はすっかり下がっているものの
喉に違和感があり、扁桃腺のあたりが痛いなぁってぐらいなんだけど
外の冷え方がいきなり過ぎるので
体がついていけてない感じがします。

と。これ以上書くこともないのでこの辺にて。
再びおやすみなさい。モイモイ
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最近の子はすぐにパクり!って言うのな

2020-11-26 | from:sachiaki
ここで宮崎駿監督から一言いただきましょう。

「わしらは大きな流れの中にいるんだ」

とはいえ、これだけではちょっとわかりにくいと思うので
駿御大が描かれた漫画の画像を引用いたしますね。



またこの人めんどくさいこと言おうとしている
って思われるかもしれないな、なんて思っているsachiakiです。

250億円の男!になったとかいう映画がどえらい人気を博し、
市松柄や麻の葉柄を使うだけでそれと認識できる
そんな作品の中にあるワンシーンを引っ張り出してきて
古い漫画が再アニメ化した時に似たようなシーンがあって
それについて「パクリだ!!」って大騒ぎになったとかなかったとか。

あのな。
齢40年重ねてきた身からしたら、
あの漫画(アニメ)はほとんどの名著たちからの美味しいところを抜き出して
そこに自分のストーリーを重ねているから
パクリではないけれど、引用しまくってのはそっち!
っていう気持ちになったりして陰鬱になったりしています。

それでも私たちは言いませんわ。
なぜなら作品というのは何かから影響され
そこから引用にしろオマージュにしろ作る人たちの血肉になって
受け継がれていく。そういうものなのです。

お前は松本零士か!って言いたくなるぐらい
言いがかりや難癖付けてんじゃないぞってなります。

換骨奪胎されて改悪されてしまうこともあるけれど、
基本的にはそういうもので作られている。
フランケンシュタインとマイフェアレディは同じ話。(1964年/リチャード・クワイン監督)
というのは驚く人も多いかもしれないけれど
言われてみれば筋は同じなのである。

というわけで、筋を同じものにしていながら
皮がまったく別物でオリジナルが二つあるように感じることもあるだろう。
そんなことを踏まえて同じようなメロディが一部に使われたり
同じようなモチーフだったとしても
オリジナルの主張というものはまったく別の論拠を持っていなくてはならない
ってことになるのです。

せっかくなので「似ている」と「侵害」の違いについて
写真の例で良い記事があったのでリンクを貼っておきますね。
知っておきたい写真著作権 「似ている」と「侵害」の距離

まぁ著作権はけっこう権利改正が多いものの一つなので
この権利についていつまで効くかはわかりませんが
こういったことをきちんと知っておかないと
面倒なことになりかねないので。

モチーフや構図など人が「快」と思うものは
おのずと寄っていきます。
だからこそ「黄金比」なんて言葉もあるわけですから。

自分の信奉する創造主が優れていると信じたいあまりに
後発や別のものへ因縁をつけていくのは
創造主の威光を嘘くさくさせるとは思わないのかしらん。

まぁ色々と思うけれど、
「パクリだ!」ってすぐに言い出してしまう人は
もっと古い時代から現代までの世界中の作品を見てくると良いと思います。
自分の視界の狭さにびっくりするから。

そんな感じ。

さて、今日はこれから読書会なのでこの辺にて。
モイモイ
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コンテンツという名のなにか

2020-11-25 | from:sachiaki
Facebookに投稿したものをもう一度書く気になれなかったので
コピペにて失礼sachiakiです。

人をコンテンツ化することに疑問を呈する投稿を見かけたので、
私もずっと引っかかりながら考えていたことをちょいと。

人間をコンテンツとみなした時の怖さ、
とは、人間が「尊厳」までも売り物にするもので
予測不能な人生までかけたものだけに
「人を人として見ない」「消耗品になる」という
コンテクストがそこみ組み込まれることになる。
そこには技術もなく売り払うものもなくてもできる
見世物としての究極の形であり、
人の下世話な感性に対して大きなアドバンテージを得るのではないかと思われる。
「○○さんって○○のことが好きらしいよ」みたいなものから
「○○さんところの息子さん○○らしいわよ」みたいなものまで
それらはコンテンツとみなされ共有されるからこそ
人のプライベートを踏みにじり笑える浅ましさに他ならない。

そしてその欲求に応える形でワイドショーは苛烈を極め、
それだけでは飽きたらず、人々を観察するドラマや
バラエティなどが後を断たなくなってきた。

こういったものは人の「知りたい」という
根源的欲求に対して訴求するものなので
きっとこれからも減らないし、むしろメディアに乗りやすくなった分
さらに増えていくことが予想される。
なにせ70億人が全員コンテンツになるのなら
70億のコンテンツがみだりに増えるわけで
見る側は選ぶのも大変だし、
選び方としてより過激なもの、より共感度の高いもの、
みんなが見ているものへと集中していくだろうし
そうなることで「見られない」側の不満は募っていくように思う。

これらの不満に対して、おそらくより良く見せるように教える系のコンテンツ、
プロデュースをするような会社、マーケティングの力はますます強まるようにも思う。
まるで回遊魚が大きな魚に飲まれていくのを見るような感じだ。

それらに対して文句を言ったり、
どうかと思うと疑問を呈したところで止まらない動きなら
乗らなきゃ損々と踏み切るかどうかの違いだけだと思うし、
そんな流れで先日炎上したホームレスのことを云々いう資格はほぼないだろうと思う。

誰かの文脈に乗っかって広がっていくことに関して
今までは「踏みにじった」と怒ることができたけれど
これからはそれを怒ることができるのだろうか?

あきらかなルーツ違いなのに、別の文化を乗っ取って
自分のところに組み込んでいくのはミクスチャー文化で育った世代が大きくなったからなのか。
そもそも全てのエネルギーは均一化を目指していくから
混ざり合って変わりがないものになっていくことが運命なのかもしれない。

そんなことを考えていました。

追記:せめて自分自身を売りはらうコンテンツになってしまう前に
   技を身につけるか、仮面を身につけるか、
   そういった防御対策は必要なのかもしれない。
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今日感じたこと思ったこと考えたこと

2020-11-21 | from:sachiaki
ここの日記を書く時はだいたい打ち込むのに任せて書いていて
あまり起承転結とか、そういったことを考えているわけじゃないんだけど
それでも時にはそういったことを考えたりもしなくはないわけで
そんな時は「結」へ向かって書いていったりするんだけど
今日はやっぱりそういう気分じゃなくて全然ダメダメな気分のsachiakiです。

久しぶりにSunny Day Serviceを聴いてみたら
この人たちやっぱ渋谷系と言われた空気そのままで
90年代回帰の今にすごくあっているんだな
なんてことを思ったりしてました。

ドラクエウォークの歩数稼ぎのためと
おゆはんの買い出しついでに近所を徘徊していたんだけど
だらだらと思考し続けていたことが止まらず
つい歩き過ぎたかな?って思った頃にお腹が空いたので帰宅。
思考途中でぼんやりと道端で佇んでいたら
コック帽を被った外国のおじさまに「こんにちは」と声をかけられて
ハッとするぐらいにボンヤリしていたみたいです。
たぶん声をかけられたすぐそばにイタリアンのレストランが2軒あるので
どちらかのおじさまなんだと思います。
私は散歩の途中とか、お風呂に入っている時とか
けっこう物事を延々と考える癖があって
そういった時は心ここに在らずというアホ面をしているそうです。
お散歩途中では不審者と思われないように気をつけないとな……。

とある人から最近よく変な絡まれ方をしてて
それ自体は別にいいやって思ってるから適度にリプしたりしてるんだけど
どうも自分の自尊心の低さを人にぶつけることで
「そうじゃないよ」と言ってもらいたいタイプの人なのか少し考えたりしてました。
まぁ私自体が自己肯定がそんなに高いわけじゃないので
(低くも見えないだろうけれど)
それもあって自己肯定の低い人を寄せてしまうってこともあるんだろうな。とかなんとか。
嫌ってわけでもないんだけど、
私以外にもそういったダークな感情をぶつけては
人に煙たがられたりするのだろうな、って想像すると
早めにカウンセリングなりなんなりに通って
自分自身を救って上げて欲しいなって思ったりしています。
本人は自分のことを下げているだけなのに、
なんで他人が不機嫌になっていくのか不明なんだと思いますけれど、
よっぽどの鬼畜なタイプの人でない限り
「私って本当にバカだから」って言った時に
「そんなことないと思うよ〜」っていう慰めの言葉が出てくるわけで
それがたまになら相打ちで誰かの役に立てたという
気持ちの優位性に立てて悪くない気もするんだけど、
あんまりしょっちゅうだと、
「こいつは私になにを期待しているんだろう」とか
「私はお前の痰壺じゃねーぞ」とか、
そういった悪感情へと結びつきやすくなるから
ホドホドにしておいた方が良いと思うわけです。
まぁその人にとっては「嫌われている自分」という塊であることが
自分にとって都合がいいから手放せないんだな……
なんてことも思うんですけれど。

人に嫌われることを良しとしているなんて不思議な話だけど
もし嫌われないように努力をしているのに嫌われてしまったりしたら
それこそ致命的に自分の心がガタガタになってしまうので
そんな努力をするぐらいなら初めから期待しない方が良い
っていう心理なんちゃうかな、って思ったりしています。
外側からみると客観性が欠けているなんて感じたりもするんだけど、
人にはそれぞれの主観があって、
それぞれ自分にとって都合の良いようにできているから
このことを考えるのもよすことにします。
人のことなんて結局は分からんのですから。

それはさておいて、自己肯定力が下がっているな
って思うことが多い日々を送りがちな私たちにとって
自己肯定力を高める方法はなんぞや?といえば
・無理に自分を好きになろうとしない
・ダメな自分のことも許してあげる
・なんか調子良かった時に自分を褒めてあげる。いい気持ちを忘れない
・嫌なものからは距離をとる

こんなところでしょうか。
今期のアニメで「魔女の旅々」というものがあるのですけれど
その主人公が自己肯定力の化け物みたいな人で
誰かをべた褒めし、それは誰でしょう?と問いかけておきながら
「それは私です」と答えるというキメセリフがあるので
ぜひ見習ってみると良いと思います。

自己評価の低い人ままでいるとネガティブパワーで人のパワーも削いでしまいますから
誰かのパワーを削がないためにも、自分のパワー回復に勤めてみましょうね。

ってことで今日はこの辺にて。
そういや「男性脳」「女性脳」というエセ科学についても
またイラッとしていたので、その辺のことを書こうかな…なんて思っていたんだけど、
参考文献を探し切れていなかったのでまた明日にでも。
そんじゃ改めて。モイモイ
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多様であることの難しさ

2020-11-20 | from:sachiaki
昨晩はとある友人が心の悲鳴をありったけに叫んでいたので
三連休にちょっと一緒にでかけようか、
なんてことを提案していたsachiakiです。

みんなお疲れ様やよ。

それはそれとして。
先日も絶対の白(善)はない、なんてころを書いたばかりですが、
今朝も子供向け番組にあったシーンに対して物書きの方が怒っていてて
なんだかモニャモニャしておりました。

曰く、子供向け番組で「男の子が女の子に意地悪をしてしまうのは好きの裏返しなんだよ」
っていうやつで、物書きさんがいうには
好意の裏返しなんかじゃなくて、本当に意地悪をしているだけだったら
それはDVと同じようなもので、意地悪された女の子の傷はどうなるのか。
大人にその責任が取れるのか?
という話でした。

「好きな子に意地悪をしてしまう」ことを心理学の用語で
「反動形成」っていうんですけれど、
これって自分の中で抑圧されている感情が意識できるときに
防衛規制として反対の行動として出てしまうというものなのですよね。
一般的には「天邪鬼」と呼ばれるものがそれにあたるかな。
私もものすごい天邪鬼だったので、
(今もその傾向は抱えているからなおさらだけど)
これを否定をされるのはとても辛いものがあるんですよね。

意地悪をしてしまうのはよろしくないことだし、
そうなってしまう要因を取り除いてあげることが急務なんだけど、
天邪鬼の人に振り回される側はそういうのに気づけないんですよね。

男の子に多いとされる上記の傾向は
男の子が感情を表すことをOKとされていない土壌があり、
そのうまく制御できない幼い心では反動となりやすいものがあるのだと思われます。
好きな子には好きだと言って良いのだ、
怖い時は泣いていいし、楽しかったら笑っても良い。
そういったことをストレートに表せられるような環境にいれば
天邪鬼になる必要もないわけですし、
自分の心の動きと行動が一致するので
変にすれたりしなくて済むわけですね。

ちなみに私が小学生の時に同級生の男の子にランドセルをさんざん小突かれ回されて
泣きながら帰宅したことがあって、
うちのママン大激怒しまして、男の子に謝りに来てもらったことがあります。

と、書きながらなんとなく気づいたことは
天邪鬼な子に対しては「それをしてはいけない」という禁則事項を増やすのではなく
「もっと素直に出して良いのだ」と伝えてあげることなんでしょうね。
された側は変な憶測を立てるのではなく
されたことに対して怒り、不当であることを告げて自分を守り、
してしまった側は不当であることを学び(ていうか、知っているんだけど
それを制御するのが難しい。自分が受けれいられないことは自分が悪いからだ
というロジックにしがみついているから)
素直に出して受け入れてもらえるようになることで自己肯定をしてあげる。

こういうことなんじゃろな。

とくに精神がまだ若いうちは自分の心と体の一致がまだできてないことも多いし、
自分の中に生まれた感情に名前がついていなくて不安になったりもしますし。
本を読んでいたり、大人と接する機会が多い子は
なんとなく自分の中に芽生えてきたことなどにも説明ができるんだけど、
そうじゃない子には自分の中のモヤモヤがイラつきになって辛かったりもすると思います。

大人だって常に未完成なんだけど、
常に意識をアプデいきましょう。
難しいけどね。

さて、賞状を買いに行きたいのでおでかけしてきます。
そんじゃーね。モイモイ
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心のディフェンスについて

2020-11-19 | from:sachiaki
私もけっして心のディフェンスが硬い方ではないけれど、
「これは私の責任ではありません」
というようなことにはソコソコ壁を作ることができるようになったな
なんてことを思ったりしているsachiakiです。

なんていうかね。
私が頑張らないと!
とか、
私がいないとダメになっちゃう!
とかいうのはね、
そんなの気にしなくていいんだよ
って思うようになりました。
人によっては他の人に迷惑をかけちゃうし、
とか思ったりするのかもしれないけれど、
自分が迷惑をかけられているんだから
他の人にも迷惑をかけて良いんだよって思うし、
そもそも裁量権を持っている人が配分を間違えているんだから
それは君が頑張る必要はないんだぜ。
って思うわけです〜。

フリーだったりするとさ、
クライアントの意向があるし、締め切りの相談とかも受けて
それで進めたのに…ってことがあることもあるけれど、
ちゃんとした仕事のクライアントさんだったら
進捗を加味してくれるし、遅れたりするような時も
どこで遅れてしまいそうなのかなど
ものすごくマネジメントをしてくれるので
なるべくブラックな案件は引き受けない
っていうのが良いんじゃないかなって思います。

とはいえ、踏ん張らないとならない時ってのもあったりするので
それはそれでってこともあるけれど、
踏ん張った分を当たり前と受け取られないようにする
そういう戦術も必要なんじゃないかしらん。

そういった意味で、瀧本哲史さんの書かれた
「君たちに武器を配りたい」なんかは
かなりの良書なので一度目を通してみることをオススメいたします。
この本ではメンタルについて書かれていることはないけれど
自分自身の持っている資質などを簡単には搾取されないようにしたり、
うまく世の中を渡り歩くための「社会の歩き方」みたいなところがあったりします。
投資家さんが書かれた本なだけあって
投資目線で描かれる中身には、それなりの引っかかりもあるけれど
(例えば自分に武器”才能”なんてない…って思ってしまうとか)
もともと若い人たちが年寄りたちにすり減らされないように…という目線で書かれた本なので
すり減ってしまいやすい優しい人なんかには必読なんじゃないかと思われます。

ともかく苦しいことや、嫌なことは徹底して排除していい。
もちろん全部排除したら残らないじゃないかっていうことも分かるけれど
人が嫌なことでも自分が嫌じゃないことってあるように
自分が嫌なことが誰かの嫌じゃないってこともあるので
できるだけ自分の嫌だなって思う部分をアウトソーシングしていきましょうって感じ。
そんなに自分一人で背負う必要はないんだよってことで。

人に優しい部分を自分に向けてあげようねってお話でした。
さて、今日ももう少し作業することがあるのでこの辺いて!モイモイ
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アホほど忙しい

2020-11-18 | from:sachiaki
こんなに忙しいのはめちゃくちゃ久しぶりだけど、
またこの週が終わったらお仕事切れちゃうのか……ガクブル
なんて震えて眠り損ねているsachiakiです。

今はひょんなきっかけで知り合いになった
新年のコンサートのフライヤーが作れないか?と
いうお話をもらったので、
「いっすよー」なんて気軽に受けてしまったものの
そういや締め切りの話をしなかったなぁ
って思っていたら、めっちゃ急ぎのお仕事だった!
ってわけで、その他もちょうど重なり合っていたところだったので
ねじ込んでいたら寝る時間がおかしなことになってしまった感じですw

とか書いてるけれど、朝に寝て昼に起きてるので
一応寝てはいるんです。
徹夜を続けるなんてことは今の私にはできませんのでw

とりあえずこのお仕事が比較的知り合いの人たちがいっぱい見るってことと
なぞの人脈で広い人たちにリーチしそうだってことがあるので
あわよくばもう少しお仕事につながっていったらいいなぁ
なんてことを考えていたりです。
営業しないフリーなんて死んでるも同然だぞ?
って自分でも思うんだけど(ぉぃ

社交の場にはよくいるクセにPRヘタだっていうのが致命的ですよね。

まぁそれはそれとして。

とある知り合いが「シンパシー」と「エンパシー」について
グループチャットに投げていてて、そこまでは良いと思うんだけど、
あまりにぶっ飛んだ解釈で展開していき、
おいおい、少しは調べたのか??っていう衝撃を受けていたんだけど、
この人、間違いを指摘されたり、異を唱える人が大嫌いなので
ツッコミを入れることもでずに歯嚙みをしているところです。
別にどんな解釈で展開していってもいいんだけど、
わざわざなにかを敵視しなくてもいいだろうって思うんですよね……。
女性蔑視という意味でミソジニーって言葉があるけれど、
男性蔑視という意味でミサンドリーがあり、
それが表面に出過ぎている人なだけに
そんなに敵を作らなくてもいいんじゃないかな…ってハラハラしたり。
私みたいに八方美人になる必要はないと思うけれど、
なんていうか面倒なことに巻き込まれないといいんだけどね〜
って思うばかりです。

ちなみにその人にとっては「エンパシー」の共感力の方が尊くて
「シンパシー」側の共感力はよろしくないみたいですw
あ、そうって感じなんだけど。
たぶん私がツッコミに入ったら「これだからシンパシー側の人は!」って
言われそうなんだけど、
あたい、こんな横暴な態度が多いタイプだけど、
「エンパス側」なんだよって言ったら卒倒しちゃうんだろうなぁwww
人様の痛みや苦痛について想像しやすい人って同調しやすいので
心の防壁を厚くしておかないと生きにくいんやよ。
今でこそヘッドフォンなくても電車に乗れるようになったけれど
ちょっと前まではヘッドフォンなしでは電車に乗れなかったし
人の怒鳴り声が聞こえるだけでダメージ受けて別部屋とかで休まないとダメだったし
本当クソ面倒くさい体質なんですからな。
「エンパシー」を持ち上げたいのは女性的な繊細さが大事だと言いたいんだろうけれど、
こんなもん女性的でもなんでもなくて
想像力が強くて自他境界が薄いだけだから、ただの子供と変わらんですよ。

なんでも自分に都合よく解釈して、都合よく当てはめていこうとするところ
全然変わらないんだなぁってヘナヘナとしてしまったところでこの辺にて。

お仕事ひと段落したので寝てきます。
そんじゃね!モイモイ
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アウフヘーベン!

2020-11-16 | from:sachiaki
いきなりなに言うてるの?
ってなってしまいますよね。すみません。
最近のなんでも燃やして行って焼け野原になっていく
ネット界隈を見ていて、それ必要な火つけなの?
なんてことを思っているsachiakiです。

◇アウフヘーベンとは◇
ドイツの哲学者であるヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念。
揚棄(ようき)ともいう。
<名・ス他>
あるものを、そのものとしては否定しながら、更に高い段階で生かすこと。
矛盾するものを更に高い段階で統一し解決すること。

なんちゅかな。
最近はこういったことを考える事が多い気がする。
一つのものごとを目にした時、
そこには正しさのみがあるわけではない。
そこには必ず悪しきものも含まれていて
(逆に言うと、悪しきものも含まないものは正しいとは言えない)
徹底的に良き方面へと向かおうとして悪しきものを排除をするということは
必ず悪い方へと加速させていく、と思っているところです。

ネットの言論(にもなっていない、お気持ち表明)を見ていると
そういったものを強く感じてしまい、
あなたの言っていることは正しさを求めてはいるけれど
まず間違いなく世の中が悪い方向へと進む
もしくは進化を阻むものになるけれど
それでいいのか?と問いただしたくなるものが増えたように感じます。

ついでに書くと、最近の傾向としてルサンチマンを含むものが多く
より持てるものへの抑圧からか、
弱気立場がくじかれているように感じた時の
貴族的立場の人たちへの圧力が高く、
おそらく断頭台へと誰かを送る祭りのようなものを期待しているような
そんな恐ろしささえも感じる今日この頃です。
貴族的な人たちのものいい、態度が気に入らない。
そこまではいいけれど、その人たちを燃やし
処刑した後に来るのは秩序なき社会なのではないか。
そんなことさえも感じて、
今はネットの中の言論が恐ろしくて仕方がありません。
(ていうか、言論にも…ry)

一つのところへと収束していこうとする圧力。
それがたとえ”善い”ことへの推進力だとしても
なぎ払ってしまうものへの目線が抜け落ちてしまうことなどは
かなり慎重になった方が良いと感じます。

何をもとにして書いているかがわからないって?
例えばフェミに関して、例えば今炎上している人権系に関して
燃やしている人が少しでも正しいことを行おうと
少しでもなにかを進めているのか?かなり疑問です。
むろん、そうではなく
きちんとした意識を持って高みを歩み
そこから批判している人は問題ないと思います。
批判は大事です。
だけど燃えているもの、悪いと思われるもの、
そういったものに自分の意思を確認もせずに薪をくべてはいないか。

「立ち止まって考える」ことをした方が良いかと思います。

さて、私が言いたいことはなんとなく察して頂けたらと思いますが
何言ってんだお前、って感じでも全然OKです。

だって人は誰かの言っている事を理解できる
なんてことはほぼほぼないのだから。

じゃぁ書くなよ、って言われるのかもしれないけれど
ほんの少しでも伝わることがあればいいなってことで。

そんじゃまた。モイモイ

追記:人間にはおそらく「真実の秤」なんてものは与えられていないと思います。
「真実の秤」は私が適当に作った言葉だけど、なにかを思い何かを感じ、
なにかを判じたい時に、真実の中間、善なる重りは持ち合わせていないし、
自分が持っている秤はせいぜい自分の経験や環境を反映させたものでしかない。
といったことです。
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