あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

資本主義め

2024-05-31 | from:sachiaki
タイトルがちょっと物騒。
いや、物騒っていうのもちょっと違うか。
なんていうか、大したことじゃないんだけど
イラッとさせられているので
ついつい「資本主義めっっ」って気持ちに
なってしまっていたsachikaiです。

たぶん私が理想主義過ぎなんだけど、
すっごくムカッとしていたので
ついついそんなタイトルになってしまいました。

なんていうか、
お前にそんなことを言える権利はないと思うぞ
って言われるのも承知のうえなんだけど、
株主のために動いてるわけじゃないんだわ
っていうのをつい思ってしまったんですよね。
自分が株式会社をしているわけじゃないんだけど、
似たようなものかな〜と……。

ただいまご支援を受けながら写真復活をしているんだけど、
それがそんな大きな金額でないというか
まぁ2,000円以下のメイク道具などを送ってもらっていて、
それを使って撮影を再開したところなんです。
で、それ自体はすごくありがたくって
なにも文句はないんだけど、
リターンで送っているものに「もっと」と
言われるのにイラッとしてるって感じなんですね。
こちらとしては1,000円に対してのリターンって
このぐらいっていうイベント相場に合わせているんだけど、
それどう考えても見合わないリターンを要求してますよね?と。
ていうか、ない袖は触れないのでなんもできませんよ、と。
で、それに対して返ってきたものが
「リターンが多ければ多いほど投資も増えますよ」と。
なんかこのやりとりを通しただけでも
地方が頑張って税制を立て直すために
「ふるさと納税」を始めたのに
けっきょくただの商品売買と思われて
変に追い詰められている構造にも似てるなって。
株主のためにリターンを作るために
会社の方針変更してまで頑張ってたら
結局真のお客に逃げられて倒産しちゃうとか
そういう話とも似てるなって。
なんかそんなことを感じてしまってました。

需要と供給は市場の原理だけど、
供給する側が「もう止めた」って言うと
需要は満たされないってこと忘れないで欲しいデス。
代わりはいくらでもいるってのは知ってるので
代わりをみつけるならそれはそれでって思うし。

とはいえ、自分がこういうことを言っているのも
潔癖で妥協知らずってことだとも思うので
プライドの高さが全てを台無しにしている
ってことなのかもしれません。

でもさー、まだこの投資をしてくれてる人はマシで
完全にタダノリしてる人が
「もっとくれ」って言ってくるのは
どう考えてもナシですよね。
そこらじゅうに求めてるものは落ちてるだろうし、
今はディープフェイクもある時代なんだから
個人で楽しむ分にはそれでどうにかしてって思います。

なんかそんなことを考えてました。
とりあえずイライラしてても仕方ないし
粛々とできる範囲でやっていこうと思います。

それではまた。モイモイ
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バタバタデー

2024-05-30 | from:sachiaki
今日は用事が立て続けに入って
落ち着かない一日となったsachiakiです。

通常お仕事だけでなく、
急に頼まれた区役所への対応や
6月頭の誕生日の主に贈りたかったものを
作成して郵便に出したり、
現在WEBラジオの収録に来てたりです。

と、そろそろ始まるので
いったん終わりまーす!

またね!

モイモイ
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ばあちゃんの話

2024-05-29 | from:sachiaki
みたいな話を書いて、そうじゃないだろう
っていうようなことで結んだんだけど、
ばあちゃんの話を思い出して
これは相当ブラックだなって思ったことを
書こうかと思っているsachiakiです。

私は母が東京出身で、父が奄美大島の出身で
父方は奄美地方に親戚が固まっているんだけど、
母方は東京と神奈川、
そして新潟方面に親戚が固まっています。
新潟は祖母が生まれたところなんですけれど、
祖母が10歳を過ぎた頃に奉公に出されたのだそうです。
いわゆる丁稚奉公というものですが
これがね、うちのばあちゃんって
父方母方どちらもパワフルなんですけれど、
母方のばあちゃんは魚河岸で働き
女手一つで私の母とその姉を育てあげた人なので
まぁなんていうか根性が達観しているっていうか
「竹を割った性格」という
実にサッパリとした人なんですけれど、
そんな闊達明朗な祖母が時々話す古ごとの中に
「奉公がとても辛かった」という話があったんです。
そりゃ子供の頃に大人に怒られたりするのは
普通に考えて辛かろうと思うんですけれど、
新潟の人は我慢強いという特徴があるにも関わらず
思い返す奉公時代が「辛い」のみの言葉に集約されるのは
相当な重みがあるなって思ったんです。
なんなら東京大空襲も身を持って体験しているのに
それを差し押さえて「奉公の方が辛かった」と
いうのだから、その辛さはトップクラスだった
ということなのでしょう。

祖母は歳の近い弟を連れて
東京に出てきて奉公に勤しんだそうですが
どういう事情があったのかわからないけれど、
弟さんとは大人になってから疎遠になってしまったそうです。
ばあちゃんが都営団地に住んで粛々と魚河岸に働き
74歳で二度目のドクターストップがかかるまで
一度も弟さんがお見舞いにくることなどもなく
そんな人がいることも知らなかったんですよね。
でもたしかに弟と出てきたという話は聞いているので
祖母が亡くなった時、お葬式の時に初めて
その弟さんが家族を連れてきたものの
うちとすごく揉めて帰ってもらった
みたいな話があって驚いたんです。
ちなみに弟さんは都内でも有数の良い土地に住み
どうやら小金持ちになったようですが
曽祖母のお墓の立て直しなど
ミリも助けてくれなかったそうなので
「辛い奉公」というものの中に
なにかそういったニュアンスも含まれていたのではないか?
と今になって思い返したりするのです。

そういや曽祖母はうちのばあちゃんを大変可愛がっていて
しょっちゅう団地に来てはばあちゃんとお酒を飲んで
チンチロリンをしてはしゃいでおりました。
なんでそんなに賭け事ゲームが楽しかったのかはわからないけれど、
曽祖母もばあちゃんもソーダアイスが好きで
遊びに来た時にはソーダアイスを買いに
私がお使いに行っていたものです。

と、話はそれてしまったけれど、
東京に出てきて丁稚奉公をしたという話と、
丁稚がどんなものかと検索してみれば
勤め先に住み込みで働き、
店の掃除や使いっ走りなどの雑用、
主人のお供などを含み、
盆と正月に小遣いと仕事着が与えられるだけで
無休で働いていたとあるので
丁稚奉公に関しては奴隷とほぼ同義であるなぁと
思ったりしたのでした。
ばあちゃんはよく「私は小学校しか出てないから」と
本を読み学校に通う私に「勉強は大事だよ」って
耳にタコができるくらい言ってきたもので
それもきっと丁稚奉公で学校に通う時間もなく
ただただ働かされていたこと
そして(邪推だけど)一緒に艱難辛苦を共にして
支え合う血の繋がりのある弟とは
協力しあえなかったのだろうという
子供にはダメージのあり過ぎる話が
そこには潜んでいたんじゃないかと思います。

というわけで、家族の中で家事をしていた子供は
奴隷とは言い難いものがあると思うけれど、
子供を労働力として放り出し、
さらに放られた先で酷な仕事をさせられていたなら
それは奴隷と同義だったんじゃないか?ってことです。

とはいえ、限りなくブラックに近いグレーだと思うけれど。
少なくとも成人したら
自分の生活を自分の責任で動かせるようになり
そして結婚し居を構えることなどもできたわけで
期間限定の奴隷といえば、
そうだったのかもしれないって感じでしょうか。

今も昔も労働力に対して賃金を出したくない
っていうのは経営者の本音でしょうし、
賃金を出さないための労働力を
奴隷という制度で賄っていたに過ぎないですからね。
そう考えると「働いたら負け」という論は
奴隷に落ちたくないという
なにかと近いものがあるのかもしれません。

だいぶ話が紆余曲折してしまったけれど、
子供に労働をさせず勉学や経験をさせて
社会全体の底上げをすることこそが
豊かな社会を形成すると思うので、
そういった意味でも子供を労働から解放させるのは
大人の責務だと思います。

そんな感じ。それではまた!モイ
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奴隷とはなんだろう

2024-05-28 | from:sachiaki
一般的に奴隷と言われれば
人身売買で人としての権利を剥奪されて
物と同じ価値しかなく
所有者の意思でコキ使われる人のことを
指すのだと思っているんだけど、
ここに「人としての権利」という
比較的微妙なラインの言葉があるなぁ
なんてことを思っていたsachiakiです。

人としての権利っていうのは
人として扱われるべき名誉。
なにかを所有する権利と自由。
このことを指すと思うんだけど、
例えばここに「社畜」は奴隷に入るのか?
と言われると、う〜ん、ちょっと違うんじゃないかな。
なんてことを思ってしまう私です。
洗脳に近いことをされて
自由も名誉も奪われ、
会社のために使役されるって意味では
たしかに奴隷と同じなんだろうけれど、
社員って退職する自由があるというか、
逃げ道があるんですよね。
逃げ道に気づかせないようにしている
って点では限りなく黒に近いグレーなので
それってほぼ奴隷じゃん?
って思わなくもないけれど、
やっぱり厳密な意味では違うと思うし、
社員の権利を主張していくなら
自分達が奴隷であるというよりは
労基をちゃんと守れ!って戦う方が
正しいと思うんですわね。

で、別の方面で「嫁」というものも
奴隷と同じって受け取る方がいるし
たしかに「家」の「女」なので
家の所有物のような価値でしかないだろう
良くない!っていうのも
半分合ってるけれど半分は違うんじゃない?
って思わなくもないです。
国が違えば「嫁」に入ってしまったばかりに
自由が奪われ、家族の名誉を傷つけたと
顔に硫酸をかけられる、
そういうところもあるので
そういった立場の嫁さんは
ほぼ奴隷と言って過言ではないように感じます。
が、翻って日本ではどうだったのでしょうか。
たしかに古い習慣の日本では家父長制なので
家の主人以外は奴隷のようなもので
その中でも嫁の立場が低かった。
というようなことは言えると思います。
けれども嫁は子供を産んで母になり、
母は伴侶となる夫よりも権利が強かったりもした
そういう側面があったと思うんですね。
「母ちゃんに聞いてみねぇとわかんねぇ」
っていうような表現の落語もいっぱいありますし。
なのでやっぱり「奴隷」というには
あまりにも片手落ちな、
一方向の目線しかないように感じてしまいます。

同じような感じで、
子供も家のために自由を犠牲にし
一つの労働力として賄われてきた。
それは虐待であるっていうのも
う〜ん、時代の背景をあまりに無視し過ぎてないかな?
って思ってしまったりするのです。
現代では労働を頑張らなくても
水は水道をひねれば出てくるし、
掃除洗濯だってほぼスイッチ一つだし、
炊飯の類も道具を使えばかなり楽になっていて
労働力っていうのがどんどん小さくなっているので
そこから解放された人たちが
自由な時間を手に入れることができたし
未来の社会のためにも
子供を勉学に励ませる時間的余裕ができた
ってことなだけだと思うんです。
だから現代倫理としての
本来あるべき親の姿=育児をすること。
という意味でで親が義務を放棄して
子供が家事をしたりしていることについては
それは虐待だと言えるし、
家の奴隷だと言えると思うのですが
常に日本では子供は奴隷だった!
っていうには論がには
無茶苦茶過ぎるって思ってしまうのです。

そして、今紛争などで家や土地を失い
難民キャンプで家のために水を汲み
下の兄弟の世話をする子たちを捕まえて
「君たちは奴隷だ!」っていうのは
あまりに残酷なことだと思いませんか?
彼らは国や民族という単位として
人としての権利を奪われたけれど、
奴隷の身分とは違います。
(それよりもっと酷いとも言えますが…)
家族のために自分ができることをしている。
そして彼らは家族を互いに思い遣っている。
古来のあらゆる時代の子供たちも
決して家の奴隷ではなく
家族を思ってできることを
してきたってことなんじゃないでしょうか。
多少押し付けられているところはあると思うし、
時代とはいえ良いことではなかったのもわかるからこそ
現代までいろんな技術が改革し続けて
人を労働から解放しているんだと思います。

そんなことを考えていました。
さて、そろそろお仕事に戻らないとです。
今日明日の飯の種のためにも労働しないとね。
それではまた。モイモイ
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日記の更新が遅れてしまいますた

2024-05-27 | from:sachiaki
今日は朝に提出のラフを仕上げてから
いったん仮眠をして、
そこから4時間後には起床して
秋のイベントのための準備で
出展者さんに説明をするべく
訪問をしに行っていたsachiakiです。

ほんで帰宅してから本業をして、
息抜きのゲームをちょいとしつつ
また作業に戻って仮眠して…
ってことをダラダラとやっていたら
こんな時間になってしまっていましたとさ。

とりあえずまだやることあるので
今日はここまで。
めっちゃ短いけれど、
一応、1日に1回は更新を目指しているので
更新しにきたぞってことで。

それではまた!モイモイ
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マイナスな感情は置いてきて

2024-05-26 | from:sachiaki
ー毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである
ー殺したいやつがいるのでしばらくは目標のある人生である

どちらも短歌ブームを盛り上げた枡野浩一さんの歌なんですけれど、
言葉というものも制約のある中で練り上げられたものには
ものすごい力が宿っているな〜なんて感じるsachiakiです。

欲しい連絡や会いたい人とはなかなか接点がなくて
ど〜でも良いものの方が世の中には多くて
この世の理を色々と考えてしまいます。
目的のものになかなか辿り着けない時
やる気は削がれていくし、
だんだんとマイナスのイメージへと結びつき
それが被害妄想となって自分を苦しめたりします。
そういう時っていうのは
気分転換というか、
視野が狭まっているのを広げる工夫をしないと
どんどんドン詰まっていくものだと思います。
仕事をしたくても気分がそぞろ……となれば
ミスも増えてより気分が落ち込んでしまいますからね。
好きな映画を見たり、
好きな音楽を聴いたり、
ショッピングに出かけたりするのもいいかもね。
あとは体を動かすこと。
頭を使いすぎてしまっている自覚があるなら
散歩なんか良いんじゃないでしょうか。
今の季節、日差しはたしかに暑いけれど
風は涼やかですから運動には向いていると思います。

私もこの5月はほとんど家から出ていないので
むしろ家を出た方がいいなって思ったりします。
普段は海派なんだけど、山でもいいかなぁ。
フリー切符を手に、色々と見てまわるのもあり。

私たち人類のバグなのか
マイナスに感情が偏った時に限って
マイナスな方に引き寄せてしまう行動をとりがちだけど、
マイナスの感情の時に無理にプラスの行動をする必要はないけれど、
それでもマイナスの連鎖は断ち切っておかないと
底のないマイナスの沼にハマッてしまいますからね。

とはいえ、希望なのかなんなのか。
物事は塞翁が馬ってやつで
マイナスの波もいつかはプラスの波に変わるので
ジックリ構えるのでもいいんだけど。
いわゆる我慢の時ってやつですね。
でも短期的なマイナスの感情であるのなら
それは解消しておいた方が良いと思われます。
解消というか、飲まれない方が良いって感じかな。
なんでもかんでも性急に答えを出すのではなく
ドッシリ構えるためにも
浮き輪を使って救助を待つってのは大事なことです。
ではその浮き輪とはなんなのか。
それが先ほど書いたような気分転換とかの類なんだと思います。
”良くはないけれど悪くもない”
この状態に持っていくための手段として
うまく活用していけたらと思います。

そんな感じ!
今夜の読書会のために本を読むのでこの辺にて。モイモイ
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この世はエゴとエゴのぶつかり合い

2024-05-25 | from:sachiaki
さっき自転車を漕ぎながら
街中にいる人の服装が軽くなってきたのを確認し、
そういや先日シースルーの服で
下になにも身につけていない外国の観光客が
道を歩いていたなぁなんてことを思い出し
公序良俗ってなんだろう?って考えてたsachiakiです。

一般的に、人に不快感を与えないように
そしてその国の習慣をもとに時と場所を考えて
身に着けるものを考えるってことが
マナーというものだと思うんですね。
で、その不快なものというものに
下品で粗野であり、その場にそぐわないと
されるものが「良俗」から外れたものとされて
その格好をしているものにアウトですよ!って
いうものがルールだと認識しています。
例えば下半身を露出していて
性的に不快感を与えるということが
悪俗とか不健全ってことになるのだろうと。
だからたくさんの人が往来する場所で
性器を丸出しするようなかっこう、
またそれに準じるようなかっこうは
良くないものとして取り締まられるよーと。
例え人類の乳首が性器(交配のための生殖器)ではなくても
性を想起させ人々を混乱させるものである限り
一般的な公の場では隠さないとならないと私は思っています。
「性器ではない、いやらしいと感じる方が悪い」と
一部の人はそういうけれど、
それはエゴでしかないわけですよね。
そしてそれを見たくないっていうのも
同様にエゴであるとも思います。

でも全てのものっていうのはエゴを内包していて
そのエゴをどの範囲まで認めるか
というのをマジョリティ(多数の層)のもので決めるか
権威のあるもおのが決めるのか
多様性といってすべてをうやむやにするのか
そういったことなんだと思います。

便利ワードなので使ってしまうけれど
多様性だってエゴが細分化されていて
たくさんあって決めつけないってだけなので
やっぱりどこかで譲り合ったりしているんじゃないかな。
自分の持っている意見が依拠する正当性なんて
状況によっていかようにも変わるだけに
エゴであるという認識をどのぐらい持ち得ているかによって
人に対しての許容量とかが変わってくるようにも思います。

大多数の人が認めるはずの
「殺してはいけない」だって
状況次第では変わるのですから。
そんなものなのですよ。

水が川上に流れていく時もあるし、
低い温度で沸騰する液体もあるし、
常識なんてものは驚くほど脆い。
その脆さを抱き止めて
自分はこの道を進む、そしてそれは自分が選んだものだと
自責を持っていれば良いだけのことなのでしょう。

そんなことを考えてました。
さて、今日はスプラのクマフェスです!
頭を切り替えて楽しんできまっす!モイモイ

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突き抜けて変人と思われていたみたい

2024-05-24 | from:sachiaki
昨日はWebラジオの収録だったんですけれど、
その時の雑談で血液型の話が出てきて
「おおらかだからO型だと思ってました」
って言われて、あら、そういう見え方するの?
ってなったsachiakiです。

わりと大人になるまではA型そのものの性質が出ていたのか
A型のイメージとブレがなかったようなんだけど、
ここ数年はO型と言われることがちょいちょいあったので
(まぁ血液型の話をすることが稀だけどw)
改めてFacebook上で聞いてみたところ
意外なぐらいにA型を当ててくれる人がいなくて
マジか!ってなってきました。
まぁ血液型のイメージなんてそのぐらいの精度しかない
ってことなんですけれど、
「おおらかなイメージ」っていうのが
何人かから出ていたので、おお?それはどうして?
って思っていたんだけど、
TLに出す投稿で怒っているように感じさせるものは
極力避けているってのもあるし、
たーのしー!っていうものばかりをアップしていれば
「おおらか」っていうイメージは作り出せるのやな、と。
タイトルにも書いた「突き抜けて変人」という
イメージを教えてくれた人は
なにを見てそう感じてくれたんだろうか……。
まともな大人ならやならい遊びばかりを
そこそこやってきたので
そのイメージが定着しているのかもしれないです。

そうそう、変な話なんだけど、個性的な人っていうのに
憧れをすごく持っているので
B型ってなんかカッコいいよねって
私は思っているんですけれど、
一般的にはB型って面倒くさがれることが多いな
っていうのも話をしていて気づいたことの一つです。
私は周りにB型の人が多いので
あんまり面倒臭いって感じたことないんだけど
不思議なイメージを持たれてるものですよね。

A型が几帳面だっていうイメージも不思議だけど、
私の中ではB型の人たちの方が
けっこう几帳面というか繊細なんだけど、
人間って人間のことを適当に分類してるよね😆

そんなことを思ったのでした。
さて、今日はお絵描き。
頑張ってきます〜。モイモイ。
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一人喋りは苦手だよ

2024-05-23 | from:sachiaki
今日はWebラジオの収録で
2本録りをしてきたsachiakiです。

アシスタントとしてMCの受けをするために
スタッフとして関わっているのですが
今回収録してきたものは
一本はお馴染みのアシスタントのみでしたが
一本は初めて一人喋りをしたんですよ。
正確にはstand.fmで一人喋りしてたこともあるから
初めての一人喋りではないけれど、
それでも10分以上喋るってことはなかったので
マジで参ったなぁってなってきました🤣

根本的に私は喋るってスキルは低いと思っていて
文章でさえ起承転結をつけて書いてないのに
喋りで起承転結つけるなんて
ムリムリのムリだよ〜〜〜って。
のらりくらりとでしか書いてこなかったことの
ツケがまわってきてるんじゃない?
って思ったりもするんだけど
いやはや厳しいですな。

とくに文章とは違って「喋る」ってのは
情報量が多いじゃないですか。
声、音量、呼吸、テンポにタイミング。
これらをコントロールできてなくちゃいけない。
もともと私は一人でダーッと喋るタイプじゃなくて
あくまでも誰かが喋っているのを
リードしたり助け舟を出したりといったもので
コミュニケーションを取っているので
自分にだけ視線が注がれている中で喋るっていうのは
ほとんどしたことがないんです。
というわけで、メモ書きは持っていったものの
やっぱり喋るのは難しくって
しどろもどろになったところがちょいちょいあって
お聞き苦しいだろうなぁ
嫌だなぁって気持ちになってきました😆💦

喋りも慣れなのかもだけど
とりあえず初回の収録は
あまりにも拙い一人喋りなので
誰にも聞かれたくないなぁって気持ちと
でもせっかく録ったのだから
聞いて欲しいなって気持ちと
揺れに揺れているところです🤣

スピーチの構成方法を研究して
少しでもマシになるように頑張ってみます。
とりあえずしばらくは一人喋りしないで済むはずなので
それまでに多少はよくなるように
どこかでテストでもしますかね……。

stand.fmのアカウントが生きているようなら
再ログインして作ってみましょうかね。

なんでもそうだけど「苦手」といって
逃げてるばかりではなんもならないし。
苦手を少しでも克服して
より良いものにできればグッドだものね。

生き延びるためにも苦手を減らしていきましょう。
それではまた。モイモイ!
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バタバタDAY

2024-05-22 | from:sachiaki
久しぶりにフルメイクというか
写真用(舞台用?)メイクをゴリゴリにしたので
顔が重たかったsachiakiです。

オンラインに次ぐオンラインで
時間がまったくといってもない中で
無理やり時間作ってフルメイクして写真撮って
これから画像加工をしようとしています。

明日はWebラジオの収録があるので
それ用の台本(一人喋りすることになったので)も
作らないとならないし、オワーって感じです🤣

まぁそれだけ充実した日だったということでしょう。

それにしてもメイクをするまでは
もうなー…今更写真撮るとかなー…とか
自分の中でテンションが上がらなかったんですけれど、
いざメイクを始めてみると
どんどんテンションが上がっていくのよね。
さすがメイクの力!ってなりました😆
戦闘時に戦闘力アップの高揚感をつけるために
メイクをしていた時代もあるぐらいだから
メイクっていうものの力は相当なものがあるのでしょう。

というわけですので、
これから画像を加工していかないとなのでこの辺にて。
超遅い時間のアップな上に短いってのもアレだけど
また明日!モイ
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