みんな悩みは同じなんだろうけれど、
自分にはなにがあるのか?を問うことは多いわけで、
だからこそ診断や占いが流行るわけなんですけれど、
自分にはコレしかないって進んできたのに
結局悩み続けるっていうのが常なのがシンドイですよね。
オタキングの4タイプ診断をやりながら
やっぱりどこにも分類できず、
結局一つだけ別の答えにしてくれっていう
指示が出てきたので「まぁこれかな?」と
答えをいじった結果が「法則型」で
あぁちょっとわかるってなってきたsachiakiです。
人と意見がぶつかったりした時や
ケンカになりそうになった時でも
その原因がなんなのか分析さえできれば
とくになにかを追求しようとか
恨み言を言ったり感情的になったりしないので
おそらくそうなんだろうって思ってました。
まだ思春期の時とか自分が意見をしたら
「空気を読んでくれ!」って言われることだったり
「言い過ぎ」って言われることが多かったのも
まぁ納得というかね。
事実を言っただけなのになーって当時は思っていたし、
今は言われたくないこともあるだろうなぁという
なにかを察知することができるようになったけれど、
論に穴があると突きたくなってしまったり、
でもそれを言って面倒臭いことになるなら言わないとか
そういうローカロリーな感じもぽいなってなってました。
とはいえ、中央分布図に近いってことは
全ての要素が合わさっていてて、
自分を見失いがちだってことだから
そりゃ悩みも深いわな〜と。
で、別のnoteを拝読した時に
この中央値に近い人は多才になりがちで
その柔軟さが持ち味なだけに悩みやすいとあって
悩みを抱え続けられることこそが才能と書かれて
そういやそんなことを自分のブログでも
何度も書いてるな〜なんて思ったりしていました。
そも、たった一つの信念に基づいて行動している
「理想型」とか、なにかに振り切れている人に
憧れていること自体が「法則型」っぽいのよな。
ちなみに悩みを抱え続けられることが才能っていうのは
※ネガティブケイパビリティというもので
ほんの少し注目されましたよね。
物事っていうのはあまりにもデコボコが多く
こちらが優れているからといって、
あちらが劣っているわけでもない、
だからこの領域においてこちらが正しくても
それはあちらにおいて正しいことではないのだ。
的なことを担保し続けて
その時に求められる態度などを変容させていく。
そういったものに強いっていうのは
まぁたしかに才能なのかもしれんね。
常になにか考える時に「仮に」ってしておける能力。
決断力はなく、頼りないかもしれないけれど、
こうであるならばこうなるはずだという仮定する能力。
誰かのために自分をほんの少し引っ込めることができる能力。
尖っていないぶん刺さりはしないけれど、
誰ともぶつかり合わないのは
それはそれで能力だから、
大いに悩み続けていきましょうってことで!
今日購入してきた「新人生論ノート/木田 元」
でも読んでいきますよ。
それではまた。モイモイ
※事実や理由を性急に求めず、不確実さや不思議さ、
懐疑の中にいられる能力/答えのない事態に耐える力
参考にしたnote https://note.com/shomakimura/n/ne4665a0d0b40