田口ランディさんの言葉らしいのだけど、
随分突き放した言葉のようで、すごく優しい言葉だなと思っているsachiakiです。
分かり合おうという努力は必要だけど、
どうしたって私以外はどんなに近しい人でも他人には違いなく、
同じものを見る機能があったとしても、人には認知のフィルターがあるため
全く同じようには感知出来ないのだそうだ。
ならば私たちは一人一人が意識を持った他人であり、
どんなに近しい人でも大切に扱わなくてはならない、ってことになる。
なぜ粗く扱ってはいけないかといえば、
その個体は一つで完成していて、他人の及ばないところで自身のストーリーを歩むのであり、
他人が同じ道を歩むのは不可能である限り、
その道を塞ぐのは他人の道に入ることであり、
お互いのストーリーを歩むことが出来なくなるからです。
二人で一つの道を歩めるような、そんな錯覚を起こすような蜜月はあったとしても
二人は別の人間で一つにはなれないのです。
ハエ男なんていう映画も昔はあったけれど、一つの体に二つの魂は宿せないのです。
なーんて、ちょっとポエミー過ぎな日記になっているかしら。
なんつーんすかね。
家族療法なるもののカウンセリングとかに行くとね、
思わず色々振り返ってしまうわけですよ。
だけど繰り返し口に出されることと言えば、
私と家族はどこまで近しい間柄であっても別の人間であるということを
徹底的に伝えられるわけです。
家族だから、夫婦だから、親子だから、兄弟だから、
だからこれぐらいは当然だ。
というのは通用しないし、依存にならない適度な距離感を口が酸っぱくなるほど聞かされ続けます。
親子は自身の身体の延長に感じるほど近しく感じるけれど、
まったくの他人であること。
互いの身体や精神の責任は自分自身にあること。
そう言ったことをガッチリと教わるのです。
人によってはそれがひどく冷たく感じることもあるようですが、
それは特別なことでもなんでもないのです。
もちろん、まったくの赤の他人のように関われ、というものではなく、
互いに別の人物であることを承知の上で、自分の責任の終える範疇で助けを出したりするのは可能です。
優しさというのはどこまでも相手の要求に応えることではなく、
出来る範囲で援助し、その人の為に時間を割き、相手を自立させることを言います。
相手の自立を促すのではなく、私がいなきゃダメだ。
なんて関係に持ち込むのは共依存と言ってお互い共倒れしてしまうので
最も良くない形の関係性となります。
まぁ、そういう歪な関係もまた一つの人間関係であるとは思いますが……。
私が割と突き放している関係を求めるタイプなので
カウンセラーさんにも「アドバイスする必要がない」と言われてしまいましたが、
もう少しウェットな関係を築いても良いのではなかろうか?
と思わなくもなく葛藤しましたw
そんなこんなですが、今日は知り合いが退院後二ヶ月ぶりに姿を見せるというので
元気な姿を確認しえこようと思います。
ではでは。モイ
下書きのままで投稿しそびれてました(-_-;)
随分突き放した言葉のようで、すごく優しい言葉だなと思っているsachiakiです。
分かり合おうという努力は必要だけど、
どうしたって私以外はどんなに近しい人でも他人には違いなく、
同じものを見る機能があったとしても、人には認知のフィルターがあるため
全く同じようには感知出来ないのだそうだ。
ならば私たちは一人一人が意識を持った他人であり、
どんなに近しい人でも大切に扱わなくてはならない、ってことになる。
なぜ粗く扱ってはいけないかといえば、
その個体は一つで完成していて、他人の及ばないところで自身のストーリーを歩むのであり、
他人が同じ道を歩むのは不可能である限り、
その道を塞ぐのは他人の道に入ることであり、
お互いのストーリーを歩むことが出来なくなるからです。
二人で一つの道を歩めるような、そんな錯覚を起こすような蜜月はあったとしても
二人は別の人間で一つにはなれないのです。
ハエ男なんていう映画も昔はあったけれど、一つの体に二つの魂は宿せないのです。
なーんて、ちょっとポエミー過ぎな日記になっているかしら。
なんつーんすかね。
家族療法なるもののカウンセリングとかに行くとね、
思わず色々振り返ってしまうわけですよ。
だけど繰り返し口に出されることと言えば、
私と家族はどこまで近しい間柄であっても別の人間であるということを
徹底的に伝えられるわけです。
家族だから、夫婦だから、親子だから、兄弟だから、
だからこれぐらいは当然だ。
というのは通用しないし、依存にならない適度な距離感を口が酸っぱくなるほど聞かされ続けます。
親子は自身の身体の延長に感じるほど近しく感じるけれど、
まったくの他人であること。
互いの身体や精神の責任は自分自身にあること。
そう言ったことをガッチリと教わるのです。
人によってはそれがひどく冷たく感じることもあるようですが、
それは特別なことでもなんでもないのです。
もちろん、まったくの赤の他人のように関われ、というものではなく、
互いに別の人物であることを承知の上で、自分の責任の終える範疇で助けを出したりするのは可能です。
優しさというのはどこまでも相手の要求に応えることではなく、
出来る範囲で援助し、その人の為に時間を割き、相手を自立させることを言います。
相手の自立を促すのではなく、私がいなきゃダメだ。
なんて関係に持ち込むのは共依存と言ってお互い共倒れしてしまうので
最も良くない形の関係性となります。
まぁ、そういう歪な関係もまた一つの人間関係であるとは思いますが……。
私が割と突き放している関係を求めるタイプなので
カウンセラーさんにも「アドバイスする必要がない」と言われてしまいましたが、
もう少しウェットな関係を築いても良いのではなかろうか?
と思わなくもなく葛藤しましたw
そんなこんなですが、今日は知り合いが退院後二ヶ月ぶりに姿を見せるというので
元気な姿を確認しえこようと思います。
ではでは。モイ
下書きのままで投稿しそびれてました(-_-;)