パンダ氏の付き添いで一回目と同じく
大手町にある大規模接種センターにお出かけしてきたsachiakiです。
東京都内の新型コロナ感染者数を見てみると
ピークアウトはしたのかな〜って感じですが
それでも変わらず日々1,000人超えで感染しているようなので
引き続きあまりお外にはでず、なるべく人流を作らないように
ってことを意識している今日この頃です。
まぁお出かけできるような資金がないっていうのが一番の理由ですけれど(゚∀゚)アヒャ
それにしてもこの2年近くが過ぎようとしている今
思うことといえば
多様性って言葉が大きく叫ばれるようになって
これほど実感することはないなぁ
なんてことが増えてきたってことですかね。
まず危機に対しての受け止め方が千差万別だってこと。
・命の危機であること
・経済的危機であること
・交友関係が狭められること
・移動の制限に関すること
その他
その上、その危機に対しての行動指針も千差万別で
・厳重にして家から出ることもしない
・必要最低限は出るが対策はする
・必要最低限は出るが対策はしない
・対策をして行きたいところへ行く
・対策もしないししたいことをする
その他
日本という国の良さは国家に制限をかけられにくいってことなんだけれども
制限をかけられないからこそ、その人となりの行動の仕方は大きく異なっていて
統一民族だのなんだのっていう人が多くいるものの
やっぱりひとくくりにはしにくいんじゃないか
なんてことを思ったりしているところです。
ワクチン接種に関しても、その不安の感じ方が人それぞれで
怖いものは仕方ないものね〜…って思ったり。
そんなこんなですけれども
私のところはパンダと私が基本的な恐怖と対応への対策意識が近く
擦り合せる必要がないから楽だなぁと感じています。
けっこう家族の中でこの指針にギャップが激しいと
相当なストレスになるみたいで、
このコロナ禍で家庭の危機も増えたって聞くしねぇ。
基本的に家族っていうのは自分と近い考え方をしているものですが
それでもギャップはうまれるわけで、
身近な人が自分とあまりにかけ離れていると
それだけで不安が大きくなったりしますものねぇ。
いくら身近な人でも自分以外は他人であるっていう
そういう線引きをうまくできないと苦しいかもしれないです。
とりあえずそういった話はさておいて。
大規模接種センターは自分の一回目も含めると
今回は3回目ともなるので、なんだか馴染みの場所になった感じがしました。
どこへ向かえば良いのか、どんなことを聞かれるのか、
そういったことが分かっているのは
やはり一つの安心材料になりますわね。
初回の時から思っていたことだけれども
「寄生獣」の寄生されている人間を見分けるシステムとして
大型バスの間を歩かせるってものがあったけれど
あれをやはり思い出してしまいます。
選別のうまさ、選別後の処理、そのシステマチックで合理的なスムーズさ。
パンダ氏はさらにホロコーストのことを想起させられたみたいです。
人が無差別に収集され、そこから性別、年齢、健康であるかどうか
そういったことがこちらの分からないうちに選別されて
システマチックに先導されていく。
その先が安全であるのと、死との境っていうのは
あまりに曖昧で、選ばれている側からはコントロールができないので
システムというものの強みと怖さを同時に感じるのでした。
こんなことを書くと恐ろしい!って気持ちにさせちゃいますかね……。
実際はこの合理性のおかげでほとんど待つこともなく
とてもスムーズにコトが運んでいくので
会場入りしてから30分程度で解放されるので
このシステムを考案した人に功労賞をあげたいって気持ちです。
そういや別の人はコミケの待機列整理に似てるって言ってましたな。
ワクチン接種の予約センターもチケットぴあ形式になり
いろんなところの経験が集約されていて
なんだかんだで優秀だよなぁって感じることしきりです。
とはいえ、これがこの災禍が始まって1年程度のことならわかるけれど
もう2年ってところにドン臭さを感じるのも事実ですけれど。
様々なことを思いながらの月末。
来週は私が2回目の接種なのでどうなることやらです。
今のところパンダ氏は大きな副反応がないので安心しきっていますが
接種後12時間を過ぎたあたりからジワジワと出るようなので
引き続き警戒しながら様子見しようと思います。
そんじゃ今日はこの辺にて。モイモイ。
大手町にある大規模接種センターにお出かけしてきたsachiakiです。
東京都内の新型コロナ感染者数を見てみると
ピークアウトはしたのかな〜って感じですが
それでも変わらず日々1,000人超えで感染しているようなので
引き続きあまりお外にはでず、なるべく人流を作らないように
ってことを意識している今日この頃です。
まぁお出かけできるような資金がないっていうのが一番の理由ですけれど(゚∀゚)アヒャ
それにしてもこの2年近くが過ぎようとしている今
思うことといえば
多様性って言葉が大きく叫ばれるようになって
これほど実感することはないなぁ
なんてことが増えてきたってことですかね。
まず危機に対しての受け止め方が千差万別だってこと。
・命の危機であること
・経済的危機であること
・交友関係が狭められること
・移動の制限に関すること
その他
その上、その危機に対しての行動指針も千差万別で
・厳重にして家から出ることもしない
・必要最低限は出るが対策はする
・必要最低限は出るが対策はしない
・対策をして行きたいところへ行く
・対策もしないししたいことをする
その他
日本という国の良さは国家に制限をかけられにくいってことなんだけれども
制限をかけられないからこそ、その人となりの行動の仕方は大きく異なっていて
統一民族だのなんだのっていう人が多くいるものの
やっぱりひとくくりにはしにくいんじゃないか
なんてことを思ったりしているところです。
ワクチン接種に関しても、その不安の感じ方が人それぞれで
怖いものは仕方ないものね〜…って思ったり。
そんなこんなですけれども
私のところはパンダと私が基本的な恐怖と対応への対策意識が近く
擦り合せる必要がないから楽だなぁと感じています。
けっこう家族の中でこの指針にギャップが激しいと
相当なストレスになるみたいで、
このコロナ禍で家庭の危機も増えたって聞くしねぇ。
基本的に家族っていうのは自分と近い考え方をしているものですが
それでもギャップはうまれるわけで、
身近な人が自分とあまりにかけ離れていると
それだけで不安が大きくなったりしますものねぇ。
いくら身近な人でも自分以外は他人であるっていう
そういう線引きをうまくできないと苦しいかもしれないです。
とりあえずそういった話はさておいて。
大規模接種センターは自分の一回目も含めると
今回は3回目ともなるので、なんだか馴染みの場所になった感じがしました。
どこへ向かえば良いのか、どんなことを聞かれるのか、
そういったことが分かっているのは
やはり一つの安心材料になりますわね。
初回の時から思っていたことだけれども
「寄生獣」の寄生されている人間を見分けるシステムとして
大型バスの間を歩かせるってものがあったけれど
あれをやはり思い出してしまいます。
選別のうまさ、選別後の処理、そのシステマチックで合理的なスムーズさ。
パンダ氏はさらにホロコーストのことを想起させられたみたいです。
人が無差別に収集され、そこから性別、年齢、健康であるかどうか
そういったことがこちらの分からないうちに選別されて
システマチックに先導されていく。
その先が安全であるのと、死との境っていうのは
あまりに曖昧で、選ばれている側からはコントロールができないので
システムというものの強みと怖さを同時に感じるのでした。
こんなことを書くと恐ろしい!って気持ちにさせちゃいますかね……。
実際はこの合理性のおかげでほとんど待つこともなく
とてもスムーズにコトが運んでいくので
会場入りしてから30分程度で解放されるので
このシステムを考案した人に功労賞をあげたいって気持ちです。
そういや別の人はコミケの待機列整理に似てるって言ってましたな。
ワクチン接種の予約センターもチケットぴあ形式になり
いろんなところの経験が集約されていて
なんだかんだで優秀だよなぁって感じることしきりです。
とはいえ、これがこの災禍が始まって1年程度のことならわかるけれど
もう2年ってところにドン臭さを感じるのも事実ですけれど。
様々なことを思いながらの月末。
来週は私が2回目の接種なのでどうなることやらです。
今のところパンダ氏は大きな副反応がないので安心しきっていますが
接種後12時間を過ぎたあたりからジワジワと出るようなので
引き続き警戒しながら様子見しようと思います。
そんじゃ今日はこの辺にて。モイモイ。