あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

大晦日だよ!全員解散!

2021-12-31 | from:sachiaki
12/30に恵比寿のビアステーションが閉館すると聞いて
滑り込みで飲みに行っていたsachiakiです。

帰りにはビアジョッキを持ち帰れるとあったので
思わず2つもらってきてしまいました。

高校時代からのツレである あもさんならご存知の話だけど
私がバイトしていたビアレストランこと「ビアホーフ 麦酒館」は
私が高校3年生の夏だか夏休み明けだかあたりに
友人がカーカキンキンカーキンキン♪で有名な
バイト募集雑誌から見つけてきたものを一緒に受けて
私だけ受かってしまうというアレな体験をした場所でもあります。

ずっとあるものだと思っていたものが姿を消していくものは
なんとも寂しいものがありますね。

初めてUAやROUND TABLEのCDをみつけた
恵比寿のTSUTAYAがなくなったのを皮切りに
バイト前に食べるのが楽しみだったサンジェルマンがなくなり、
恵比寿がキラキラしていた時代の象徴のような三越が閉館し、
とうとうビアステーションも閉館……。
いわゆる私が青春と呼ぶ時代をともにした場所が
なくなってしまうんだなぁと思ったら
いてもたってもいられなくなり駆け込みで飲みに行ってきました。
ビールは得意じゃないけれど、ここで覚えた恵比寿ビールと
こちらで扱っていたピルスナーやペールエール
海外もので定番なハートランドやギネスタウトなどは
味がドシーンと主張するので量が飲めない私としては
ぬるくなっても美味しいこれらのビールが今も大好きです。
女の人にはカシスビールもよく勧めたなぁ。

さすがに足を運ばなくなって20年近く経っているので
メニューなんかも変わっているかもなぁ
なんて思っていたのに、ド定番のメニューは今日まで現役で
あぁ、まだあったんだ…!って思わず感激してしまいました。
2時間制という時間の配分がちょうど良かったので
飲んだあと、新しくできていたブルーシールアイスのスタンドで
このクソ寒い中アイスを食べ、
ひゃー冷えたぁ!!ってなった体を温めるために
私のパワースポット!って、落ち込んだ時に散歩していた
ルートを歩いてみました。
当時と変わったところもあれば変わらなかったところもあり、
これはこれで良いもんだなぁってなってきました。

さて、とうとう今年もあと24時間を切り
残すところ20時間とちょっととなりました。
良い新年を迎えるべく、悔いのない大晦日をお過ごしくださいませ。

それではまた新年に!!解散!!
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死兆星持ちみたいなもんなのよ(厨二)

2021-12-30 | from:sachiaki
私は自分のことをムーミン谷に出てくる冬の魔物モランみたいだなーって
しょっちゅう思っているsachiakiです。

なんていうか、私に引き寄せられている時っていうのは
たぶん心とかなんかが疲れている時でマトモじゃない時だと思うんです。
だからこそ自分の仲間内や知り合いで上昇気流に乗ったなぁと感じた時は
同じように等距離で合わせられれば良いんだけど、
自分の実力不足では足を引っ張ってしまうので
「いってらっしゃい」って気持ちでそこから一緒に歩むというよりは
同じ場所にいるけれど、もう帰ってくるんじゃないぞ
って気持ちで見送っているところがあります。
※また案の定知り合いが二人も死んだのでナーバスになってる。

なので、私が素敵だなぁって思う人には近づかないようにしているし、
うっかり近いてしまった時にはヒャーって逃げてしまったり。

私が上を目指せない理由がこれだけでもわかるってもんですが、
とにもかくにも、一緒に沈むなんてことはさせたくないので
今年も何人かが上昇気流に乗っていったけれど
その人たちとは知り合いではあったけれど、
これからその人の周りにはたくさんの知り合いができるのだから、
自分はそのうちの小さな一人という自覚を持って、
他人であることをしっかりと肝に銘じておこうって思うわけです。

その人がまた近づいてくれた時は
お疲れ様って声をかけるし、一緒に遊んだりもするけれど、
また早く私のことなど忘れてもっと華やかなところへ帰りなよ
って気持ちでいたり。

昔の友達には
「いつも人がいなくなっていくっていうけれど、
 自分から離れていっている自覚は持ってね」
って、言われてたけれど、今ならハッキリとわかる。
私は私の意志で離れようとしているし、
寂しいって言っているのが心地よいんだなーと。
そもそもリプライとかも基本しないし
(距離感バカだからちょうど良いリプがわからなくって
 書き直しして書き直しして送らないっていうのがしょっちゅうある)
個人メッセージとかも時間が取られるから
連絡もの以外はあまり好きじゃないからなー。
男の人のコミュニケーションって連絡以外はしないってあるけれど
あれがちょうど良い感じ。
でもなぜか「育てていた花が咲きました」とか
「今日行ってきた植物園でこんな虫がいました」とかのDMは
ニコニコしながら返したりしてる。
子供同士のやりとりかw

私も肩を並べて華やかなところへ行けるぐらい力があれば
こんなことを思わずにいられたのかもしれないけれど、
肩を並べられる頃には他の人たちはこの世にいないのかもしれない。
人よりも頭も行動も遅いんだから一歩一歩着実に。
往生際が悪い性分だから、
乗り越えてはいけなくても辿り着ければいいのさ。
少なくとも出会う全てを美しく感じる間はずっと。

そんな感傷に浸っていたら後輩から
「ねーさん!!秋田書店ブース勝てました!!」というお知らせが。
お願いした3つのアイテムのうち一つがゲットできたみたいです@冬コミ
ありがてぇありがてぇ。
こんな私でも慕ってくれる人がいるうちは
アホなこと言ってる場合ではないかもね。

それしてもジョン(吸血鬼すぐ死ぬ)は可愛いなぁ……。
またポップアップショップも色々あるみたいだから
ジョンを探す旅でもしてこようっと。

気分の変化が激しいことに関しては定評があります。

そんじゃまた。モイモイ。
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今年最後のおしめりタイム

2021-12-29 | from:sachiaki
本日ちょっとした知人が亡くなったというお知らせをいただいたので
お通夜のために高津区までおでかけしてきたsachiakiです。

お店が終わってからでかけたので、式場に着いたのは
閉式の15分前だったのですけれど
それでも会場にはたくさんの方が歓談をされていて、
とてもお通夜の会場とは思えないほど和やかな雰囲気で、
なによりも驚いたのが、
普通、棺が祭壇の前に横向きに安置されていて
顔だけ見られる…みたいな感じになっているし
厳か〜〜〜〜〜って雰囲気が立ち込めているものなのに
その人の祭壇は、祭壇こそお花でゴージャスに飾り立てられ
元気だった頃の遺影が飾られていて(それもかなりロックな出で立ちでした)
いるところまでは同じなのですが、
棺が横付けされているのではなく、
ホールの前方真ん中に縦に置かれていて(立っているんじゃないよ)
入室した人が祭壇に足を運ぶと、自然と棺の横を通る形となり
安置されているご本人と対面できる形になっておりました。

死装束もそれっぽいものではなく、
たしかに白っぽいものを着ていたように思いますが、
胸ものにはその人が生前携わっていたお店のオリジナルTシャツがかぶせてあり、
Tシャツの上側には「やったるぞー!」だったかな…
という生前その人がよく口にしている言葉がマジックペンで書かれていました。
型破りにもほどがあるだろう……と思ったけれど
そういう型破りな葬儀を許してくれたご親族もすごいし
その人らしさを継いだ葬儀を取り持ってくれた周囲の人たちもすごい。
故人は精力的な人だなぁと思っていたけれど、
様々な人たちと繋がって、多大な影響を与えて来られたのだろうな〜と思いました。

人の真価は死んでから決まると聞きますが、
本当にそうなんだろうなって感じる一日となりました。

お店もどうするのかな?と思っていたら
これからも人と人を繋ぐ場であることが故人の望みだと思うから
引き継いでいきますとのお話でした。

自分はどうなんだろう?
いなくなったら泣いてくれそうな人は5人ぐらい思いつくけれど(主に家族)
たぶん影響はないし、誰かが意志を継いでくれるってこともなさそう。
そもそも「意志」をちゃんと示してないしなぁ。
とか、そんなことをつらつらと考えながら帰宅しました。

さて本年もあと二日。
大事に過ごしていきましょう!
そんじゃまた。モイモイ。

追記:
お通夜行ってきた〜ってこの日記を書き上げてから
Facebookを見に行ったら、やっぱり対して絡んでいたわけではないけれど、
すごく立派な活動をされていた知人が26日に亡くなったとあり、
あぁ…と声にならない声を上げてしまいました。
年末は…年の節目は本当に多いですね。
こちらの方は希少難病の当事者さんで最後の1年は
がんのステージ4になってしまったとのことで
余命が半年という投稿を見ていただけに
余命の猶予は多少あったとはいえ、
やっぱり厳しいのだな……とため息です。
希少難病と呼ばれるものの種類がとても多岐にわたること、
それが保険に適用されるように国の「難病」指定を受けるのが
とても大変だっていうこと、そういった話を悲壮感なく
困難があるからこそ生きがいがある!と言わんばかりに
精力的に希少難病をたくさんの方に知ってもらうための活動をされていて
昨年はお子さんも生まれたばかりで
人の一生……って気持ちになりました。
私の残りの寿命を1/3でもあげたかったわ。

とはいえ、残された側はもらったバトンのようなものを受け取って
粛々と生きていかなくてはならないもんだし、
こういった活動もあったのだとせめてリンクを貼っておきますかね。
▶︎希少難病ネットつながる

思い出してしまった言葉もセットにぺたり。

人を残す人生こそが上なり
金を残す人生は下、事業を残す人生は中、人を残す人生こそが上なり。
                          ー後藤新平

私はなにを残せるんだろうか。
残さなくても良いんだけど、せめて詩のようなもの、
絵画のようなもの、だれかの心を慰めるような
そんなものが残せたらいいなぁ。
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言葉がうまく出てこない

2021-12-29 | from:sachiaki
言葉がうまく出てこない。
そんなことはよくあることなんだけど、
あちらを立たせばこちらが立たず……的なもので、
全方位に気を使っても言葉足らずであったり、
気づかなかった差別心に繋がっていたりして。
古の言葉の通り、「雄弁は銀、沈黙は金」なのかもしれないな
なんてことを思っていたsachiakiです。

このことについては、ロバと老人夫婦のイラストが有名なのでご覧くださいな。



どんなことにも批判する人はいる。
ちなみに「批判」というと、私などは否定の意味が強いと感じておりましたが、
もともとの批判とは、比べて判じるなので
良いことも悪いことも含む話で
嫌味を言うために使うものではないんですよね。

何が言いたいのかというと特にないのですが
こちらの日記以外ではあまり自分の言葉を使えなくなってしまったなぁと
ボンヤリしていただです。

哲学対話に初めて参加した時に
哲学科の先先に「自分の言葉で語りなさい」
「引用はしても良いけれど、それについて自分はどう思ったのかを入れてください」と言われ、
もともと頭が悪い分暗記が出来ないから
自分の言葉でしか紡げないタチなんですけれど、
そのことについて忘れることができるのも
それを自分の言葉に出来ることも大切なことですよ、と励ましてもらい
これからも沢山のことをインプットして血肉にしていこうと思ったのでした。

だからまぁ、遠慮せず日記以外でも書けば良いのかもだけどねー。
SNSこわいわー。(まんじゅうこわい)

さて、そろそろ夜学開けに行ってきます。
そんじゃまたねー。モイモイ。
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奥域のある絵が好きみたい

2021-12-28 | from:sachiaki
ここ数日ずっとPinterestを見ているって話を書いたと思いますが
一日のうちの半分はPinterestを見ているんじゃないか?
ってぐらいずっと画像を掘り続けているsachiakiです。

好きな「建物&場所」というフォルダのようなものを作っていて
そちらにどんどんイイ!って思ったものをぶっこんでいるんですけれど、
まー、最初は中国の重慶の写真ばかりが集まっていて
なんていうか、スチームパンク系の人が好きそうな
ネオンサインとやたらとごちゃごちゃした建物と
古い木造建屋とビルディングが同居している
画面の中にある情報量が多い!!!!ってところが
めちゃくちゃそそられるわけです。

重慶といえば三国志が好きな人間だとピンとくる
蜀と呉のゆかりの地でもあります。
蜀は四川のあたりだからけっこう寒い地方なのかな。
そして張飛の首塚のあるところでもあるそうで
私は三国志の中では張飛と呂布が好きなぶん
気になるわーいってなっています。
あー、でも四川料理の辛さはシャレにならないので
遊びにいって食べられるものがあるのか不安でもあるな……。
三国志とは関係ないけれど、
横浜の中華街にある「重慶飯店」は
横浜出身のパンダ家と横浜中華街大好きのsachi家が
家族顔合わせをした場所でもあるので
個人的に「重慶」って言葉はちょっと反応してしまう。

あぁ、あとは重慶じゃなくって
大連の日本人街とロシア人街も気になるんだよね。
ロシアの町並みを感じたいなら、大連行くよりも
もっと近くにあるウラジオストックに行けよって気もするけどね。

ともかく、いろんな建造物が好きだけど
最近のスタイリッシュなものよりも
無理やり増築していった人間の生活力が溢れ出ているものに惹かれます。
だって厨二を患ったことがある人なら
絶対に九龍城が好きだったでしょう?
今は取り壊されてしまって跡地は公園になっているみたいですが
周縁にあるクソデカマンションや、
ボロボロの古い町並みも残っているので
うかうかと歩いているとあぶない気はするけれど
室外機が建物の壁にビッシリしている感じとかも含めて
良い感じだなぁ、歩いてみたいなぁってなりますな。

なんにしてもそういったごちゃごちゃとした奥域のある絵が
好きだってことがわかったので
そのうちクソ面倒くさい〜〜〜って言いながら
なんか描き始めるかもしれません。
いや、わからんけど。
ていうか、絵なんて専門学校入学時に
自分よりもずっとずっと上の人がいるっていう絶望感でいっぱいになって
それでデザインやら写真の調整の方に進んだのに
今更やって報われるわけないんだからヤメロヤメロって
脳内で聞こえてくるんですけどね〜。
でもなんか描いてみたいかもって気持ちにもなっているので
拙いものが上がってきたら、
それはそれで笑って見てやってください。

さて、うっかり深夜に日記を開いてしまったので変な時間となりましたが
そろそろ寝ることといたします。
そんんじゃまた。モイモイ。
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無色透明だって大事だよ

2021-12-27 | from:sachiaki
セルフプロデュースがうまくない。
っていうのはずっとネックだったりするんですけれど
心の根底を覗くと「出る杭」になりたくない。
っていうのが大きくって、
なにかを成し遂げるためのリスクを取れるような勇気が私にはない
ってことなだけなんですよね。
とにかくチキンなsachiakiです。

一点突破できるほど強い個性でもあれば違ったのでしょうけどね〜。
所詮地味な一般人がどうやって生き延びるかといえば
コツコツと地道に、目の前の問題を対処していくしかないわな。

名刺を配り歩くにしても、コロコロコロちゃんの現状を考えると
あんまり人の多いところには行きたくないしなぁ……。
まぁでもそのぐらいのリスクは負うべきか。
ふむ。

名刺を渡すのもそんなに得意じゃないんよなぁ。
営業が下手くそ過ぎるんだよね。
人がいるところに遊びに行くのは好きなんだけど
わざわざ自分を印象付けてきたり、
その場にいる人たちと繋がってこようとはあまりしないというか。
繋がったとしても基本自分からなにかをメッセージしたり
そういったことはしないから
結局縁を細らせるだけだったりして。

その代わり、群れるのが苦手な人とは長〜〜〜〜く付き合えるので
他の人たちから不思議がられたりする。
結局のところ似た者同士っていうやつで
私も群れるのが苦手だからこそ
群れるのが苦手な人と仲良くできてるってだけなんだけど、
ウェイな人たちとは振る舞いが違うってだけなんだよな〜とかなんとか。

距離感が遠くないと仲良くできない人たちとだけ仲良くなれる。
ハリネズミのアイコンを使っているだけありますね。私。
※実際のハリネズミはお互い寄り添ったりキャッキャしたりもする。

ともかく口に災いを持っているタイプなので
できるだけ人と近づきたくないし、
うっかりしたことを言わないように気をつけないと
って思ってる感じです。

どんな人もうっかり口が滑ってそれが元で大変なことになるには違いなんだけど
私の場合、麻生太郎さんのことを笑えないぐらい
アカン!っていうのをたま〜にやらかすので
徳を積んで滑ったところで大したことがないって風にしとかないと
マジでやばいのです。
思えば中学時代はもろにその口が災いしていた典型だったし
どんだけ考えて傷つけないようにって選んだ言葉でも
そもそもそれが傲慢な仕草であったりで本当に骨が折れました。
今はパターナリズムだとか過干渉だとか
そういったものを学んだので、多少はそういったトラブルは減ったものの
それでもどこかにある上から目線であったりがヒョコッと顔を出すので
やっちまった!と気付いた時にはすぐに引っ込めるようにしています。
基本的に求められない限りは意見しない。
それが一番の安全策だと思っているし、
アドバイスを結果的に求めてくる人だったとしても
その人が求めてくるタイミングまで待つのが理性だとも思う。
そもそも私が全てを知っているわけではないし、
本人だって試した方法をアドバイスしてしまうこともあるだろう。
そういうのはクソバイスと言われるものであるからね。気をつけよう。

だいたいの調べたいことっていうのは
ネットで検索すれば出てくるし、
出てきた答えがあっているかどうかは試せばわかるし、
陰謀論とかインチキな話だけは気をつけて!って思うけれど
溺れている人が藁をつかんだとしても
助けを求めるまでは幸せである可能性があるのだから
出過ぎないのが肝要ですよ、とね。
やばそうだな〜っていう周囲をウロチョロしながら
沈みそうになった時にロープを投げ入れるぐらいの
そんな親切心で良いと思う。
人間が誰かを救えるなんて大胆なことは考えない方が良い。
まぁできる人はいるのかもしれないけれど。

そんなことをここのところ考えていました。
いや、まぁ常に考えてるって感じでもあるか。

とにもかくにも。
人よりも目立つな、尖ったことはするな!
というものの中で育って、それに順応していたのに
世に出てみたら
息苦しかったけれど尖っていたことが役に立った、
というものも多く
尖らずに来てしまって今更ハシゴをはずされてもなぁ
って人は多いんだろうなぁ。
なんてことを思っていました。
私と同じく、地味で目立たないように
なるべく存在を迷惑がられないようにって
そうやって生きてきた人は多かろうとな。
まぁでもあれよ。
そういった緩衝材みたいな性質は
それはそれで需要があるみたいだから
あんまり気落ちするなって
自分に言い聞かせながらだけど言ってみるよ。
ずっと昔の話だけど、海外青年協力隊の人が
日本人の主張しない性質のおかげで
ぶつかり合う人たちを良い感じにまとめて
一つの事業を成し遂げることができるから
"主張をしない人"っていうのもとても大切だってさ。
きっとそういうことなのよ。
尖っている人たちはかっこいいけどね
尖るものを持っていないなら
包み込む性質を特化していけばいいのよ。
たぶんなんとかなる。
ナンクルナイサー。
もしくはマイペンライの精神で。

なにもないことだって立派な個性のはずだから。
たくさんの色に変化して
その場に応じて生きていきましょうや。

そんじゃまた。モイモイ。
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クリスマス会を無事に終えて

2021-12-26 | from:sachiaki
2013年から毎年クリスマスは仲間たちとパーリーをしているsachiakiです。

なにそのリア充?ってなるかもですが
始めた時はリア充してたのは私ぐらいなもので
(パンダとすでにケコーンしてた)
参加者はほとんどラジオ関係の人ばかりだったけれど、
あれよあれよとカップルになったりご成婚されたりで
あっという間に参加者が入れ替わり立ち替り…
気づいたら主催である私の他二人も家庭を持ったというのに
ずっと変わらずに一緒にバカをやってくれまして、
今年のクリスマス会の最中にも
「来年はどんなクリスマス会にしよっかー」
なんて話をしていたり。

普段はまったく別のことをしているけれど
なんかバカなことしたいね〜っていうと
この三人で(わたし、ちる、いのうえ先生)
なにかしらの悪企みができるので
良い友人を持ったものだなぁとシミジミしてしまうのです。

とはいえ、私は面倒臭いタイプの人間なので
この人たちが常に最後の最後まで友人としていてくれる保証など
どこにもないのだぞ?というのを根底にしていて
あまり深入りはしないって決めているのであります。
(互いの家族事情を知っているので、口を出さないって決めてるって感じかな)
寄りかかりすぎず、しかし任せっきりなところは任せっきりで。
首謀者として告知したり案内出したり、
予算の割り振りをざっくりと考えるところまでは私が行って
料理やら撮影やらお客様のもてなしの大部分はちるさんが行って
会の最中に適度なツッコミを入れてくれたり
場を和ませるコーヒーを淹れてくれたりを、いのうえ先生が。
こういったなんとなくの役割をしているところはあるけれど
私のベースに ※スタンドプレーから生じるチームワーク があるので
私からお願いをすることはなかったりします。

料理がそれなりに好き(っぽい)ちるさんが
なんらかの材料を手にした時に「作ってみたい気」を発してくるので
じゃぁそれやろうぜ!って言うだけだし、
「いいコーヒーを飲ませたい気」を発するいのうえ先生に
今回もお願いいたしやす。言わなくても持ってきてくれる気もするけれど…。
って感じで私が「やりましょっか」っていうだけなんですよね。

最近の私はできるだけデクノボーでいようとしているので
「このポンコツに任せると大変だぞ」って思わせる方が大事だって思っていて
もともとポンコツではあるんだけど、
もっとポンコツなことを表に出しておこうかなと。
その辺は宮沢賢治と、ここ1、2年で仲良くなった友達の受け売りなんですけどね。
「俺様の存在感!!」っていう人よりも
「私のことは空気と思って〜」の方が仲間意識が高くなる気がするってだけ。
そういう意味では目の上のたんこぶ的な上司も
ちゃんとした仕事をしているのなら
その組織にとってかなり機能しているんだと思う。
そういう意味で考えると、
「あの上司なにしてんのか全然わからん」
「仕事してんのかね?」っていうような上司の方が
優れているっていう論にたしかにたどり着くなぁと。
上役のお仕事なんて下の人にわかるわけないんよね。

褒める、たしなめる、方向性をなんとなく操縦する。
これができるようになれば、上司ってもんは務まるんだと思います。
あ、あと何より大事なのは部下の責任を取ること。
部下の仕事を承認したのは自分なのだから
信用したうえでGOを出したものに
「部下がやったことなので」っていうのは
部下を信じていないヘタレ上司でもあるってことなのでしょう。
とはいえ、尻尾切りしてでもその役に甘んじないとならないケースもあるだろうから
その辺は組織がなにを目的にしているかによるのかもね。

と、なんかよく分からない話に迷子になりそうになっているので戻しますと
とにもかくにも、いつもの面々で楽しいクリスマスだったわんってこと。

ウズベキスタン料理って初めて食べたけれど
クミンとラム肉の匂いはそんなに好きじゃないのに
美味しい!!!!!ってなったので
きっとほかの人たちはもっと美味しい!!!!ってなったんだろうなー。
みんな揃いも揃って「うんま〜〜〜〜〜〜い」って言ってたしw
来年も美味しい料理を「美味しい」って言えるようでありますように。
なんかうっかりすると食倒れ企画になりそうな予感がするんじゃ。。
胃薬必須やでぇ。

さて、こんな日記を書くぐらいにはクリスマスを楽しんだので
あとは年始に向けて怒涛の年末です。
大掃除間に合うだろうか……。
片付けるだけ片付け頑張ろう……。

それではまた。モイモイ。

※攻殻機動隊の公安9課部長の荒巻の名台詞
 我々の間にチームプレイなどという都合のよい言い訳は存在せん
 あるとすればスタンドプレーから生じるチームワークだけだ。
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イブの夜に脱兎について考える

2021-12-25 | from:sachiaki
私のちょっと古めになりつつある友人の一人に
あべあゆみさんという舞台女優さんがいらっしゃるのですが
彼女がなかなかにインパクトのある個性の塊のような方でして
そんな彼女の魅力に取り憑かれて、
彼女がお芝居をすると聞くと
できるだけ万難を排して観劇に向かうことにしているsachiakiです。

とはいえ、万難に負けて刀折れ矢尽きる時もあったりして
時には観劇できていないことになっています。
そんな時は悔し涙でお布団がびしょ濡れだし、
悔しいと歯噛みした歯もボロボロになってしまうので
なるたけ万難に負けないように
マネーの力をもっとちゃんと身につけたいなと
そんなことを思ったりもしています。

それはさておき観劇してきたお話。
今回は日暮里繊維街にあるd-倉庫という小劇場が
長い歴史の果てに今年の12月に閉館するとあり、
その小劇場の最後の舞台公演があべあゆみさんの出演される
楽園王さんの「脱兎を追う」でした。

劇中劇なところがあり、最初タイプライターを打ち込む姉のもとに
妹が「悪夢を見た」と言って真夜中に相談にくるところから物語はスタートするのですが
この「悪夢を見た」という妹が実はすでにこの世界にはいない人であり、
そのすでにこの世界にいないことから、別の世界なら生きているかもしれない
という願いを込めて作家である姉が妹の残したメモをもとにして
虚構の「こうだったかもしれない」を作り上げるという物語でした。

こう書くと、なんていうか、作家と呼ばれる人たちは
いつでも時間を超えて様々な人を呼び戻し
いろんな生かし方があるよね、って話で終わってしまうのですけれど、
私が昔見た「青森県のせむし男」で見事な舞台を完成させた楽園王さんですので
そんなありきたりな方法で出演するキャラクターは動きません。

”エッシャーの絵本のよう”というご案内をいただいていただけに
妹役の女性がとある不名誉なことで有名な団地の屋上で下を見ながらしぶっていると
その妹役の女性と入れ替わって彼女の人生の続きをやるという
妹役の女性と似ている女性から申し出をされるという
素っ頓狂な話がメインで進んでいきます。

そこから妹の過去にあった述懐が挟み込まれ
妹が見た飛び降りてしまった級友の話とクロスするように
妹役の女性と似た女性が、
飛び降りてしまった級友は妹役の女性にも非があることを糾弾したり
そうかと思えばその二人とは別の「人生が虚無であることに疲れた」
とあるキャラクターとそれに感づいたという二人が出てきて、
片方の自死をしようとする子を引き止めようとする話が出てきたり。
(そこがまたコミカルでたまらなく愛おしいシーンでした)

年末というと死亡率が上がり、
選ばなくとも死にやすいシーズンであることには違うないのですが
その死亡者数に加わるように自殺率も上がるのが年末でして
”節目”という言い訳が嫌な方面で背中を押してしまうのでしょうけれど
そのことについても、そのとあるキャラクターが説得するときに
「死は個人にとっては大きなものであるけれど
 社会の中ではただの数字にしかならない」と説き
「そんな喜劇の一つにならないで」という話にはグッと心を動かされました。
悲劇は客観化すると喜劇になってしまう。
あなたの悲劇は悲劇でいつづけたいなら客観化させてはいけない。
そういう感じでしょうか。
そしてどうしても死にたいというのなら
あなたは私の命の恩人に相当する人だから
私の命はあなたにもらったものだから
私を殺してから死んでくれと拳銃を取り出すのです。
書いてるとすごくシリアスなシーンなんだけどね…
そこはもうなんていうか、キャラクターがアレなので
どこまで本気で、どこからが笑わせたいものなのか
不可思議な感情で頭がグルグルになって
とにかくめちゃくちゃ笑ってしまいました。

人が「死にたい」って考える時、
実は「死にたい」のではなく、別の人生であったなら……
というものが実情のようで、それがあらゆる意味で叶わないので
最後の切り札を選んでしまうものなのだそうです。
というよりも、「死にたい」って思うほど追い詰められている時
それは心に余裕がない時でもあって、視野狭窄に落ち入り
「別の人生もあるかもしれない」という細い糸が見えなくなってしまっている時なんですよね。
もともと細い糸なんて暗闇にいては見えにくいものだけど
実はずっと目の前にぶら下がっていて
その糸を引っ張ると自分が引っ張りあげられるのと同時に
別の自分に生まれ変わることがある。
それが他の人から見たら別人のようでもあり、
そもそも別人が自分と入れ替わっていたとしても
そんなことは他人から見たら大した違いなどなく……。

私たちはたぶん自分というもののアイデンティティを重視し過ぎてて
自分が別人である可能性について考えないようにできている。
それは存在というものが時間に縛られていて
その時間の連続から逃げることができないからなんだけど
時間をたくさんぶった切って繋いでいくと
アイデンティティなんてものはあまりにも簡単に崩壊してしまう。

ーあの時あの場所で私はたしかに存在した。

それが記憶という曖昧なもので担保されているだけに過ぎないのに。
(記録はあってもそれはけっして確証にはならないでしょう)

妹の記憶にあった、妹に「自分も死にたい人」だと自覚させた
自死を選んでしまった同級生。
その同級生は変わった子だったからこそいじめられていて
そんな子が自死を選ぶ前に「飼育室のウサギを逃す」のですけれど
そのウサギはあまりに増えやすいことから害獣指定されていて
自治体で年に何度も捕縛作戦が決行されるにもかかわらず
逃げてしまったウサギはどんどん増殖し、
人々は困らせ続けているというのです。
そんな愉快な世界に生きる妹役は
自分と似た人と入れ替わったことで
死んでしまった同級生の名残に対してエールを送るのです。
逃げるウサギに「がんばれ」と。
自分たちを苦しめる存在に対して
ちょっとした意趣返しをしたって良いし
それが他の人たちにとって困らせることであっても
それらがあったところで世界は問題なく回っていく。
そういうもののイメージとしての「脱兎」だったのだろうと
私は思いながら見ていました。

だからそんな深刻にならずに
この世界に対して意趣返しをし続ければいいし
恩返しをしていったって良いんです。

他にも細々とそれぞれのシーンに対しての感想はあるんだけど
大きな筋に対しての感想はこんな感じです。
読んでも、見てない人にとってはサッパリな感想になっちゃってると思います。
なんせ”エッシャーの絵本”のようにどこから書いても
着地点は見つからないし、どこからスタートさせても
それが終わりの部分であるような
どこまでも迷路なお芝居だったので
感想を書こうとすると支離滅裂になってしまうのです。

それでもこのお芝居を見ることで
水の中で溺れているような気持ちになってる人たちの
なんらかの救いとなる”小さな手”となるかもしれないし
「わかったふりが一番ムカつく!」ってなるかもしれない。
ともかく心が動くきっかけとなるような気がします。
錆び付いて動かなくなってしまった心でも
動きさえすれば目の前の細い糸がみつかるかもしれません。

ニーチェが残した「永劫回帰」に照らし合わせるなら
私たちは選べるのであるのなら、こんな人生を選ばなかったと言いながら
実は一生というものを何度も何度もやり直していて
それでもなおこの人生を歩んでいるのかもしれず
だったらそんなに真剣に人生を間違えないようにと意気込むのでなく
莫迦みたいにチャラく生きられるような選択を
一回ぐらい選んでみるのも一興でしょう。

そんなことを思ったりしたのでした。
さて、今日も今日とてこれからパーリータイム。
身内のような仲間たちとのんびりと過ごしてきます。

そんじゃまた!モイモイ。
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ハッピーホリデー♪

2021-12-24 | from:sachiaki
最近のクリスマスって私たちが子供の頃と比べると商業色が強くなり過ぎた反発なのか
あんまり派手じゃなくなったというか、盛り上がらなくなったよね?
なんとなくハロウィンの方が派手になってる気がするsachiakiです。

まぁ私はハロウィンの方が好きなんだけど、
ナイトメアービフォアクリスマスのことを考えると
けっこうハロウィンとクリスマスって表裏感があって
ワンセットで好きってのがある。
ハロウィンのおどろおどろしいものも好きだし、
クリスマスの誰もかれもが休日に向かってて
街中がキラキラしてるのがいいよね。
私が引っ越ししてきた今の街はクリスマスカラーはあまりないけれど、
以前住んでいたところはこの時期になると
いっきにクリスマスカラーになって
駅前のロータリーなんかは電飾で気合い入ってました。

それはそれとして。
明日がクリスマス本番だというのに
すでに100均の飾りつけはクリスマスのものはほぼ撤収されていて
お正月のものばかりとなっておりますが、
マジで本番まではちゃんと棚を補充しとけよって気持ちでいっぱいです。
当日まではそれを必要としている人たちがいるし、
なによりも季節物として本番を忘れるって言語道断な気がする。
私もファンシーグッズを扱うお店勤務だった時は
たしかにクリスマスと並行してお正月ものも棚出ししていたけれど
ひとまず当日まではクリスマスカラーで統一してましたよ。
もう20年前の話だけど。
クリスマスというと商戦シーズンなので
12月は朝から晩までギフトラッピングしていた覚えがあります。
指先の脂がなくなっていきカサッカサになるうえに
紙ってけっこう指先を切りやすいので
絆創膏がかかせなくって痛々しい五指になったものですw
でもそういった体験があったからこそ
人々が誰かのことを思い、誰かのために動くということを
体験できていたのは良かったなぁと。

明日を超えたらいよいよ差し迫る年末ってもんで
色々と加速度的に忙しくなっていくかと思いますが
今年も最後まで良い日々でありますように。

そんじゃ私は明日の準備だとかあるのでこの辺にて。モイモイ。
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意味なんかないよ

2021-12-23 | from:sachiaki
寝る前にやたらといろんなことが思いついていて
まぁいいか、起きたら書こう……なんて悠長に構えていると
全てが夢の中に溶けて消えた……なんてことはザラにあるよね。
昨日から今日にかけてがそれだったsachiakiです。
なんで寝る前にメモしとかなかったんや、私……。

思い出したことを片っ端からというならば
まずは制服のこと。
私が高校受験をする時に希望に入れていた
美術に強い高校は公立高校だったけれど
制服の種類が多く、
女子だとロングパンツとハーフパンツ(キュロット)スカートと選べて
ネクタイとリボンは色が選べました。
男子はロングパンツのみかな。
 今ふと思い立って調べてきたら、そこまでのバリエはなくなってました。
 それでも変わらず女子もロングパンツOKなので
 校風はそれほど変わってないのかも。

この高校の施策が30年近く前の話だっていうのだから
未だに制服で「女子もパンツ選べるよ!」って聞くと
まだそこなの?なんて驚いてしまったり。
「男子もスカートはけるようになったよ!」
なら全然別なんだけどね〜。
男子も袴スカートとかありにすればいいのにね
なんて思ったりもする。
別に普通のスカートでもいいけれど、すね毛が濃いから見たくない
っていう人もいそうな気もする。
とはいえ、それは女子の毛だって処理するしないの選択権はあって
たんに自分の美的センスで脱毛したり剃ったりしていたんだから
スカート選ぶ男の子もそれを選べばいいだけな気がする。
美的センスは人がどうのこうのいうのって
もはや害悪でしかないもんね。

Pinterestについて。
ずいぶん前に画像をピン止めしておけるサービスと聞いて
資料などにちょうどいいなぁってインストールしていたものの
サービス終了しちゃうという噂を聞いて
じゃぁあんまり依存しない方がいいなって疎遠になってたのに
最近ちょいちょい画像が見られるようなツールで
画像やら記事やらを外部シェアしたい時に
どこの外部SNSにシェアするか選べるアイコンリストの中で
しぶとくPinterestをみかけるなーと思っていたら
しぶといどころか、けっこうな確率で目にすることが増え
もしかして?と再度ログインしてみたら
めちゃくちゃ人増えてて画像が充実しており、
延々と画面をシュッシュとスライドしてはピン止めするという
時間泥棒ツールになっておりました。
なんていうか、
文字情報はがっつりと削ぎ落としたtumblerみたいになってた。
最近はTwitterがよく荒れているので
あんまり開きたいって感じがなくなっていたけれど
SNSのどれかには依存してしまうのやなぁ
ってうすら寒い気持ちになってます。(ピン止めされた画面をニヨニヨしながら)
Tiktokとかもそういうもんなんだと思うけれど
関連付けの学習能力が高すぎて
一つ見てしまうと、どんどん次の提案が流れてきて
「おー、これこれ、こういうの見たかったんよ」
ってどんどん時間が奪われていくのね。
Youtubeとかもそうだけど、関連付けに関する解析に対して
すごいお金と技術が流れているんだろうなぁ……と遠い目です。

Vtubeとか。
もともとテレビを見る習慣がないせいか
動画を見続けるという習慣がないので
基本的にラジオや好きな音楽が関連付けで流れてくる
Spotifyを流しながら作業をしているんだけど、
たぶん他の人は同じ感じで動画が別のウィンドウで流れていて
それを斜め見しながら遊んだり仕事したりしてるんだろうなぁ。
聖徳太子は複数人が同時にしゃべっても
それらに回答することができてスゲー!ってなってたけれど、
現代人のマルチタスクフルな感じを考えると
誰でも持っているスキルなのではないか?
って気持ちにもなったりして。
注意力は散乱傾向にあるんだろうけれど、
なんにしても複数のことを同時進行できるのって
時間の圧縮率がすごいよね。

腐女子なんだけど。
昔っからR18はそれほど得意じゃない。
読まないか?といえばそうじゃないし、
読んでポワポワすることもあるんだけど、
基本的にギャグが好き。

ってところまで書いて思い出しましたわ。
あれだ。
「あなたを作り上げた漫画や映画はなんですか?」
って問いがあるじゃないですか。
あれに対して人によって自分を広報する面が変わるから
答えが変わるって話を聞いた時に
わかる〜って同調したあと、いやそうでもないかな?
って思い直したんです。

私の考え方をガッチリと方向付けたのは
・AKIRA
・攻殻機動隊
・寄生獣
なんだけど、

私の倫理観や生来の受け止め方を作ったのは
・神谷悠の漫画
・田村由美の漫画
・山口美由紀の漫画
この3つなんですよね。

とくに神谷悠さんと田村由美さんの倫理観は
確実に私の土台を築いたところがあります。
ママンもパパンも私の買ってくる漫画を読む人だったけれど
こういった漫画を選んでくるから安心だ、みたいなこと言ってたしなぁ。
オタクな傾向が強くなってからも、
それでも芯にあるのはこの人たちの倫理観が根底にある感じ。
山口美由紀さんからは明るく受け止める力のようなもの
そういったもので影響を受けてますわね。
竹本泉さんとかからも影響受けてるっちゃ受けてるけれど
芯にまでは至ってない感じ。
オタク傾向への入り口は作ったと思うけれど、
それ言うたら全てアニパロコミックスと月刊OUTが悪い(゚∀゚)アヒャ

好きな映画はずっと
・銀河ヒッチハイクガイド
・ナイトメアビフォークリスマス
・ビッグフィッシュ

生命、宇宙、そして万物についての究極の答えは?と聞かれたら
「42」って答えるし、
イルカって言われたら
「さようなら、いままでお魚をありがとう」って歌っちゃう。
スラップスティックコメディが好きっていうのは
ドリフが好きっていうのと同じだし、
森博嗣の推理小説で出てくる犀川教授がいうように
「意味がないのが高級なんだ」というような
そういったものに魅かれる傾向があるってことなんでしょうね。

「さようなら、いままで魚をありがとう(So Long and Thanks for all the Fish)」は
見られる環境にいる人はぜひニコニコ動画でご覧くださいw
イルカがめっちゃ人類を煽ってくるので最高よ。
そういや私、イギリスのブラックジョークめっちゃ好きなことも思い出したわ。
性格がクソ悪いのもそのせいかも。

他にも色々と連鎖して漫画やら映画について書こうかと思ったけれど
熱く語るほど知識があるわけでもないのでここで終わり。
明日はクリスマスイブ。
ケーキの予約でもしておきますかね。もう遅いかな。
そんじゃまた。モイモイ。
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