昨日からずっと「力」について考えているところ。
なぜって、2016年に放映されたベルセルクのアニメ版を今頃になって見たのと、
昨晩18時半からぶっ通しで見ていた配信一人芝居のおかげです。
そうでなくとも毎日毎日懲りずにいろんなことを考えているのだけど、
まったく厄介な脳の構造をしているなぁ
なんてため息混じりのsachiakiです。
話は戻って「力」について。
「力」を辞書で引くと
1.外に現れる働きのもと(として考えるもの)。
2.ものを動かす作用。
となっていました。
「力」とは置き換えて「武器」と言い換えることもありますね。
同じく「武器」を辞書で引いてみると
1.戦いに用いる種々の道具や器具。
刀や銃などの、敵を攻撃したり自分を守ったりするための兵器や武具。
2.何かをするための有力な手段となるもの。
昨晩見ていたベルセルクで
「強いというだけで誰かを傷つけてしまう
弱いというだけで誰かを憎んでしまう」
というニーナのセリフで大変考えこんでしまったものですが、
ここに昨晩見ていたお芝居の中で
「お前は武器を取るな。武器というのは何も刀や銃だけではないぞ。
言葉でも芝居でも音楽でも人を傷つける力となる。
シンプルであるほど殺傷能力は高い」
ともあり、人はなにか人より抜きん出るものを扱う時に
それを力として行使するということを暗に示しているわけです。
ただ美しいというだけでも、ただ勉強ができるというだけでも
それができない人にとっては眩しく傷つけてしまうものです。
お芝居の方は「なにかを選択する時に人を傷つけることを選べるかどうか」というような話しだと
私は解釈しましたが、もちろん「傷つけていいわけじゃない」がセットでもあり、
なにを表現し、なにを持つのかを考える、そういったことを忘れてはいけない
そういう風に受け取りました。
私は瀧本哲史さんの「僕は君たちに武器を配りたい」を読んだ時も
「武器とはなにか」をいっぱい考えたものですが
結局コモディティ化されているつまらないものを持っているだけの
平凡な人間ではなにもできやしない、
だからそういった人間は黙っていよう、謙虚でいよう。
なんてことを思ったりしていました。
つまり武器を放棄するということです。
持たざる者にもそれなりの矜持があるってもんで
せめて持っている人の足かせにはならないよう、
人を陥れてまでなにかをしようなんてことを思わないようにいよう。
できるだけ肥やしとして役に立てるぐらいの栄養を持っておこう。
そんなことを思ったりしたのですけれど……。
昨日今日と…いやもうちょっと前からかな。
ここのところ「力」というものを考えているからか、
例え何も持っていなくても、持っていないことさえも「力」となる。
そうなるともう「力」を行使しないというのは
自分の存在を諦めることと同意であり、
それはつまるところ「死ね」と言われていることと変わりなく、
ならばせめて良い使い方を選びたいと思ったりしたのでした。
そのためにも自分の「力・武器」がなんであるのか
それを知りたいものなのですけどね……いやはや難しい。
強いていうなら、多少しゃべることができるってことだけど、
それも微妙なんだよなぁ。
キャリアアップセミナーとはでは自分の強みを知るための
様々なチェックリストなどがあるそうですけどね…
うーんでもやっぱり「自分の武器」がなんであるかよりも
行使する理由の方が大事だよね。
理由がわかっていれば、それに合わせた武器を選ぶことができるもんね。
なんてことを考えて今日も夜が更けていくわけです。
目下の私の目標はDQウォークのレベルを55にして
今やっている章のボス戦をクリアしたいってぐらいなので
しばらくは腑抜けた人生が続いていきそうです。
やれやれですね。
昨晩なんか、なんて無駄な10年を過ごしてしまったのだろう!!
って謎の落ち込みもしていたのに
どうしようもないぐらい平々凡々ですわ。
まぁうまく生き延びていきましょう。
明日も息災でありますように。モイモイ
なぜって、2016年に放映されたベルセルクのアニメ版を今頃になって見たのと、
昨晩18時半からぶっ通しで見ていた配信一人芝居のおかげです。
そうでなくとも毎日毎日懲りずにいろんなことを考えているのだけど、
まったく厄介な脳の構造をしているなぁ
なんてため息混じりのsachiakiです。
話は戻って「力」について。
「力」を辞書で引くと
1.外に現れる働きのもと(として考えるもの)。
2.ものを動かす作用。
となっていました。
「力」とは置き換えて「武器」と言い換えることもありますね。
同じく「武器」を辞書で引いてみると
1.戦いに用いる種々の道具や器具。
刀や銃などの、敵を攻撃したり自分を守ったりするための兵器や武具。
2.何かをするための有力な手段となるもの。
昨晩見ていたベルセルクで
「強いというだけで誰かを傷つけてしまう
弱いというだけで誰かを憎んでしまう」
というニーナのセリフで大変考えこんでしまったものですが、
ここに昨晩見ていたお芝居の中で
「お前は武器を取るな。武器というのは何も刀や銃だけではないぞ。
言葉でも芝居でも音楽でも人を傷つける力となる。
シンプルであるほど殺傷能力は高い」
ともあり、人はなにか人より抜きん出るものを扱う時に
それを力として行使するということを暗に示しているわけです。
ただ美しいというだけでも、ただ勉強ができるというだけでも
それができない人にとっては眩しく傷つけてしまうものです。
お芝居の方は「なにかを選択する時に人を傷つけることを選べるかどうか」というような話しだと
私は解釈しましたが、もちろん「傷つけていいわけじゃない」がセットでもあり、
なにを表現し、なにを持つのかを考える、そういったことを忘れてはいけない
そういう風に受け取りました。
私は瀧本哲史さんの「僕は君たちに武器を配りたい」を読んだ時も
「武器とはなにか」をいっぱい考えたものですが
結局コモディティ化されているつまらないものを持っているだけの
平凡な人間ではなにもできやしない、
だからそういった人間は黙っていよう、謙虚でいよう。
なんてことを思ったりしていました。
つまり武器を放棄するということです。
持たざる者にもそれなりの矜持があるってもんで
せめて持っている人の足かせにはならないよう、
人を陥れてまでなにかをしようなんてことを思わないようにいよう。
できるだけ肥やしとして役に立てるぐらいの栄養を持っておこう。
そんなことを思ったりしたのですけれど……。
昨日今日と…いやもうちょっと前からかな。
ここのところ「力」というものを考えているからか、
例え何も持っていなくても、持っていないことさえも「力」となる。
そうなるともう「力」を行使しないというのは
自分の存在を諦めることと同意であり、
それはつまるところ「死ね」と言われていることと変わりなく、
ならばせめて良い使い方を選びたいと思ったりしたのでした。
そのためにも自分の「力・武器」がなんであるのか
それを知りたいものなのですけどね……いやはや難しい。
強いていうなら、多少しゃべることができるってことだけど、
それも微妙なんだよなぁ。
キャリアアップセミナーとはでは自分の強みを知るための
様々なチェックリストなどがあるそうですけどね…
うーんでもやっぱり「自分の武器」がなんであるかよりも
行使する理由の方が大事だよね。
理由がわかっていれば、それに合わせた武器を選ぶことができるもんね。
なんてことを考えて今日も夜が更けていくわけです。
目下の私の目標はDQウォークのレベルを55にして
今やっている章のボス戦をクリアしたいってぐらいなので
しばらくは腑抜けた人生が続いていきそうです。
やれやれですね。
昨晩なんか、なんて無駄な10年を過ごしてしまったのだろう!!
って謎の落ち込みもしていたのに
どうしようもないぐらい平々凡々ですわ。
まぁうまく生き延びていきましょう。
明日も息災でありますように。モイモイ