先ほど「東京生まれ東京育ちの若者」というものが
Twitterのトレンドに上がっていて、
それについて「都会っこだからとかそういうんじゃなくて適応できないダメなだけだ」とか
「本人のせいで辛いを環境のせいにするな」とか
まぁ想像できるだけの悪態を目の当たりにして
普段「東京生まれです」っていうのがどこか鼻につく人たちの
なんかを刺激したんだろうな〜なんて気持ちになっていたsachiakiです。
私も東京生まれ東京育ちだからか、
少しでも都会でないところは「ちょっと」ってところがある。
そもそも長野の単身赴任を経て、本当に無理ってことが分かったのもある。
たしかに転校生を続けたり、転勤を続けてこられたり、
環境に適応して来られた人たちにとっては
「なにぬるいこと言ってんだ?」って話になるのもすごい分かる。
けれど、じゃぁなんで田舎ぐらしだった人が都会へ移動し
都会で生きることを選ぶのか?と言えば
やはり都会ならではの生きやすさがあるからに他ならない。
SNSで書くと絶対に面倒なことになると分かっているので
卑怯も承知で日記に逃げてきたけれど、
本当に都会でないと生きていけないタイプってのはいると思う。
どんだけ自然環境が良く、それなりに自分自身で楽しむ方法をみつけようとしても
人は共同体の生き物であるのと同時に、
パーソナルの距離に難があるタイプというものがある。
私も人との距離は一定の距離がないと生きていけないタイプだ。
どんだけ家族と仲が良かろうとも、
自分の「ここから先は絶対に来ちゃダメ」っていうのがあるし、
どこかへ行ったりなんかしたりを口に出されると
どんどん病んでいってしまう。
同じように「東京生まれ東京育ち」ではないけれど
「横浜生まれ横浜育ち」のパンダ氏と一緒にい続けられるのも
結局は都会のお作法みたいなものが芯に染みているからで
お互い微妙に面倒臭い神経質さがあるからだ。
あと普通に本屋がない、コンビニが近くにない、
ライブハウスなのどの娯楽施設がないってことを馬鹿にしているわけではなく
本当にこれらがないと詰むってことが都会育ちで気づいたことの一つだ。
たしかに何もないことでクリエイティブなものは捗って
めちゃくちゃ絵を書きまくったし、詩も書きまくったけれど
これを発表する手段がほぼないこと(今はSNSもあるから違うのだろうけれど
ギャラリーでなにかを展開するなどのアドバンテージは都会の方が強いだろう)
なんだかんだで刺激的で面白い人物は面白いところに集まっていること
などなど、これらは本当に貴重な都会の良さだったりする。
しかも集まったりしても素性についてあれこれ詮索しないなどという
とびっきりに粋なところまで含めて「中身」だけに夢中になるという
ある意味人間関係の希薄さでもあるのかもしれないけれど、
煩わしさのない文化的な一面が良さの大きなところを占めると思う。
それらを無視して「これだから都会育ちは」とかって言うのは簡単だろうけれど
じゃぁなんで都会を目指す人が減らないのか
そういったことを考えてみて欲しい。
詰む人は詰むし、詰まない人はどこでも生存できる。
ただそれだけの話なのに、詰む人に対してさらに暴言を投げつけたりするのは
まさに田舎根性丸出しで、それがイヤだと言っているのだとなぜ気づけない?
って気持ちになったりしてました。
私も東京育ちとはいえ、23区の端っこで驚くほど自然豊かなところで育ったから
長野転勤なんて全然余裕!って思ったんですよ。
だけんど、そういうもんじゃなかった。
今ならもう少し違うのかもしれないし、年齢も嵩んで刺激に対して
そこまで必要なものではなくなっているから平気なのかもしれないけれど……。
まぁここまで書いても、やっぱ適応能力の低さを感じるだけだったりするので
結局のところ暴言者たちの言っていることは合っているのよね。
合っているからといって、生存強者が弱者に詰め寄っていいのかは別の問題。
さて、日記に書き留めることができてホッと息がつけました。
とりあえず東京生まれヒップホップ育ちは
そう簡単には別の場所に馴染むのは難しいぞって話なんだと思う。
なにせ寄せ集められた一番の田舎が東京であり、
全てがあり、全てがないのカオス状態だから。
というわけで燃やされていた日記の若者に「わかるぞ」ってエールを込めて。
そんじゃまた。モイモイ
Twitterのトレンドに上がっていて、
それについて「都会っこだからとかそういうんじゃなくて適応できないダメなだけだ」とか
「本人のせいで辛いを環境のせいにするな」とか
まぁ想像できるだけの悪態を目の当たりにして
普段「東京生まれです」っていうのがどこか鼻につく人たちの
なんかを刺激したんだろうな〜なんて気持ちになっていたsachiakiです。
私も東京生まれ東京育ちだからか、
少しでも都会でないところは「ちょっと」ってところがある。
そもそも長野の単身赴任を経て、本当に無理ってことが分かったのもある。
たしかに転校生を続けたり、転勤を続けてこられたり、
環境に適応して来られた人たちにとっては
「なにぬるいこと言ってんだ?」って話になるのもすごい分かる。
けれど、じゃぁなんで田舎ぐらしだった人が都会へ移動し
都会で生きることを選ぶのか?と言えば
やはり都会ならではの生きやすさがあるからに他ならない。
SNSで書くと絶対に面倒なことになると分かっているので
卑怯も承知で日記に逃げてきたけれど、
本当に都会でないと生きていけないタイプってのはいると思う。
どんだけ自然環境が良く、それなりに自分自身で楽しむ方法をみつけようとしても
人は共同体の生き物であるのと同時に、
パーソナルの距離に難があるタイプというものがある。
私も人との距離は一定の距離がないと生きていけないタイプだ。
どんだけ家族と仲が良かろうとも、
自分の「ここから先は絶対に来ちゃダメ」っていうのがあるし、
どこかへ行ったりなんかしたりを口に出されると
どんどん病んでいってしまう。
同じように「東京生まれ東京育ち」ではないけれど
「横浜生まれ横浜育ち」のパンダ氏と一緒にい続けられるのも
結局は都会のお作法みたいなものが芯に染みているからで
お互い微妙に面倒臭い神経質さがあるからだ。
あと普通に本屋がない、コンビニが近くにない、
ライブハウスなのどの娯楽施設がないってことを馬鹿にしているわけではなく
本当にこれらがないと詰むってことが都会育ちで気づいたことの一つだ。
たしかに何もないことでクリエイティブなものは捗って
めちゃくちゃ絵を書きまくったし、詩も書きまくったけれど
これを発表する手段がほぼないこと(今はSNSもあるから違うのだろうけれど
ギャラリーでなにかを展開するなどのアドバンテージは都会の方が強いだろう)
なんだかんだで刺激的で面白い人物は面白いところに集まっていること
などなど、これらは本当に貴重な都会の良さだったりする。
しかも集まったりしても素性についてあれこれ詮索しないなどという
とびっきりに粋なところまで含めて「中身」だけに夢中になるという
ある意味人間関係の希薄さでもあるのかもしれないけれど、
煩わしさのない文化的な一面が良さの大きなところを占めると思う。
それらを無視して「これだから都会育ちは」とかって言うのは簡単だろうけれど
じゃぁなんで都会を目指す人が減らないのか
そういったことを考えてみて欲しい。
詰む人は詰むし、詰まない人はどこでも生存できる。
ただそれだけの話なのに、詰む人に対してさらに暴言を投げつけたりするのは
まさに田舎根性丸出しで、それがイヤだと言っているのだとなぜ気づけない?
って気持ちになったりしてました。
私も東京育ちとはいえ、23区の端っこで驚くほど自然豊かなところで育ったから
長野転勤なんて全然余裕!って思ったんですよ。
だけんど、そういうもんじゃなかった。
今ならもう少し違うのかもしれないし、年齢も嵩んで刺激に対して
そこまで必要なものではなくなっているから平気なのかもしれないけれど……。
まぁここまで書いても、やっぱ適応能力の低さを感じるだけだったりするので
結局のところ暴言者たちの言っていることは合っているのよね。
合っているからといって、生存強者が弱者に詰め寄っていいのかは別の問題。
さて、日記に書き留めることができてホッと息がつけました。
とりあえず東京生まれヒップホップ育ちは
そう簡単には別の場所に馴染むのは難しいぞって話なんだと思う。
なにせ寄せ集められた一番の田舎が東京であり、
全てがあり、全てがないのカオス状態だから。
というわけで燃やされていた日記の若者に「わかるぞ」ってエールを込めて。
そんじゃまた。モイモイ
そして勝ち負けって単純な話ではない気がします。
緊急事態宣言も明けたのでまた都会の良さも戻ってくると思いますが、人と会いにくい環境になった時は都会の魅力は半減に等しかったので。