現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

安藤美紀夫「星にいった汽車」でんでんむしの競馬所収

2017-10-16 10:12:32 | 作品論
 この作品でも、現実と空想の世界は、ほんの紙一重のところに存在し合っています。
 小学校四年生のデベソとキンは、その日もいつものように遅い夕食を待ちくたびれて、腹をすかして線路下の土手に寝転んでいました。
 彼らに限らず露地の子どもたちは、そばの山陰線を通る汽車と話をすることができます。
 いつもは「連れて行って欲しい」という子どもたちの願いを、汽車はあっさり断って通り過ぎるだけです。
 しかし、その日に限って、貨物列車は露地の横に停車して、二人を一番星へ連れて行ってくれます。
 終点の星の世界には、露地と違って食べ物屋がたくさんあります。
 でも、一文無しの二人にはどうすることもできません。
 そのうちに、片腕の男にだまされて、無銭飲食の片棒を担がされて、交番に突き出されてしまいます。
 作者は、この作品でも、詩的な表現を多用して美しい星の世界を走る汽車を描いて見せます(宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の影響があるかもしれません)。
 その一方で、食べる物にも事欠く貧困、働くことに疲れ切って子どもたちの面倒を見ることができない親たち、戦争の傷跡(片腕の男は、戦争で右腕を失いました)、警察官による朝鮮人差別(キンはおそらく金で、朝鮮人の子どものようです)といった戦時中の現実も描いていて、その対比が鮮やかです。
 現在の子どもたちも、彼らと同様に、貧困やネグレクトの問題に再び直面しています。
 しかし、当時と違うのは、あの時代にあった子どもたちのコミュニティが、すでに崩壊していることです。
 キンは、小柄で非力なために貨車によじのぼれないデベソを、その強い腕で引き上げてやります。
 デベソは、自分には優しいのに朝鮮人のキンは差別する警察官の前で何もできない自分を、「なみだの目でキンを見ながら、きゅうに、じぶんが、この世の中でいちばんみじめな子どもになったような気がしました。」と、責めています。
 こんな友だちが一人でもいれば、今の子どもたちも、どんなつらい状況でも乗り越えることができるでしょう。


でんでんむしの競馬 (1980年) (講談社文庫)
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講談社
 
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宮川健郎「『童苑』学徒出陣号をめぐって ― 現代児童文学の遠いみなもと」現代児童文学が語るもの所収

2017-10-16 10:11:44 | 参考文献
 「童苑」というのは、かつての早大童話会の機関誌で、学徒出陣号というのは、戦中に発行された最後の童苑(戦後にも発刊され、「少年文学宣言」(正しくは「少年文学の旗の下に」(その記事を参照してください))以降は「少年文学」に誌名が変更されています。
 当時(戦後も1960年代までは)の早稲田大学は児童文学界の中心であり、この学徒出陣号にも、前川康男、竹崎有斐、今西祐行、など、その後児童文学界で活躍する人々が名を連ねています。
 この論文の前半はやや書誌学的で、この号の内容や成立について詳しく述べられています。
 後半は、その中の前川康男の「夜汽車の話」を取り上げ、戦後に書かれた前川の代表作である「ヤン」や「魔神の海」と結びつけて、「少年文学宣言」以降の「現代児童文学」の「遠いみなもと」をそこに見ようとしています。
 しかし、この論の進め方には、かなり無理があるように思います。
 むしろ、前川たちの早大童話会(その後少年文学会に名称が変更されました)の後輩である古田足日、鳥越信、神宮輝夫、山中恒たちによって発表された「少年文学宣言」は、それまでの早大童話会の活動を激しく批判することから始まったわけで、そのために彼らと袂を分かったそれより上の世代の早大童話会のメンバーは、その後しばらくしてから「現代児童文学」の流れに合流したと考える方が自然でしょう。
 私は彼らの末裔にあたる「早大児童文学研究会」で児童文学を学んだのですが、2011年に当時の現役部員たちがまとめた「早大児文サークル史」(その記事を参照してください)に、「少年文学宣言」後の少年文学会の様子が詳述されています。

現代児童文学の語るもの (NHKブックス)
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日本放送出版協会
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