1959年に出版され、佐藤さとるの「誰も知らない小さな国」とともに「現代児童文学」のスタートを飾ったといわれるいぬいとみこの「木かげの家の小人たち」について述べています。
題名から作品論なのかと思われたのですが、話は「ファンタジーとは何か」から始まって、かなり広い分野について考察しています。
著者は、この作品において、満州事変、日華事変をへて太平洋戦争にいたる日本の近代を「洪水」と呼び、主人公たちが小人たちをかくまっていた小部屋を「箱舟」と呼んでいます。
これらの比喩と、主人公や若い世代の小人たちが「箱舟」から自立するのがこの物語のテーマであると考えるのは、非常に自然な読みだと思います。
ただ、この「箱舟」の比喩を、「アンネの日記」やリヒターの「あのころフリードリヒがいた」などの海外の戦争児童文学に広げて考えたり、子ども時代一般が親の庇護下という一種の「箱舟」であるとするのは、やや論理に飛躍があってついていけませんでした(それぞれに独立した作品を、著者の都合のいい部分だけを切り出してまとめて見せている印象が強いです)。
また、話が次第に「木かげの家の小人たち」から離れてしまい、著者が引用している先行論文(長谷川潮や上野瞭)からあまり深まらなかったのも残念でした。
題名から作品論なのかと思われたのですが、話は「ファンタジーとは何か」から始まって、かなり広い分野について考察しています。
著者は、この作品において、満州事変、日華事変をへて太平洋戦争にいたる日本の近代を「洪水」と呼び、主人公たちが小人たちをかくまっていた小部屋を「箱舟」と呼んでいます。
これらの比喩と、主人公や若い世代の小人たちが「箱舟」から自立するのがこの物語のテーマであると考えるのは、非常に自然な読みだと思います。
ただ、この「箱舟」の比喩を、「アンネの日記」やリヒターの「あのころフリードリヒがいた」などの海外の戦争児童文学に広げて考えたり、子ども時代一般が親の庇護下という一種の「箱舟」であるとするのは、やや論理に飛躍があってついていけませんでした(それぞれに独立した作品を、著者の都合のいい部分だけを切り出してまとめて見せている印象が強いです)。
また、話が次第に「木かげの家の小人たち」から離れてしまい、著者が引用している先行論文(長谷川潮や上野瞭)からあまり深まらなかったのも残念でした。
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